砂漠にきずいた緑の村
タクリマカン大砂漠の西端、コングル山の上空をとぶ旅客機の窓から見おろすと、眼下に広大なオアシスが果てしなくつづいている。水田、高粱(コウリヤン)畑、トウモロコシ畑、綿畑、果樹園が防砂林によってしっかりと保護されている。縦横に走る用水路が銀色にかがやく。このあたりが新疆ウイグル自治区エニイサ県ウルチャ人民公社パォツーホン第十五生産大隊の所在地である。
ウイグル語で「パォツーホン」というのは荒れはてた砂漠の意味であるが、この村の今の姿には、その名はまったくふさわしくないものとなっている。
解放前のこの村はその名のとおり荒れはてた砂漠の中にあった。解放後、パォツーホンの貧農·下層中農は、毛主席と中国共産党の指導のもとに、封建地主をうち倒し、協同組合をつくり、社会主義の道をひたすらつきすすんだ。
かれらは、自力更生、刻苦奮闘の精神を発揮して、百六十余りの丘をとりのぞき、三十八の谷間を埋めたて、三千二百ムー(一ムーは六·六六七アール)の田畑をきりひらいた。また、デコボコのはげしい、分散した耕地一万余ムーをトラクターで耕作できる四十八本の大きな畑につくりかえた。そのほか、延長三十二キロの防砂林帯、石造りの主水路(三十四キロ)を新設した。こうしてパォツーホン村の姿は一変した。
一九六五年にくらべて一九七四年のこの生産大隊の穀物収穫高は七〇%増、綿花と搾油作物の収穫高は倍にふえた。また、家畜の頭数は、二千九百余頭だったのが七千頭に増えた。それと歩調をあわせるように、公社員の生活も向上の一途をたどっている。