「独生子女(ひとりっこ)」100人のアンケートから

2023-05-25 16:33:00

 

一九七〇年代の後半から中国では「一組の夫婦に子供は一人」が奨励されているが、現在それを実行しているのは、若い夫婦の総数の二一·二%に、ひとりっ子の数は三千五百万人余りになっている。 

この子らは中国の歴史にこれまでなかった全く新しい世代だ。したがって、ひとりっ子世代に対する評判はさまざまで、中国の「小皇帝」、家庭の「小太陽」などと呼ばれたりする。また、この世代の成長に対しても、心配論と楽観論があり、本誌の読者からも関心が寄せられている。

写真は、あたたかい日ざしのもとで育つ新しい世代。

 

 

百枚のアンケート

そこで私は、ひとりっ子の実態を知るために自己流の調査表を考案して、百人の子供たちに答えてもらった。調査の対象として、本社に近い百万荘小学校を選んだ。ここは、ごくふつうの六年制小学校で、生徒は五百五十三人、六歳から十二歳までの子供が学んでいる。先生は女の先生が大多数だ。

さいわい学校側もこの調査に興味があったので、教務主任の朱文月先生の協力を得ることができた。教職三十年の朱先生の話によると、一九八〇年代に入ってから、小学生の中のひとりっ子の数が激増し、六年生から一年生へと学年が下がるにつれて、その比率が高くなっているので、この子らの教育をどうするかが、いま、北京市のどの小学校にも共通の課題になっているそうだ。

比率のいちばん高い一年生は、四クラス、百三人、当日は病欠が三人あって、ちょうど百人だった。六歳児から七歳児の天真らんまんな子供たちだ、ほんとうのことを反映してくれるだろう。

試験のときのように、教室でアンケート用紙を配り、項目ごとに〇や×をつけるだけだが、先生が教壇で一項目ずつ読み上げ、生徒はそれにしたがって一つずつハイとイイエのしるしをつけて行くという方法をとったので、外からの干渉は入っていない。

結果は、百人のうち八十七人がひとりっ子で、改めてその多さを感じた。

うそをついたことは、という問いに対して、あると答えたのが二十一あり、中には一回とか三回とか、回数まで書いた子がいたり、また、よくないことをしたのに謝らなかったことは、という問いに対して、あると答えたのが二十四あったり、回答は事実を反映しているといえよう。

よい時代に生まれた世代

このアンケートで見ると、いまのひとりっ子たちは、よい時代に生まれあわせた、とても幸せな世代だといえそうだ。

国の優遇政策

ひとりっ子の大多数は、一九七〇年代の末以降に生まれている。ちょうど、少なく生んで立派に育てようという政策を国がおし進めている時でもあり、さまざまの手厚い優遇を、この子らは受けることになった。

まず、生まれたときから十四歳になるまでの間、毎月五元の「独生子女費」という、ひとりっ子手当が国から与えられる。

その母親は半年の産休と一〇〇%の給料を保証される。一般の産婦は八週間だけである。企業によっては、産休を一年まで認める場合もある。この場合、後半の半年は給料が七五%になるが、ひとりっ子の母親たちは、収入が少し減ってもかまわないから子供の世話をじゅうぶんにしたいと、産休を一年に延ばす人が多い。

このほか、託児所に入るのも、幼稚園に入るのも優先だし、住宅の面でも優遇される。規定では、ひとりっ子とその両親には、子供が満八歳になれば、二寝室の住居が分配されることになっている。


ひとりっ子たちはおもちゃを沢山もっている
ひとりっ子たちはおもちゃを沢山もっている
 

また、毎年六月一日の国際児童節の当日には、その親たちの勤め先から、子供へ相当な贈り物が渡されるなど、ひとりっ子たちは、社会からあたたかく守られて育っている。

百人のアンケートの集計(一部)

問い ハイ イイエ
ひとりっ子ですか 87人 13人
宿題をするとき大人がそばにいますか 40人 60人
学校の先生は好きですか 98人 2人
休み時間にみなと遊ぶのが好きですか 95人 5人
うそをついたことがありますか 21人 79人
ほかの人のお手伝いをしたことがありますか 98人 2人
チョコレートは好きですか 30人 70人
毎日くだものを食べていますか 91人 9人
朝ごはんはミルクとパンですか 73人 27人
食べ物にすききらいがありますか 50人 50人
ローヤルゼリーやビタミンをのんでいますか 76人 24人
自分のハンカチ、くつ下を自分で洗いますか 40人 60人
お父さんお母さんに足を洗ってもらいますか 64人 36人
おいしいものは先に大人にあげますか 69人 31人
家ですぐにふくれますか  42人 58人
ほめられるのは好きですか 97人 3人
家に五種類以上のおもちゃがありますか 87人 13人
家に児童読物がたくさんありますか 81人 19人
家で新聞、雑誌をとっていますか 79人 21人
家にカラーデレビがありますか 53人 47人
家に冷蔵庫がありますか 67人 33人
家にラジカセがありますか 87人 13人
家にビデオがありますか 6人 94人
家にピアノがありますか 3人 97人

ゆとりある家庭

ひとりっ子たちの家庭は大体において生活にゆとりがある。百万荘小学校のアンケートを集計してみると、どの子の家にもテレビがあるが、そのうちカラーテレビは五三%で、これはひとりっ子家庭がほとんどを占めている。そうして、八十七人のひとりっ子の家庭では、カラーと白黒と二台のテレビがあるのが二〇%、ラジカセが九〇%、冷蔵庫が六六%となっている。

家庭経済のゆとりは、ひとりっ子たちに充足した物質的生活条件を与えている。それはアンケートにも示され、この子らは毎日果物を食べ、朝食も大人たちはおかゆにマントウだが、この子らは牛乳、パン、カステラ、麦芽糖で作った麦乳精という栄養飲料などをとっている。ローヤルゼリーやビタミンCなども、ほとんどの子がとっている。親は、子供の健康と頭脳のために、栄養の高いものをと考える。子供が食べたいというものは、惜しみなく買い与える親たちである。

衛生部(厚生省)の一九八五年の調査によると、北京市では、三歳の女児の平均体重は一四·〇九キロで、一九七五年より〇·五一キロの増加、身長は九五·八センチで、一九七五年より一·〇九センチの増加となっている。上海市では、六歳の男児の平均体重は一九七五年より一·三二キロ、身長は一·七一センチ、それぞれ増加している。

「新三年、旧三年、縫々補々又三年」という中国伝統の節約の美徳は、この世代には通用しなくなっているようだ。私の両隣りに四歳と三歳半の女の子が一人ずついるが、みなひとりっ子なので、毎日、お子様ファッションショーだ。五十元前後するダウンジャケットなど、もう当り前で、時計をしている子も珍しくない。新三年旧三年……の古い服を着ている子など一人も見当らない。

親の期待は知力開発ひとりっ子たちの親は、子供の知力開発のためには大金を惜しまない。百万荘小学校のアンケートでは、課外にピアノを習っているのが七%、バイオリンが七%、エレクトーンが一七%、アコーデオンが五%、歌を習っているのが三五%、絵画や書道をやっているのが四四%、外国語を勉強しているのが一二%だった。そのうちの多くは、一人で二つも三つも習っていた。そして、すべての子が五種類以上のおもちゃと、沢山の子供読物を持っていた。

専門家のテストによると、ひとりっ子の知能指数は、平均して一一〇を超えているが、多子家庭の子は大体が九〇から一〇〇の間となっている。百万荘小学校のアンケートで見ても、ひとりっ子たちは体格が良く、知能指数も高い。活発で理解力が強く、頭の回転が早いなど、すぐれた点を持っている。

心配な問題

たくさんのすぐれた点を持つひとりっ子たちは、しかし、問題点もたくさん持っている。

ゆで卵がむけない

まず、中華民族の美徳の一つである労働、これが、ひとりっ子世代の挑戦にさらされている。

今回のアンケートをみて驚いた。六つにも七つにもなって、まだ親に足を洗ってもらう(寝る前の習慣)のが六四%、親に爪を切ってもらうのが八九%だった。

私は花園村に住んでいるが、そこの第一小学校で、休み時間に先生の前に足をつき出した子がいた。遊んでいるうちに靴のひもが解けたから結んでくれというのだ。なぜ自分で結ばないのかと問われて、その子は「できないんだもの」とすましていたそうだ。

北京の景山学校といえば有名校だが、毎日弁当箱にごはんとおかずのほかにゆで卵を一つ入れてくる、四年生の子がいる。いつもは殼がむいてあるが、たまたま、そのままで入っていたとき、この子はどこから手をつけてよいか分からず、持って帰った。なぜ食べてこなかったのと母に問われて、「だって割れ目がないんだもの」と答えたそうだ。

箸が使えない

ひとりっ子の中には、人からかわいがられるばかりで、人のためになにかすることを知らない子もいる。百万荘小学校のアンケートでも「おいしいものがあったとき、まず自分が食べる」という答えが四一%あった。

三世代同居のインテリ一家に、やはりひとりっ子で五歳の女の子がいる。名前は園園(ユアンユアン)。この家の祖父は学者で、苦労をなめつくした人だが、いまは、孫にかかる費用一切を負担してやっている。その上、この子の身のまわりの世話一切まで引き受けている。

五歳とはいえユアンユアンは家じゅうに君臨している。「おじいさんは、わたしのいうことをいちばんよくきくのよ」「おばあさんのところにはいつもおいしいものがあるわ」「ママは、わたしがとても大切なの。わたしはママの宝物よ」「パパはおこりんぼ、でもパパはおじいさんがこわいの、だからわたしはパパなんかこわくないわ」

ユアンユアンの食事がまた大変だ。家じゅうを走りまわるのだ。それを犬のまねをしておじいさんが追いかける。おじいさんがワン! といえば、ユアンユアンはひとくち食べる。また逃げる。こんどは猫のまねをしろという。鳴き方が下手だと食べてくれない。二人で楽しんでいるのだ。

この子は箸が使えないし、中国式のスープ用のさじも使えない。

「こんなの、重くて持てない!」

「そうだな、最近のはどうも重くなったな!」と、こんな調子だ。

ユアンユアンが寝るときには、ふとんの上から叩いてやらなければならない。おじいさんだけではイヤといって、いつまでも寝ないときがある。そのときには家じゅうの大人がかわりがわり、軽く、リズミカルに、はやりの歌など口ずさみながら、それをやらされる。音楽ムードの中で眠りにつけば、よい夢を見るであろうと、これは、おじいさんの経験の総括なのだ。

それでいて、ユアンユアンは体に故障が多い。「いまの子供は手がかかる。しっかり食事をとらない子が多くて。ちょっとすりむいても血が止まらないしね!」おばあさんは首をかしげる。「偏食と関係があるんですよ。雑穀類を食べさせなくちゃ」とパパがいう。

「いまどきそんなものを? 私たちの世代も、お前たちの世代も、飽きあきしたはずじゃないか。それを三代目にも食べさせろだと?」おじいさんは怒り出す。


おばあちゃん、皮をむいてあげます。八歳の張嵐はやさしい子。
おばあちゃん、皮をむいてあげます。八歳の張嵐はやさしい子。
 

このおじいさんのような心理は、多くのひとりっ子家庭の、盲愛、溺愛の原因の一つだ。ユアンユアンの祖父たちは旧社会で苦労をなめつくした。パパたちは新中国に生まれたが、子供のころに、一九五九年から六一年にかけての苦しい三年間を経験している。国の経済が困難に陥って、誰もが空腹だった。いまは条件がよくなった。自分が得られなかったものを、なんとかして子供たちに与えてやりたい。これは、子供の上にそれを実現させることによって、心理的な満足を得たいと望む、一種の補償心理であり、溺愛を子供への愛だと思っている親たちが多い。

北京市家庭教育研究会の方嗣(しよう)秘書長から聞いた例を、二つばかり挙げてみよう。

父と母と子供が、三人づれで出かけた。父はバナナを三本買い、子供に一本与え、父と母も一本ずつ食べた。ところが、それが気に入らないといって、子供は道にすわり込んで泣きわめいた。おいしいものは自分が独占するものと思っているこの世代の心理は、ここまで来ている。

もう一つの例は、春の遠足で大型バスに乗って動物園へ行ったときの小学生のことだ。先生は三人だった。バスの中で、先生三人の席だけがなかった。五十過ぎの女の先生もいたが、子供たちは誰ひとり先生たちに席を譲らなかった。あとで、このことについて校長が子供たちにたずねたが、誰も答えない。やっと一人が答えた。「先生、いつも遊びに行くときは、パパやママが席を取って掛けさせてくれます。先生に席を譲らなければいけないなんて、ちっとも知らなかった」

このほかにも、わがままだ、偏食をする、といった問題もかなり深刻で、アンケートでも「家ですぐにふくれますか」が四二%、「いつも親に反抗する」が二七%あった。

問題の原因はどこに

ひとりっ子たちにみられる弱点は、先天的なものでもないし、子供たち自身が作り出したものでもない。では、この原因はどこにあるのだろう。

四二一総合症

ひとりっ子たちの間に、四二一総合症という病気がある。一人の子供のまわりに、父と母、父方と母方の祖父と祖母、これで、一、二、四。つまり四二一だ。四と二とで、一のご機嫌をとりすぎるのだ。

去年北京市で小学校の先生が集まって、ひとりっ子に対する労働教育座談会が開かれた。これはその席上での話だ。学校で大掃除をするときは「みもの」だ。子供にやらせるのがかわいそうだと、親たちが出てきて、ガラス拭きから、庭掃除、草むしりなど全部やってしまい、子供には木かげでアイスクリームをなめさせておく。その上、先生に「こんなことは私たちにはなんでもありませんが、子供にはさせないで下さい!」という。若い父や母だけでなく、父方、母方の年老いた祖父母も、子供の代りに掃除をしに来る。「労働なんて、できてもできなくてもかまわない、成績さえ良ければそれでいい!」

子供を毎日送り迎えしている親たちも多い。中にはそのまま教室まで入ってきて、教科書を出したり、筆箱を開けてやったりする大人もいる。こういう「やさしい」二や四たちは、少しも気付いていない。それが子供を害していることに。


四二一シンドローム え·王楽天

物質過剰、教育不良

物質の過剰が教育を妨げていることも、ひとりっ子たちにマイナスをもたらしている。

北京の小学校には、昔から「品徳」と「労働」の時間がある。一年生は、まず自分のことは自分でしましょうと、顔を洗う、足を洗う、服を着る、靴のひもを結ぶことから始まって、つぎに、家のお手伝いをしましょうと、野菜をそろえたり、食器を洗ったり、床を掃いたりに移って行くことになっている。ところがこれがひとりっ子世代になって壁にぶつかった。多くの家庭が協力的でなくなったからだ。百万荘小学校のアンケートでも「お手伝いしようと思っても、させてもらえない」というのが五二%を占めた。

ある小学校の先生の、夏の校内合宿日記の一節を見て頂きたい。

七月十二日(月)午前九時、校門前は大混雑、子供一人に大人二人がついてきている。簡単な寝具だけと通知したのに、みな引っ越しのような荷物を持っている。昼食はトマト入りオムレツ、緑野菜、きゅうりと肉のスープ。食卓の仕度にかかると、子供たちが口ぐちに「先生、食べるものを持ってきています」といって、宿舎に走って行き、一人残らず包みを提げてきた。私のクラスは十六人だが、とりを持ってきたのが十一人、焼き肉、ゆで卵、魚のくん製、えびのフライなどもある。「きょうは、持ってきたものをここへ出して、皆でいっしょに食べようか」と冗談半分に言ったら、たちまち大反対。「ほかの人のものは食べません」「そとの食べ物は不衛生だとママがいいました」「自分のものは自分だけで食べるのです!」。昼休みに、床に散らかした紙や骨などを拾って、きれいにしてから昼寝をしょうと言ったら、子供は自分の足もとのしか拾わない。「先生、あれはわたしが捨てたのではありません」。夏季合宿の第一日は終わったが、どうも不安だ。

七月十三日(火)朝食。牛乳と卵は好きだが、パンを食べない子が多い。中には自分で持ってきた菓子などを食べる子もいる。また親たちがどっとやってきた。暑いさかりで、食べ物を何日分も持たすわけに行かないので、朝早く届けに来たのだ。午後、昼寝から起きた子供たちに、アイスキャンデーを一本ずつ配る。中に三人、食べない子がいた。「こんなの栄養がないから、アイスクリームを食べたい」という。これは合宿の規定だから、アイスクリームを買う予算はないのだと話すと、つぎつぎに手を上げて「お金は持っています」という。ついでに調べてみると、みな少なくない金を持っていた。

ある教育家は、子供は大理石の素材で、何人もの彫刻家がこれを彫り上げなければならない。彫刻家たちの目標、方法、内容が一致すれば、この大理石は美しい形を見せるが、そうでなければ壊れてしまう、といった。多くの親たちは、自分が彫刻家であることを知らず、一人しかいない子だからと、そればかり考えている。一人しかいない、これが、子供に事故が起きなければよいが、つらい思いをしなければよいがと、重い心理的負担になっている。その結果、ひとりっ子たちは家庭の中心に据えられて、重要文化財のように扱われる。国や学校で進めている、祖国、人民、労働、集団、科学を愛する教育とは、逆行である。

期待しすぎの悲劇

「竜になれ」と、わが子の成功を願うのは中国の伝統的観念だが、ひとりっ子の親たちは、それがはなはだしい。

ある小学校のカメラグループは、四十八人だが、全員が自分のカメラを持っている。親たちは、一日も早く竜になれ、小学生のときから竜になれと、切望しているのだ。伝統的観念のほかにもう一つ、この親たちは文革の十年の動乱を経験してきた世代であり、親たちが受けた学力の損失は大きい。そこで次の世代には知力の面でもじゅうぶんにしてやりたいという、補償願望を持っている。そこで、知力への投資は惜しまない。エレクトーン、バイオリン、アコーデオン、ピアノ……ひとりっ子の多くが、こういうものを一つは持っている。親たちは子供の物質生活を重視して、品性を養うことを軽視しがちである。


4歳の萌萌のために、親は大枚をはたいてエレクトーンを買い、教師をつけ、レッスンにも付き添う。
4歳の萌萌のために、親は大枚をはたいてエレクトーンを買い、教師をつけ、レッスンにも付き添う。

景山学校で、生徒の親たちに「あなたの子供は、大きくなったら何になってほしいか」と質問したところ、九〇%以上が、学者、教授、考古学者、芸術家など、ハイクラスの職業を望み、一般の工場労働者や店員などになってほしいというのは一人もなかった。

若き竜を切望するあまり、多くの家庭に溺愛の一面と、子供への要求が強すぎる一面が出ている。勉強を強いることだけ考えて、教育心理学や児童心理学の基本もわきまえない親が多い。三歳か四歳の子供に、幼稚園のほかに、勉強塾に通わせたり、外国語や音楽を習わせたりしている。

私の同僚に、もうすぐ四歳の女の子の孫がいるが、やはりこれには苦笑している。おばあさんがこの子のためにと、ピアノを買い与えた。エレクトーンもあるのに、である。ところがこの子は、楽器をみること虎の如しで、この前に座らされると泣くのだそうだ。「私たちは代々ピアノに触ったことも、音楽に携わったこともないのに、まだ三つや四つの子に、すきな遊びもさせないでピアノを強制している。泣くはずだよ」

花園村の第一小学校にいる六歳の男の子は、入学当時、活発で賢い子だったが、半年もしないうちに、教室でいつもぼんやりしているようになった。先生が調べてみると、この子は学校の授業のほかに、絵、書道、バイオリン、水泳の四つを課されていた。朝六時起床、バイオリンの復習。ひるまは学校。午後三時、バスに乗って区のスイミングスクールへ。そうして夕方は、絵、書道、バイオリン。大人でも堪えられるかどうか、この過密スケジュール。ましてこの子はまだ六つだ。

冷静に見て、北京の小学生はかなり負担が重い。入学年齢は六歳半だったのが、去年から六歳になり、教材の程度も高くなった。有名中学目指しての競争もある。その上、親たちは子供の将来のためにと、つぎつぎに習い事をさせる。かわいそうなほどだ。

家庭、学校、社会の取り組み

一組の夫婦に子供は一人、を提唱するのは中国の国情に基づく政策であり、継続して実施して行かなければならない。広い目で見て、この政策は、家庭にとっても子供自身にとっても深遠な意義をもっている。将来も、必然的にひとりっ子がますます増えるだろう。しかし、現在発生している種々の副作用は軽視できないわけで、ひとりっ子の教育が、社会、学校、家庭で大きい問題となっている。

社会の努力

一九八〇年、北京市にはじめて家庭教育研究会が成立し、つづいて全国各地に同様の機構が数多く成立した。

北京市家庭教育研究会は、科学的な家庭教育を重点とした出版物を出している。『家庭教育講話』『ひとりっ子の早期家庭教育』『あなたの子供をどう教育するか』『小学生家長必読』『中学生家長必読』『乳幼児の家庭教育』『妊婦の心得』など多数あり、そのほか、五十万部の新聞や各種資料も出版している。また『家庭教育科学知識講座』を、北京テレビ局と組んでシリーズで放送すると共に、全国婦女連合会、全国科学技術協会、中央テレビ局と組んでテレビ用の『乳幼児家庭教育』シリーズを作っている。ひとりっ子の親たちがかかえている問題を受け止め、投書の質問に答える形式の『父母必読』という雑誌もある。

一九八四年には、北京市家庭教育研究会、北京市婦女連合会、北京市教育局、北京晩報が「私のお母さん」「私のお父さん」というテーマの、小学生作文コンクールを共催した。『人民中国』でも、八四年十一月号と八五年六月号に、この入選作を掲載し、『人民中国双書』にも収録したのでご記憶の方もいらっしゃると思うが、両コンクールの参加総数は三十八万人に達し、父や母をたたえた作文は親たちを喜ばせたが、真剣に父や母の欠点を批判した作文も多く、これは親たちに衝撃を与えた。作文コンクールは世論測定ともなり、親たちへの判定ともなったようだ。一九八〇年代の子供はどんな親を求めているか。親としてどんな品性と道徳水準が必要か。子供たちの一字一句に、親たちは考えさせられ、各家庭にも社会にも、その反響は大きかった。

一九八三年以来、北京市家庭教育研究会では、衛生、保健、教育、心理学など各方面の人びとを二千人余り動員して、工場の母親学級や、町内の居民委員会が開く、おばあちゃん学級に派遣している。この人たちは、具体的な例を挙げて、家庭教育の中の封建意識を打破し、過保護や盲愛の害を話し、科学的な家庭教育のあり方を教えている。

このほか、北京市の中心にある中山公園には、児童の保健と家庭教育の相談所が設立されている。この数年間に、この相談所は三十五万人の親たちから寄せられた質問に回答して、喜ばれている。


子供向けの読み物も最近は充実してきた
子供向けの読み物も最近は充実してきた

親たちの努力

家庭教育研究会の活動によって、多くの家庭の家庭教育が推進された。家庭教育関係の出版物もよく売れている。パパママ学級は定期講座の形でたいていの幼稚園、小学校、初級中学、高級中学の中に設けられている。妊婦には妊婦学級があるが、これは、婦女連合会や保健衛生部門が協力して開いているものだ。

こういう教室を通じて、親たちも、ひとりっ子というものの特徴と、その教育方法を、把握しはじめている。北京の陶然亭小学校のパパママ学級は、一九八四年に成立し、五百人が参加しているが、成立一周年目に、この人たちから論文を募集したところ、『子女教育には他人への思いやりを』『教育は民主的な方法による説得で』など、四百編が寄せられ、新聞に掲載されたものもある。


上海体育師範学校は、中国で始めての、小学校の体育の先生を養成する挙校。未来の先生たちが、お遊戯の練習をしています。
上海体育師範学校は、中国で始めての、小学校の体育の先生を養成する挙校。未来の先生たちが、お遊戯の練習をしています。

私は子供たちに話をきいてみた。「うちのパパは、学級に行ってから別の人のようになった。いまはボクの友達だ。童話やお話で、大切なことを教えてくれるので、おもしろいしよく分かる。話をきいていると涙が出る。ボクも変わったんだよ。うちではわがままで、学校でもいたずらばかりしていたけれど、いまは先生もほめてくれるし、クラスの役員もしているよ」

「わたしもひとりっ子よ。家じゅうの人が大事にしすぎて、甘えんぼでわがままで、なんにも知らない、なんにもできない子だったの。家にお客さんが来ても、あいさつをしないし、おいしいものはいつも自分ひとりで食べていたの。二年生になってもまだパパやママに足を洗ってもらって、服を着せてもらって、ちょっと気に入らないとすぐにふくれて。家じゅうの人がわたしのいうとおりにしてくれるのが当り前だと思っていたから。パパが学級に行くようになって、それがすっかり変わったわ。お行儀よくすることや、家のお手伝いをすることを教えてくれて、自分のことは自分でしなさいといったの。パパのお客さんが来たとき、わたしがお茶をいれてあげたら、大人みたいによく気がつくねとほめられたわ。あとでパパもほめてくれたので、わたし、なんだか急に大きくなったような気がしたの。そのときから、わたしは変わったみたいよ。いつか、パパが出張でるすのときに、ママが病気になったの。そのとき、朝早く起きて、わたしはインスタントラーメンを食べてね、ママには茶碗蒸しを作ってあげたの。ベッドの所へ持って行ったら、ママはいきなりわたしを抱きしめて涙を流したの。なぜ泣くのときいたらね、うれしかったんだって」

学校の努力

百万荘小学校でも、この数年らい、ひとりっ子の弱点を改めるために努力しているそうだ。

今年の元旦を私はこの小学校で過ごしたが、それは賑やかだった。なぞなぞ、輪投げ、歌、踊り、模型の魚釣り、クイズなどの遊びのほかに、クラスごとの会食もあった。持ち寄りでやっているクラスもあったし、先生も生徒もいっしょになって餃子を作るクラスもある。餃子は中国の祝日にはつきものだが、大人でも皆がみなできるとは限らない。それが、ひとりっ子が大部分だというこのクラスでは、子供たちが小さい手で皮をのばし、あんを包み、慣れたものである。

百万荘小学校にも、パパママ学級があるが、このほかに各クラス別に父兄の互選による家長委員会というのがあって、学校と父兄の間のパイプ役として、学校側と話し合ったり、担任の先生とひとりっ子の教育を考えたり、父兄と教育の経験交流をしたり、随時、活動している。


ひとりっ子だけど、餃子だってできるんた。
ひとりっ子だけど、餃子だってできるんた。

両親を亡くした楊明麗は、馬鳳琴先生をお母さんのように思っている。
両親を亡くした楊明麗は、馬鳳琴先生をお母さんのように思っている。

百万荘小学校3年2組の、先生と家長委員によるひとりっ子教育研究会。
百万荘小学校3年2組の、先生と家長委員によるひとりっ子教育研究会。
 

多くの学校でも、ひとりっ子向けにさまざまな対策を考えている。例えば新入の一年生には、服を着る競争、靴のひもを結ぶ競争、えんぴつを削る競争など、自分のことは自分でする能力を早くつけさせる遊びがある。子供の年齢別心理とか、各クラスの具体的な状況に応じて、遊びを通じての教育が、ほかにもいろいろ考えられている。

百万荘小学校では、「愛」とか「お年寄りのために」とか、テーマをきめて行事をすることもある。

「愛」をテーマにした会のときのことだ。馬鳳琴先生のクラスに、転校生で楊明麗という十一歳の女の子がいた。

この子の母は三つのときに、父は四つのときに亡くなり、遠い親戚の間を北京から河南、河南から北京と、じゃまもの扱いされながら転々としていた。この学校に来てからも、楊明麗は一日じゅう教室に座ったまま、物も言わないし、ほかの子と遊ぼうともしない。この子の小さい人生の「辞書」には、愛とか、よろこびとかの語彙が入っていないようだ。

この日、馬先生は楊明麗の不幸な境遇を皆に話した。子供たちは涙を流して同情した。相談して、楊明麗の誕生日に、また、愛をテーマにした集まりを特別に開くことになった。

当日、正面の黒板に愛という字を赤で大きく書き、教室の中央に机を集めて、その上に、皆が家から持ってきたキャンデーで、おたんじょう日おめでとう、の図案と文字を作った。

バースデーケーキもあった。これは、ある父兄が特別に注文して、子供に持たせてきたものだ。子供たちは、お祝いの絵とか、お祝いのことばとか、めいめいが小さなプレゼントを用意していた。馬先生と数学担当の先生は二人で綿入れの上着を縫っていた。クラスの全員にも一針ずつ縫わせた。学校からのプレゼントは制服だった。

この日の会には、西城区の区役所、民政局、青年団、区の出張所、居民委員会などの代表が招かれて出席した。

区長は党と区役所を代表して、誕生日を祝い、今後、楊明麗に毎月二十五元を区から支給することになったことを発表した。

楊明麗は、部屋じゅういっぱいの、皆の笑顔とプレゼントの中で、泣いてしまった。

「党と祖国と先生がわたしのお母さん、クラスのみんながわたしのきょうだいです。きょう、わたしは世の中でいちばん大切なものを、いただきました。それは愛です。わたしはいまとてもしあわせです!」

このときの会で、楊明麗はもちろん、その場の子供も大人も、愛の重みを改めて感じたわけだが、百万荘小学校では、このようなテーマの会を定期的に開くほか、課外活動として社会見学や社会調査も始めている。

このほかにも、以前から続いているもので、「お年寄りのために」と名付けた「老人楽」という活動がある。お年寄りのためになにかよいことをしましょう、というもので、子供たちは、春と秋にお年寄りといっしょに郊外へ遊びに行ったり、いっしょに運動会をしたりしているが、これは、子供たちの知識を増やし、品性を高めるのに役立っている。

私の見るところでは、学校、家庭、社会、三位一体の教育ネットワークがいま形成されつつあるようだ。

中国のひとりっ子の教育問題は、どうやら、医者がさじを投げるほどの頑固な病気にはいたらないですむようだ。いやそれよりも、社会全体で取り組んで努力しさえすれば、この子供たちは、もっとも幸福で、もっとも希望の持てる世代になるだろう。

関連文章