住民とパンダの心の触れ合い

2023-05-26 16:24:00

村人の家にパンダがご訪問
村人の家にパンダがご訪問

蜂桶寨(フォントンヅァイ)は四川省宝興(バオシン)県の小さな山村だ。住民が木の桶を使って蜂を飼っているので、この名がついた。ずいぶん前からパンダが自由にこの村に現れ、気ままに人家を訪ねて餌を探していることで、すっかり有名になった。一九七九年に宝興県に四万ヘクタールのパンダ自然保護区が設けられたときにも、この蜂桶寨の名が選ばれた。蜂桶寨自然保護区はパンダが比較的に集中して生息している邛崍(チュンライ)山脈の中ほどにあり、その周囲の十一の郷鎮、五十四の小さな村に住む人々は、誰でもパンダの保護にまつわるエピソードを持っている。

八〇年代の初め、寒波のためヤダケが枯れてしまい、飢えにかられたパンダが次々と里へ下りてきた。ある日、二匹の腹をすかせたパンダが、ある農家のトウモロコシ畑までやってきたが、家族の人たちは飼い犬までつないで、パンダがトウモロコシの実を腹いっぱい食べ終わるのを黙って見守った。その後、すっかりお馴染みになったパンダもいて、トウモロコシのかゆなどをご馳走になったという。

ある年の春節のこと、ある農婦と子どもが柴を刈って山を下りる途中、川の浅瀬に落ちた一匹のパンダの子が懸命にそこから這い上がろうとしていた。農婦は子どもを村へ走らせ男の人を呼びにやらせたが、新年のあいさつ回りに出かけて誰も見当たらない。そこで、彼女は泳ぎはできなかったのに、柴を束ねていた縄を解き、一方を岸辺の木に、もう一方を腰に結んで冷たい川に飛び込み、凍えきっていたパンダの子を岸まで引き上げた。家に着くと彼女はびしょぬれの自分にはかまわないで、火をおこしてパンダを暖め、砂糖湯やトウモロコシのかゆを一口ずつ与えた。数日後、パンダの子は元気を取り戻し、県政府まで届けられた。

九三年の年末、ある男性が道路で通りかかった車を止めた。山で病気になっていたパンダの子を見つけ、胸に抱いていたのだ。運転手はすぐにオーバーを脱いでパンダをくるみ、県の病院に運んだ。このパンダはいくつかの病気にかかっており、排便がないのが病状を悪化させていた。医者たちは熱いタオルでパンダを暖め、排便できるよう手助けしてやり、最高の薬を与えて治療に当たった。病状の好転後、パンダは自然保護区管理センターに送られた。


パンダの保護に当たる係員がパンダをかついで川を渡る
パンダの保護に当たる係員がパンダをかついで川を渡る

王顕清さんがパンダのためにトウモロコシの菓子づくり
王顕清さんがパンダのためにトウモロコシの菓子づくり

「誰かいる?」と山を下りてきたパンダ
「誰かいる?」と山を下りてきたパンダ

蜂桶寨自然保護区周辺の人々とパンダには、長い歳月にまつわる因縁がある。世界でパンダが最初に発見されたのは、この宝興県だった。一八六九年、フランスの神父で生物学者でもあるダビッドが穆坪(ムーピン)(現在の宝興県)の鄧池溝(ドンツーゴウ)天主堂付近で一匹の黒と白のまじったクマに似た動物を捕らえてパンダと名づけ、世界で異常なパンダ熱が高まった。一九五七年から八二年までの間に、中国政府は国からのプレゼントとして九つの国に二十三匹のパンダを贈ったが、うち十六匹が宝興県のパンダで、日本に贈られた蘭蘭(ランラン)、康康(カンカン)、歓歓(ホァンホァン)の故郷も宝興県である。

パンダの生存能力はすこぶる弱い。山中ではヒョウやイノシシなどの天敵がいるほか、数十年に一度は食料の竹が周期的に枯れるという災害にも脅かされている。母のパンダの子育ての能力にも差があって、二匹を生んでも母親は一匹しか育てられないとなると一匹を見捨ててしまう。またパンダは病気に弱く、肝炎、回虫病、胃腸の疾患にかかりやすい。

蜂桶寨自然保護区管理センターには、パンダの救急室と飼育場がある。八三年以降、この地域で三十二匹のパンダの命を救い、うち十六匹は再び自然のもとに返してやった。いまセンターには二匹のパンダがおり、その一匹は先に紹介した九三年の年末に助けられ、今では三歳になる遥遠(ヤオユアン)である。飼育員の王顕清(ワンシェンチン)さんは耳と口が不自由だが、パンダの飼育の日課を懸命につとめ、パンダの良き友人である。

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