大学生の日曜ボランティア

2023-05-25 16:01:00

今年三月二十日の日曜日、北京市にある六〇余の大学·高等専門学校の八万人あまりの学生が、校門を出て、ひろく市民にサービスする活動をおこなった。学生たちが市民のために大規模な活動をくりひろげたのは初めてのこと。“日曜ボランティア”活動の様子をご紹介しよう。

人気呼んだ“相談所”

日曜日の朝、各大学の学生たちは、次々と、北京市内の繁華な街頭にくり出した。王府井通り、北京駅、西単、動物園……専門の学科ごとに机を並べ相談所を設けて、市民の提出するさまざまな疑問に答えるためだ。

北京大学化学学科の相談所は、北京市内でも最もにぎやかな北京デパート前に設けられた。「化学相談所」の看板をかかげると、さっそく道ゆく人々がとり囲む。蘇さんという年配の労働者が前に進みでて疑問を提出した。蘇さんの工場では、いま、新式のかまどの内部に据えるれんがを研究試作しているのだが、どうしても計算のできない数字があって弱っているとのこと。高分子専攻の学生が、蘇さんの要求をていねいに聞いて、たちどころにデータを出した。蘇さんはしてやったりと大喜びだ。

北京化繊学院の相談所も、大勢の熱心な市民に囲まれた。背の高い男性が熱心にたずねている。手に三種類の異なった生地―ナイロン、綿織物、絹織物をかざして、「わたしは曲技団の馬術コーチでしてね。団員の舞台衣装をつくるんですけれど、この三つの生地のどれがいいでしょう」とくだんの男性。「やはりナイロンでしょう。丈夫で伸縮性があり、着心地もいいし……、それにナイロンでつくった衣装は、体にフィットして、舞台でも見ばえがしますよ」

と一人の学生が答えた。背の高い男性は、しきりにうなずいている。

首都の大学生が、街頭相談所を設けて、修めた知識を市民に役立てようという、今回の“日曜ボランティア”活動は、“全国文明礼貌月間”運動の中で、学生たちから自主的に出された提案だった。各大学が連名で、早くから首都の新聞に広報を出した。広報で知った市民が大勢押しかけ、三月二十日の日曜日は、街の人出がいっそう多くなったほどだ。

数多くの相談所·相談コーナーが設置された。北京師範大学生物学科の学生たちは、北京動物園にある”鳴禽館”(鳴禽を集めた大きな檻)の前に鳥類解説コーナーを設け、入園者の質問に、わかりやすく答えた。清華大学古建築学科の学生は、北京西郊にある頤和園で、遊覧客の求めに応じ、園内の殿宇亭(ちん)、石づくりの船などの建築について、歴史的な知識を披露した。王府井通りと東四通りが交わる交差点付近では、白衣を着た一〇〇人あまりの学生が、健康相談に大わらわだった。「中医学院健康相談コーナー」と書かれた横断幕の下で、市民に無料医療サービスをしたのは、北京中医学院の先生と学生たちだ。体重を計る人、血圧をみてもらう人、診察を受ける人……中医界に盛名をはせる劉渡舟教授も、学生たちのかたわらに立って、脈のとり方や処方箋の書き方を熱心に指導していた。午後だけでも二〇〇人あまりの人を診察し、八〇〇人の身体検査がおこなわれた。


市民のために無料で電気器具を修理する北京大学の学生
市民のために無料で電気器具を修理する北京大学の学生

西単デパート前には、中国人民大学の法律相談所が設けられた。近年来、中国では法治が強力に提唱されている。人々の法律への関心も高い。婚姻、住宅、遺産などについて、たくさんの疑問が法律学科の学生たちに提出された。将来弁護士になる学生たちは、出された疑問にこと細かく解答したばかりでなく、北京市内にある最寄りの法律相談所や顧問処の住所、電話番号を教えて、市民の便宜をはかっていた。

社会のすみずみまで

市の遠郊にある北京市社会福利院の老人、孤児、病弱者、身体障害者たちは、この日、喜びに満ちあふれて、中央音楽学院と中国戯曲学院の学生を迎えた。音楽学院の学生たちが披露したのは、歌劇「椿姫」。身体陣害者の中·青年に大かっさいを博した。一方、戯曲学院の学生たちが演じたのは、「貴妃酔酒」「覇王別姫」など京劇の出し物。福利院に住む身よりのない老人たちは大喜びだ。八十歳を越した老人、秦さんは、「わしはもう十何年も、街へ京劇を見になど行ってない。きょうは、あんたたちがわざわざやってきてくれたので、いながらにして京劇を楽しむことができた。いやあ、長生きはするもんだね」

と顔をほころばせていた。

民族服を着た中央民族学院芸術学科の一九の民族の学生、六〇人あまりは、北京市少年教護院を訪れ、更生中の少年たちと楽しい交歓のひと時をもった。ワ族の民族衣装をつけた六人の娘さんと、背中に刀と矢をせおった六人の若者とで踊る軽快なリズムの舞踏が、少年たちのやんやのかっさいを浴びた。中央民族学院の共青団支部委員会は、学院の教師と学生を代表して、少年たちに「青年の心をひらく」「文明礼貌の常識」などの書、一二五冊と将棋、ダイヤモンドゲームなどの文化娯楽用品を贈った。出し物のあとでは、座談会も開かれた。席上、少年たちは、こんなふうに感想を語っていた。

「きょうは、ほんとうに楽しかったです。きっと立派に更生してみせます。父や母にすまないばかりか、社会に対しても申しわけないことですから…」

四季青人民公社の敬老院には、身よりのない老人が六〇人ほど住んでいる。人民大学第一分校の学生たちは、カメラ、引き伸ばし機、感光紙をもって、老人たちの写真を撮りにやってきた。老人たちはにこにこ笑いながら、ひとりひとり椅子に坐って、写真のフィルムに収まった。学生たちの手ぎわのよい作業で、一枚一枚写真が焼きあがる。写真は木の額縁に入れて、老人たちのに贈った。

「おじいさん、おばあさん、これからは、わたしたちが定期的に見舞いにやってまいります。必要な物があったら、どうぞご遠慮なくおっしゃって下さい、代りに買って来ますから。着物の繕いでも洗濯でも、みなわたしたちがひきうけますよ」

老人たちは大喜び。まるで実の息子や娘がやってきたかのようだ。

北京駅での活動も多くの人々の注目を集めた。駅の待合室では、北京映画学院と舞蹈学院の学生たちが、汽車を待つ人々のために出し物を披露した。駅の出入り口では、胸に“あなたにサービスの”と書かれたバッジをつけた男女の大学生が、旅客の荷運びを手伝った。トランクを肩にかつぐ者、手荷物を代りに運ぶ者…、荷物をいくつも持った旅客には大助かりだ。


北京師範大学歴史学部の学生は、道行く人に歴史文物保護の大切さを訴えた。
北京師範大学歴史学部の学生は、道行く人に歴史文物保護の大切さを訴えた。

社会を“第二の教室”に

“日曜ボランティア”活動を通じて、学生たち自身も大いに啓発された。修めた知識を人々の役に立てたと同時に、自分たちも多くのことを学んだからだ。教室では学べない知識を身につけ、いっそうの研鑽の必要を呼びおこされた。

北京師範大学哲学科の学生たちは、北太平荘に、「哲学問題」相談所を設けたが、人々は、哲学の原理をたずねただけでなく、基本的な原理を運用して、生活の中でぶつかるいろいろな現実問題をも説明してくれるよう求めた。大学生といっても、ほとんどは学校の門しかくぐったことのない二十歳前後の若者たちだ。人々の疑問にうまく答えられないことが多かった。“理論と実践を結びつける”ことの大切さと難しさを、学生たちは痛感したのだった。

敬老院や社会福利院を訪ねた学生たちは、身よりのない老人が幸せな老後をすごしていることを知った。また、かつての非行少年を辛抱強く教育し、心をこめて世話している教護院の先生方の存在をはじめて知った学生たちもいる。学生たちは、みずからの体験を通して、社会主義制度の下での、人と人との関係をいっそう深く認識したのである。

北京外国語学院日本語学科の学生は、この日、西城区業余職工大学に行って、日本語を習っている労働者たちと一緒に、日本語の会話の練習をした。業余大学で学ぶ労働者は、独学で日本語を学びはじめた者ばかりだ。

工場から戻れば家では家事をきりもりしなければならない。それでもねばり強い気力と旺盛な知識欲で、精一杯がんばっている。かなりの水準に達している人もいた。大学生たちは、ここでも、教室では学べない“教育”を受けたのである。

結論を述べよう。“日曜ボランティア”の一日から学生たちは何を学んだのだろう。

「社会は知識を必要としており、学生は社会を必要としている」この一語に尽きるだろう。社会と学生は、絶えず連携の関係を結ばなければならない。すでに、かなりの学校が工場や企業と協議を交し、学生たちは定期的に工場や企業へ赴き科学の知識を教え、工場や企業は学生に実地研修の基地を提供することが決められている。社会は学生たちの“第二の教室”なのだ。

たとえば、中国人民大学第一分校の経済管理学科は北京自動車製造工場と協議を交した。今後、高学年の学生の一部分は、定期的に北京自動車製造工場の青年労働者が学ぶ「工業経済」や「工業企業管理」などの技術講座を受けもち、青年労働者の知識水準の向上のために手助けする。

また、北京自動車製造工場は、企業管理と改革の新しい情況を人民大学第一分校の学生に紹介し、学校の教学基地としての役割を果たす。

首都·北京の大学生がおこなった“日曜ボランティア”活動は、全国各地の大学生に大きな反響を呼びおこした。江蘇、黒竜江、浙江、安徽などの省でも、大学生が日曜や休日に、次次に街に出て、さまざまな社会活動を展開している。

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