物価はたしかに上がったが……
先日、東京にいる日本の友人から手紙がきた。長年、北京でいっしょに仕事をしていた人である。「中国で二十年以上生活したが、中国の近年の変化についてはもうあまり分からない。最近は物価が上がり、市民は貯金をおろして物を買っているそうだが、市民の収入や生活はどうなのか」と。
物価の上昇
この友人の気がかりは、ちょうどいま中国でいちばん問題になっていることだ。たしかに中国では近年物価の上昇が激しい。十八インチの中国製カラーテレビが、一九八七年に産地小売値が一三四〇元だったのが、去年の春には一七九〇元になり、品物は店頭から姿を消し、ヤミで三千元になった。一キロが三四·六元だった純毛の毛糸が、いまは九四元。二年ほど前に十何元だった木綿の上着が、いまは安くても二〇元だ。食物も高くなった。去年十月の一キロの値段は、青菜〇·五元、カリフラワー〇·九元、いんげん一元と、それぞれ一昨年より二〇%から五〇%上がっている。鰱魚(れんぎょ)も二·六元から三·六元に、コイも三·六元から五·六元になった。リンゴは値上がり分が〇·六元乃至一·四元、ナシは〇·四元乃至一·二元。初物のミカンはいま一キロ四·四元する。
近郊の農民が自転車の荷台の両わきにキュウリのかごをつけて、自由市場で「安いよ!」と売っている。新鮮な若いキュウリが、一キロ一元でとぶように売れていく。「安いというけれど、国営の店より〇·二元高いじゃないか」「ハハ、オレのは花がついてるんだよ。このトゲトゲを見てよ!それに化学肥料使ってるからね、少しは高くしないと損しちゃうよ」
また、鋼材、木材、セメント、化肥など、生産財である一部の製品は、従来、国家計画にもとづいて公定価格で供給されているものだが、計画を超えて生産した分については市場価格で販売することが許されている。
この方法だと、国から受けた計画を達成したあとは、多く生産しただけ工場がもうかるし、市場の緊急の需要にも間に合う。だが二本だて価格が、悪用されて、公定価格で買ったものを市場価格で売ったり、転売また転売で、値が高くなっていくことがある。これも物価上昇の一因である。
値上がり値上がりで、市民の不満がつのり、「まだこの調子で値上がりが続いたら、生活はどうなるの」と主婦はなげいている。
ふつうの市民の生活
一九七八年を一〇〇とすると、一九八七年は、一人当りの豚肉消費量は一八八·八、卵は二八二、家禽は三八九になっている、果物類は直線的上昇で、スイカを例にとると、一九八五年の北京市民一人当りの消費量は三〇·四一キロ、一九八八年は四三·五キロと、たっぷり食べている。
北京の町を歩くと誰でも、市民の服装が変わったなあと思うだろう。若い女たちの、ファッショナブルな、トータルコーディネイトは、「ニューヨーク五番街なみ」と外国人記者がいうほどだし、男たちも、味気ない「人民服」から、背広やジャケットに移行、スポーティな服装が多い。
市民は、服装に金をかける。先日、北京のギンザ、王府井にある「百貨大楼」というデパートで、展示即売会があったが、八五元から九〇元もする、ベルベットのチャイナドレス一四〇〇点以上が、たちまち売り切れた。ほかにも、ウール地、シルク地、毛糸、毛皮の衣料は、値上がりが続いているが、それでもひっぱりだこだ。衣類消費の半分は、こういうもので占められているそうだ。
だが、家庭消費の中で金額の首位はやはり家電、家具の類だ。十年前は、腕時計、自転車、ミシン、ラジオが「四種の神器」だったが、いまではもう「老四件」といわれている。それに代わる「新四件」は、テープレコーダー、モノクロのテレビ、洗濯機、電気冷蔵庫だったが、近年はそれも「老」になりつつある。ゆとりのある世帯は、カラーテレビ、全自動洗濯機、ダブルカセットのラジカセ、ビデオ、二ドア冷蔵庫にとりかえているからだ。
北京市統計局が、一千世帯を対象に普及率のサンプル調査をしている。それによると、一九七八年には、百世帯あたり、自転車が一三五·八台、ミシン五八·六台、扇風機四台、テレビ一九·二台で、洗濯機や冷蔵庫はまだ家庭に入っていなかった。それが一九八七年になると、自転車二一〇·九、ミシン七一·五、扇風機一〇八·一、テレビ一二八·九、冷蔵庫七一·五となっている。
家具も様変わりして、ギリシャ調、ドイツ調、イタリア調とけんらんなユニット家具が全盛で、洋服ダンス、整理ダンス、ワインボードなどはもうお払い箱だ。農村から回収業者が来て買って行き、手入れをして農家に売り、商売繁昌である。
一組の夫婦に子供は一人という政策の下で、親たちは一粒種に投資を惜しまない。知力投資というわけで、図書、画集、バイオリン、エレクトーンはもうあたりまえ、何千元もするピアノがどんどん普通の家庭に入って品切れになっている。日本にもこういう時代があったようだが。
物価が上がっているのに、なぜ市民の衣食がどんどん良くなるのか?それは収入の増加と関係がある。一九七八年から何回か給料の引き上げがあった。私の場合は五六元から一三四元になった。これが基本給で、ほかに副食品、物価、交通などの手当が三〇元から四〇元ある。このほかに各工場、企業などでは、本人の成績に応じて手当を出したり、保健衛生費、図書費、福利費を出したりするので、それがかなりのウエートを占めている。浮動式賃金制を採用している所もある。こういう固定給以外の収入は、全収入の半ばを占め、もっと多い場合もある。
一九七八年の、北京のサラリーマンの年収は三六五·四元だったが、一九八七年には一一八二元となっていて、物価上昇分を控除しても、実際の生活水準は倍以上になっている。それで、上昇する物価の中でも、市民生活は上昇を続けているのだ。
心配なこと
もちろん、いまの中国には心配なことがいろいろある。異常と思われる消費の加速もその一つだ。
ソ連や東欧では、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、テープレコーダーは、十年かかって普及した。この諸国にくらべてまだ基礎の弱い中国で、それが三、四年で普及してしまったのだ。一九八七年に中国の家庭が保有していた「新四件」は、先進国の、一人当りの年収が一五〇〇米ドル時代の普及水準を、はるかに上まわっていた。しかも、いまの中国の一人当りの収入は、まだ四〇〇米ドルに達していないのだ。
それでも、目下の高級志向は依然として消費をヒートさせている。例えば結婚の場合である。私が結婚した一九七〇年代には、どうしても必要な寝具、食器、衣類は買うが、家具は勤め先から貸与されたものだけ、近しい人にキャンデーを配ってそれでおわりだった。三百元か四百元ですんだ。ところがいまはミエの張り合いた。まず「新四件」をそろえ、その上「シモンス」とよばれる高級ベッドとユニット家具、あらゆる四季の衣服、凝った照明器具、ティーセット、キッチン用品がなくてはならない。さいごに、何テーブルかの豪華披露宴とくれば、八千元から九千元、いや一万元を超えてしまう。かくて双方の蓄積はゼロとなり、その上に負債がズシンと。収入を超える水準、国の実情に合わないぜいたくぶりは「社会公害」になっている。
物価上昇で生活が苦しくなった世帯も、もちろんある。家族が多いのに働き手が少ないとか、給料が低い上にそれ以外の手当などが少ないとか。小、中学校の先生、医療関係者、公務員、それに企業が経営不振で手当がもらえない人や、基本給だけしかないレイオフの人、年金生活の人など、生活はきびしい。
一九八七年の統計によると、物価の上昇で、都市住民の二一%の世帯は生活が下がっている。その中の一〇%は、月平均一人当りの収入が四二·六四元しかない低所得世帯だ。これは平均収入の四九%だから、かなり苦しい。だが、こういう人たちに対しては勤め先から補助が出るし、居民委員会などからも救済金が出ることになっている。