世界の最高峰にとどろく凱歌
無敵の毛沢東(マオツオトン)思想の赤旗を高くかかげる中国の革命的科学工作者は、天険をこえ、万難を排し、中国のフルシチョフやその代理人による破壊をて、世界の最高峰―チムラマ峰地区にたいし、全面的、系統的な総合科学調査をおこなった。かれらは大量のゆるぎない資料を入手し、帝国主義「探険家」による観念論的、形而上学的なデタラメの断定をみごとにくつがえし、重大な科学テーマの解決とこの地区の資源開発·利用にたいし大きな貢献をした。
科学史上空前の壮挙
チムラマ峰は、中国西南部の辺境にそびえる、世界の最高峰である。この峰をとりかこむ地帯はきわめて天然資源にめぐまれている。しかしその独自な地理的位置は、人類の生活と自然環境に大きな影響をおよぼし、科学上の重大な問題を解明する鍵をもにぎっている。そういう意味から、この地帯は以前から重視されていた。
百数年らい、帝国主義諸国はこの地区に略奪の野心をもやし、「探険家」をさかんにおくりこんで「調査」にあたらせた。しかし、腐朽した資本主義制度と帝国主義国の「探険家」のみにくい魂は、このきわめて複雑な地形、たえず変化する天候、世界最高のチムラマ峰地区にいどむたびにかれらに大醜態を演じさせた。こうした「探険家」のなかには、永遠に氷雪のなかに身を埋めるもの、きびしい試練にうちひしがれて帰るものもいた。また、こそ泥のようにわずかばかりの資料をかきあつめて、観念論的、形而上学的なデタラメな断定をくだし、さかんに文章を書き、世をあざむいたものもいる。こうして過去の長い年月、チムラマ峰本来のすがたは科学的にあきらかにされたことがなかった。
中華人民共和国が成立していらい、中国の革命的科学工作者は毛主席の革命路線にみちびかれて、チムラマ峰の調査をおこなってきた。一九六〇年、若い中国登山隊員がはじめて北斜面からチムラマ峰に登頂し、同時にこの地区の科学調査をおこなった。だが、中国のフルシチョフをかしらとする資本主義の道を歩む党内最大のひとにぎりの実権派および科学技術界におけるその代理人は、気違いのように奴隷主義、爬行主義、解消主義といった修正主義科学研究路線をおしすすめた。ブルジョア反動学術「権威者」たちもおのれの名利をねらって、公然とあるいはひそかに、その黒いしろものをさかんにもちこむことに手をつくした。調査を個人の名利に利用しようとするかれらの意図は、この地区の科学調査に大きな悪影響をあたえたのである。
史上に前例のないプロレタリア文化大革命は、ひとにぎりの反革命修正主義分子とブルジョア反動学術「権威者」の支配を徹底的にうちくだき、かれらが科学調査の分野にのばしていた黒い手をたちきった。無敵の毛沢東思想の光に照らされ、大いに意気込み、つねに高い目標をめざし、自力更生で奮起興国をはかり、雄大な志をいだいて世界の先進的科学技術の水準に追いつき追いこすという毛主席のプロレタリア革命路線にみちびかれ、また人民解放軍と地元チベット族勤労人民の力強い支持と協力をえて、各関係分野の革命的科学者はともに協同作戦をすすめた。そして、敢然とたたかい敢然と勝利する不敵の革命精神で万難を排し、「鳥さえこえぬ」といわれたこの世界の最高峰をついに征服したのだった。
プロレタリア文化大革命がすさまじい勢いでおしすすめられた一九六六年と一九六七年に、全国二三の科学研究部門、大学、産業部門、解放軍科学研究部門などからあつまった、三〇近くの学術分野にぞくする一〇〇余名の科学者からなる大規模な総合科学調査隊が中国科学院の手で組織された。調査隊はヤルツァンポ江以南の、東はヤートンから西はジロンにいたる面積五万余平方キロ、最高七〇〇〇余メートルにおよぶチムラマ峰地区で、全面的、系統的、総合的な科学調査をおこなった。調査の内容は地層、古生物、岩石、地質構造、第四紀の地質と地形、地球物理、自然地理、表層地球化学、土壌、植物生態、植物区系、鳥獣、こん虫、水生生物、氷河、気象、水文、天体観測による大地測量、地表立体撮影による測量、高山生理などである。これらの調査により、ヒマラヤ山系とチムラマ峰がどのようにして大海から高山に変わったか、またその自然界と人類の活動への影響にかんする一連のかなり完全で重要な科学資料を大量に入手し、今後のチベット天然資源の開発·利用と社会主義建設に、たしかな科学的根拠を提供した。
反ばくの余地ない大量の資料は、帝国主義の「探険家」たちがこの地区にたいしてくだした観念論的、形而上学的なデタラメな断定をくつがえしたばかりか、われわれの偉大な指導者毛主席が提起した「生産闘争と科学実験の分野でも、人類はたえず発展するものであるし、自然界もたえず発展するものであって、おなじ水準にとどまっているようなことは永遠にありえない」という弁証法的唯物論の輝かしい思想がゆるぎない偉大な真理であることを、あらためて雄弁に立証した。
若い中国科学者が世界の最高峰でおさめた科学調査の勝利は、無敵の毛沢東思想にもとづく感動的な凱歌である。
心の中の真紅の太陽
「毛沢東思想の偉大な赤旗を、チムラマ峰上にかならずうちたてて見せる」これが科学調査隊の太陽輻射観測班の雄々しい誓いであった。
太陽の輻射は地球上の重要なエネルギー源である。チムラマ峰は標高が高く、大気の透明度が高いので、太陽輻射の法則を研究するのに最適である。一九六三年、アメリカ登山隊がチムラマ峰の南斜面からひそかによじのぼり、標高六〇〇〇メートル以下の地点で太陽輻射の観測をおこなったことがある。こうしてわずかの資料なるものを手に入れたかれらは、臆面もなく論文をたてつづけに発表し、もっともらしいことを書きたてて世の注目をひこうとした。
中国の革命的科学工作者は、アメリカ帝国主義のこの挑発にひじょうな憤りを覚えた。今回の調査が、大自然との闘争であるばかりでなく、もっと重要なことは帝国主義、修正主義、各国反動派との闘争であることを、かれらはよく知っていた。そのため、どんな大きな困難にぶつかっても、りっぱな成果をあげなければならないと決意をかためていた。太陽輻射観測にあたる科学工作者たちは気象関係者とともに、チムラマ峰の標高五九〇〇メートル、六五〇〇メートル、七〇〇〇メートル以上の場所で太陽輻射と高山気象を調査し、ついに、この分野の研究でこれまでに到達したことのない地表最高地点での太陽輻射観測データを入手した。これは、アメリカ帝国主義が一九六三年に南斜面でかすめとった太陽輻射観測データをはるかにしのぐものである。
チムラマ峰北斜面で標高七〇〇〇メートル以上に達するには、標高六六〇〇メートルから標高七〇〇七メートルの間にある天険ノース·コルを通らなければならない。これはチムラマ峰登頂の「玄関」として知られ、平均傾斜度は五五度。そしてこのノース·コルの頂上部はほとんど垂直になっている。イギリスの「探険家」がここで命を落としてから、イギリス人はノース·コルを「登はん不可能」な「死のコース」だと称してきた。だが、毛沢東思想で武装した中国人民は、とっくにこの天険のノース·コルを平坦の地と同様にみなしていた。一九六〇年、中国の年若い登山隊員が、はじめてここを通ってチムラマ峰の頂上にのぼった。いま、中国科学調査隊はふたたびここで、新たな奇跡を創造しようというのだ。
調査隊員は、各自の装備のほかに観測器械を加えて二〇キロに達する重荷を負っている。平地でなら二〇キロはとるにたりない重さだ。しかし、氷雪にとざされるチムラマ峰の標高六〇〇〇メートル以上の高度、それも天険ノース·コルを越えていくのだ。二〇キロの重さはひじょうな負担となり、一歩すすむのも容易ではない。「決意をかため、犠牲をおそれず、万難を排して、勝利をたたかいとろう」
ノース·コルを通過するとき、隊員たちはくりかえし毛主席の語録を朗唱した。毛主席のことばはかれらに一つひとつ困難を克服させ、危険にうちかたせた。
「毛主席がわれわれの戦闘を指揮しておられる。だから、なにものもわれわれの前進をはばむことはできないのだ!」
とかれらはいった。
かれらは、毛沢東思想にみちびかれて、氷雪を踏み越え、めまぐるしく変化する天候にうち勝ち、ついに観測予定地に到着した。
太陽輻射のデータをとるには、比較的長時間にわたる観測が必要だ。過去、帝国主義者や一部の反動的「権威者」は、海抜六〇〇〇メートル以上のところで比較的長時間の活動を堅持するのは不可能だとみなしていた。
しかし、わが国の革命的科学者は、盲信をうちやぶり、思想を解放し、外来のしきたりをうちやぶり、爬行主義を一蹴して、高山で朝から晩まで緊張した観測をつづけた。夜間には、つねに雪まじりの秒速二〇メートルの強風がふきまくり、寒気が肌をさす。
だが、革命的科学者の意志は少しもゆるがなかった。
「われわれの心のなかには真紅の太陽が輝いている。これがエネルギーのみなもと、活動の原動力だ」といってかれらは七日間作業をつづけ、みごと観測に成功した。
困難な所へほどすすんでいく
科学調査隊の革命的な測量·地図製作担当者のたどった道も、たたかいの道だった。人民解放軍、地元チベット族人民の大きな協力と援助のもとに、かれらはチムラマ峰地区の二〇におよぶ標高六〇〇〇から七〇〇〇メートル以上の高峰にのぼり、六一の観測点から異なった角度でチムラマ峰にたいして天体観測による大地測量、三角測量、水準測量、地表立体撮影による測量などをおこない、世界測量·地図製作史上でも空前の奇跡を創造した。
チムラマ峰の中腹にあるロンブク氷河は瀑布をおもわせる。そこには、氷塔が林立し、クレバス(氷河や雪渓にできる割れ目)があみの目のように走る。しかし、毛沢東思想で武装した革命的な測量·地図製作担当者はなにものをもおそれなかった。かれらは五月のある日、ついにこの越えがたく見えた地区に足跡を印した。「困難なところへほどすすんでいく」という毛主席の教えが、チムラマ峰地区を調査した科学調査隊員の共通の誓いだったのだ。かれらは困難にぶつかるたびに、
「仕事とは何か。仕事とは闘争することである。そうしたところには困難があり問題があるので、われわれがいって解決する必要があるのである。われわれは困難を解決するために仕事をしにいくのであり、闘争をしにいくのである。困難なところへほどすすんでいく。それでこそ立派な同志である」 と高らかに朗唱した。この毛主席の偉大な教えは、かれらに無限の力と勇気をあたえた。氷河の上のテントのなかで、夜、かれらは真紅の『毛主席語録』を学んだ。
「われわれの同志は、困難な時期には成果に目をむけ、光明に目をむけて、われわれの勇気をふるいおこさなければならない」
灯火のもとで、朗読するかれらの声は、ながいねむりにふけるこの氷雪にとざされた谷間をゆさぶった。
かれらはロンブク氷河をよこぎって、最初の観測点を選び、「ただ朝夕をあらそう」という精神で観測に取り組んだ。第二、第三……と観測点の作業は完了した。第七観測点にむかうさい、かれらは深夜の三時に出発し、月の光をたよりにつぎつぎとクレバスを越えていった。落下する岩石をさけるためにいくどか停止をよぎなくされた。目的地の観測点に着いたのは、もう正午に近かった。だが時機をのがさぬようにと、かれらは食事もとらずにすぐ観測をはじめた。
ひどい吹雪がおそってきた。観測はひじょうに困難になった。だがかれらには、共通の信念があった。それは、堅持することが、とりもなおさず勝利だ、ということだ。防水布と自分たちのからだで観測器械をまもり、大吹雪のなかにしっかりと立ちはだかり、荒れ狂う風に耐え、雪に抗して最後の作業に成功し、ついにデータを入手した。
かれらはロンブク氷河の上で十五日間たたかいつづけた。強烈な紫外線をあび、高山の酸素不足のなかで、寒風に吹きさらされて、みなの顔は、はれあがった。あるものはくちびるが厚くふくれあがり、食事をとるのも困難だった。だがだれ一人として苦痛を訴えず、最後の勝利までがんばった。肉体的には苦痛だったが、気持ちの上では充実感を味わった。
天体観測は夜間におこなわれる。チムラマ峰の氷河の上、標高六、七千メートルの高山では、夜はもちろん、昼間でも骨を刺す寒さだ。しかし、この仕事を担当する同志たちは、きびしい寒さもものともせず、砂あらしをまともにうけて標高六〇〇〇メートルをこえる頂にのぼった。ここで、かれらはチムラマ峰の悪天候と三日にわたって闘い、かずかずの困難をのりこえて、最後の勝利をかちとった。
世界最高峰におけるわが国の革命的な測量·地図製作担当者の夜を日につぐ作業は、風雪ときびしい寒さを相手とする格闘、高山の酸素不足とのきびしい格闘、複雑な地形との格闘に終始した。しかし、かれらはついにこの陣地をおとしいれたのだった。
チムラマ峰を征服
三日間にわたるきびしい行軍と作業をつづけた地球物理学班の隊員は、チムラマ峰の標高六四〇〇メートルの高さまでのぼった。かれらの目的は、標高六五〇〇メートルの地点で地磁気の新しいデータをあつめることにあった。
「愚公、山を移す精神でチムラマ峰を征服する」これが三人の隊員が胸に秘めた雄志である。標高六四〇〇メートルの高さにたっした。めざす地点まであと一〇〇メートル、勝利は目前だ。
ところがこのとき、一人の同志が急にはげしい高山病の症状をおこし、前進できなくなったのだ。雪と氷にとざされた悪天候の山上で、三人でやるはずだった仕事を、いまは二人でなしとげなければならなくなった。それはひじょうに困難なことだ。だがかれらは、
「いかなる艱難辛苦の状態にあっても、一人でも生き残っているかぎり、その人は戦いつづける」
という毛主席の教えをおもいおこし、きっぱりと誓った。たとえ一人になっても、最後の勝利をかちとるまで、たたかいつづける、と。
一〇〇メートル、あと一〇〇メートルだ。一〇分、二〇分、三〇分、四〇分すぎた。だが、目的地には達していない。どうすればよいのか。そこでかれらは『毛主席語録』をひろげ、声をはりあげて朗読した。
「この軍隊は勇往邁進の精神をそなえており、けっして敵に屈服することなく、あらゆる敵を圧倒する」
毛主席の教えはかれらの全身を無限の力でみたした。
「大自然というこの敵をかならず征服し、チムラマ峰を征服するまでは絶対に手はひかない」
とかれらはいった。そしてはげしい奮戦ののち、かれらはついに目的地についた。
吹雪は荒れ狂い、あたりは暗さをましていった。かれらは高山で、不眠の夜をすごし、二日目に、ついに世界地磁気測定史上でも最高地点における地磁気のデータをつかんだ。
それは量的にも質的にも世界の先進的水準をはるかにしのぐものだった。かれらはチムラマ峰地区の地磁気および重力の分布と特徴をかなり完ぺきな形でつかんだだけでなく、標高六五〇〇メートルの地点における地磁気と重力のデータをも入手した。これは中国における地磁気と重力の研究の発展を強力に促すものである。
盲信を打破し思想を解放する
古期古生代地層の発見は、科学調査隊員が愚公の精神に学んで盲信をうちやぶり、思想を解放したことを示すいま一つの例である。
地質の歴史は人類の歴史とおなじように、ひとつの時代を欠いたなら、その全ぼうをとらえることができない。過去百余年らい、チムラマ峰地区の歴史はずっと各帝国主義国の「探険家」によってねじ曲げられてきた。かれらは、この地区には古期古生代地層はないだろうとのあやまった断定を下した。
毛沢東思想で武装した中国の革命的地質工作者は、盲信をうちやぶり、思想を解放し、大胆に考え、大胆に行動し、自分の道を歩むという偉大な指導者毛主席の教えをまもり、ヒマラヤの中段にあたる中国領土内で、今から約四億年前の古期古生代の地層をはじめて発見し、筆石、三葉虫、オウムガイなどの化石を多数さがしあてた。こうして、外国人が過去に提出した、この地区には古期古生代の地層はないだろう、というあやまった断定をくつがえし、人類がヤルツァンポ江以南、東はヤートンから西はジロンにいたるまでの広大な地区の地史を理解するのに、科学的根拠を提供した。地質工作者はさらに、約一億八〇〇〇万年前の三畳紀にぞくする地層から魚竜の化石を発見した。これらの発見は今後におけるヒマラヤ山脈とチムラマ峰の地質学的変遷史の全面的な研究や探鉱、生産、建設に重要な意義をもっている。
第四紀の地質と地形方面を研究する科学工作者は、チムラマ峰地区のここ百万年間の地質学の特徴や地殼運動の法則などにたいしても多くの調査をおこない、ヒマラヤ山脈の中段にあたる中国領土内の、標高四三〇〇メートルから五〇〇〇メートルの地点にたくさんある第四紀堆積物の中から、サツキツツジ、ガマズミ、ヤナギ、バラ、スイカズラなどの植物化石やタルバーカン、鹿、ウサギ、ネズミなどの動物化石と新石器時代の石器などを発見した。これらの成果は、ヒマラヤ山脈とチムラマ峰のここ百万年間における隆起の程度、気候の変化、この地区での人類の活動状況を理解するうえに、ひじょうに大きな価値をもっている。自然地理学、表層地球化学、土壌学、植物学、動物学などの分野の科学工作者は、毛主席の偉大な教えをまもり、互いに協力して、チムラマ峰地区の複雑な自然地帯形成現象にたいし総合的研究をおこない、世界で最高の地点にある耕地と牧場の分布法則についても詳細な研究をすすめた。
その他、気象学、氷河学、高山生理学などの分野の調査隊員もまた偉大な指導者毛主席の、「中国人民は気骨があり、能力をもっており、遠くない将来に、かならず世界の先進的水準に追いつき、それを追いこすであろう」
という偉大な教えを断固としてまもり、万難を排して、雪と氷にとざされた山や峰をくまなく歩きまわり、世界の最高峰で、各自の研究分野での豊富なデータを入手した。
* * *
チムラマ峰地区はじめての大規模な、多くの分野にわたる科学調査のなかで、各研究分野の科学工作者は共産主義的大協力を実行した。また中国人民解放軍、革命的労働者、地元チベット族勤労人民は力強い支持と協力をかれらにあたえた。この科学調査に参加した人びとは、一つの共通の革命的目標のために中国の各地から集まってきたのである。かれらはつねに、なにをするにも、いつどこででも毛主席著作の活学活用を堅持し、毛沢東思想を武器として、前進の途上によこたわる困難をつぎつぎに克服し、勝利につぐ勝利をかちとった。ヤルツァンポ江のほとりで、チムラマ峰の氷塔が林立するところで、標高数千メートルの宿営地で、かれらは毛主席著作の活学活用会を開き、私心とたたかい、修正主義を批判し、毛主席の教えのなかからつきることのない知恵と力をくみとった。かれらはいまこう語っている。―毛主席の教えを守りさえすれば、どのような困難や危険にもうちかつことができ、かならず最後の勝利をかちとることができる。毛主席の指示どおりにことをはこびさえすれば、かならず世界科学の最高峰によじのぼることができる。われわれには、前進の道をさし示す無敵の毛沢東思想があり、優越した社会主義制度がある。だからこそ、このように革命的精神にあふれた大規模の、系統的な科学調査をおこなうことができ、自然の認識と改造に全速力でまい進することができるのである。これはいかなる帝国主義国や現代修正主義国もまねできないことだ、と。
中国の革命的科学工作者は、きわめて困難な条件のもとで、比較的短時間に世界の最高峰における大規模な科学調査を勝利のうちに達成して、人類の科学史に、さん然と輝く毛沢東思想のがい歌を書きそえた。毛沢東思想の光は中国の革命的科学者のすすむべき道を永遠に照らしつづけ、かれらを勝利からさらに大きな勝利へ、科学技術の一つの高峰から他の高峰へとみちびいてゆくであろう。