ここまで来た「農業革命」
耕地少なく、人多し。これは中国が長年抱えてきた大きな問題だ。中国の人口は世界の二二%を占めるのに対し、その土地は世界の七%しかない。改革開放政策が始まる前、約六億の農民が日々田畑を耕していたにも関わらず、食糧問題は一向に解決する兆しが見えなかった。
こうした状況に大きな変化が現れたのは、一九七〇年代末のことだ。生産請負制の導入で農民たちの生産意欲は大いに刺激され、優良品種の導入や温室栽培の実施など、新しい農業技術が積極的に取り入れられるようになった。これにより生産効率は目覚ましく向上し、中国はついに食糧不足の心配から解放されたのだ。
しかし、その後の市場経済の発展は、個々の農家を単位とする小規模生産の限界を露呈し始めた。穀物も食肉も簡単には売れなくなり、増産が必ずしも増収につながらなくなってきたのだ。そこで多くの農民たちは結束し、農業経営を企業化することで、市場の変化に対応する道を探り始めた。資金や技術、情報を集約し、生産、加工、販売を一体化させる動きが生まれたのだ。こうした「農業の産業化」の波は農村に眠っていた力を掘り起こし、ここから新たな発展が始まろうとしている。
特集①
メタンガスで生態農業 広西·恭城ヤオ族自治県の場合
中国屈指の観光地·桂林から東南へ八十キロ行ったところに、かつて恭城県と言っていた恭城ヤオ(瑤)族自治県がある。二十七万八千人の人口のうちヤオ族が五二%を占める。昨年秋に桂林を訪ねたとき、この自治県では農家がメタンガスを使って生態農業を興し、それによって薪の消費量を減らし、荒れた山を緑化し、無公害の果樹園をたくさん造り、衛生条件を大きく改善したという話を聞いた。私たちは大いに興味をそそられ、寄り道してこの県を取材することにした。
自然保護にも一役買う
県政府新聞弁公室の楊牧竜さんの案内で、恭城の町から二キロ離れた江貝村にある竜基民さん(六十六歳)の家を訪ねた。竜さんはエンドウ豆の棚の下でネーブルや蘆柑(ミカンの一種)を詰める保鮮箱を点検していたが、私たちを見てさっそく厨房に通してくれた。厨房と言っても三十平方メートルほどあり、ソファーや茶卓も置いている。厨房は応接間も兼ねているのだ。
竜さんはメタンガスを大いに活用している農民の一人だ。密閉したコンクリートの池に人間や家畜の糞を流し込んで発酵させると、無色無味のクリーンな可燃ガス、メタンガスが発生する。竜さんはこのメタンガスをホースでかまどに送って燃料にしている。ホレこの通りと、コックをひねってマッチで点火したら、たちまち青い炎が燃え上がった。雪の降らない南国ではあるが、冬場の低温はメタンの発酵を弱めがちだ。そのため竜さんはトイレと豚小屋の下に八立方メートルのメタンガス生成用の溜め池を作った。スペースをとらないばかりか、地温で溜め池が温められるので、メタンの生成量も増える。二つのブタ小屋は、毎日メタン液で洗ったあと清水でもう一度洗う。これで水が節約され、同時にメタンの濃度が高くなり、溜め池のメタン生成量も増えるというわけだ。
メタンガスを使っていなかったころは大変だった。竜さん一家は四人家族だが、毎年トラックを借りて山に行き、一年に使う二トンほどの薪を千五百元で買っていた。薪を買えない人は、数日置きに山に出かけ、木こりたちと一緒に木を切って薪をもらった。こうして近くの山から遠くの山へ、だんだん緑が減り禿山が増えていった。それだけではない、川がだんだん浅くなり、ついに干上がってしまう川も出現した。しかし、メタンガスを使うようになって薪は不要になった。金と労力が省け、山々に緑が戻ってきた。
メタンガス用溜め池の中のメタン液とメタンかすは、上質の有機肥料だ。竜さんは地下にパイプを引いて、果樹園に掘った溜め池にメタン液を流し込んでいる。春になって、まず果樹が新芽を吹くころにメタン液を噴霧器で吹きかける。若葉のころ、開花期、果実の実り始めのころ、そして熟成期と、都合五回メタン液を吹きかける。秋、果実を収穫した後、溜め池のメタンかすを掘り出し、元肥(もとごえ)として果樹の根元に埋める。
メタン液とメタンかすのおかげで、四ムー(一ムーは約六·七アール)の果樹園からとれるネーブル、蘆柑、沙田ザボンは計六トンの増産となった。しかも実が一回り大きく、糖分が多く、酸度が少ない。もっとありがたいのは、メタン液を吹きかけた果樹は病虫害が発生しないので農薬が要らない。化学肥料や農薬を使っていない無公害果物は売れ行きがよく、一キロ当たり〇·三元以上割高になっているにもかかわらず、ベトナムや東南アジアからも買い付けにやってくる。
メタンガスを利用した生態農業によって村人たちは豊かになった。竜基民さんは九七年の家計簿を取り出し、こんな数字を紹介してくれた。果物の収穫量が十六トン、その収入が三万二千元、ブタ十二頭を売った収入が千四百元。ほかに米や野菜もある。薪や化学肥料や農薬などの代金四千元が節約されたので、九七年の純利益はざっと三万二千元あまり、家族一人当たり八千元に上った。
ご飯が臭くならないか
竜基民さんの家を後にして、十六キロ離れた平安郷北渓村に向かう。道沿いに広がる黄金色の水田、緑の果樹園や農家の庭を飾る金色の干し柿などを眺めていると、なにか胸に迫るものがあった。
案内役の楊牧竜さんは、メタンガスを導入するまでにはこんなことがあったんですよ、と興味あるエピソードを教えてくれた。
かつて恭城は、広西チワン族自治区の四十九の貧困県の一つだった。県の面積二千百四十九平方キロの七一%は山と丘だ。農村の体制が不安定で、山林政策も実施されていなかったため、人びとは目先の利益を求めて山に入り木を切った。そのあげく沢山の禿山が生まれ、重大な結果を招いた。土壌の流失がひどくなったため、飲料水も確保できず、薪の不足がさらに深刻化する。木こりたちはますます遠くの山に行くようになり、半分の労働力を薪とりに取られる村も現れた。
一九八三年、赴任したばかりの粟雲飛·共産党恭城県委員会書記は、こうした状況を見てメタンガスの利用を提唱した。薪の代用にするだけでなく、牧畜、農業、果樹園、山の緑化にも役立てようというのだ。彼は平安郷の黄嶺村をモデル村に指定した。一人平均年収がわずか五十三元という、県内でもとくに貧しい村だったからだ。
県政府と銀行の援助によって、その年のうちに十数戸でメタンガス生成用溜め池が作られた。メタンガスの効用をわが目で確かめると、ほかの人もまねるようになった。三年たたないうちに、百三十一戸の村に百二十八の溜め池ができた。メタンガスが薪に代わり、山に入る必要はなくなった。
しかし隅県が普及を呼びかけた当初は、なかなか信用されなかった。ブタの糞はとても臭い。そんなものから出るガスが、いったい燃料になるのか。そんなガスで炊いたら、臭いご飯ができるだろう。実際はどうなんだと、栗木鎮大坪村は八人の代表に米を持たせ、黄嶺村で一泊させた。代表たちは注意深くメタンガスのにおいをかぎ、メタンガスで炊いた飯を三回食べてようやく納得し、大坪村もついに溜め池作りにとりかかったという。
それから十五年、いま恭城県には三万二千六百もの溜め池ができている。この数字は総戸数の六二·五%に当たる。今後も毎年三千ずつくらい作られる見込みだ。これによって節約された薪が一戸当たり年約三トンとすると、毎年約四万ムーの山林が破壊を免れた計算になる。一方植林も続けてきたので、九七年末現在、県の森林面積は率にして七三%に達した。またメタンガスによって養豚業も大きく発展し、九七年に販売されたブタは五十三万八千頭に上った。ブタの増加は肥料の増加を生み、果樹栽培が盛んになった。九七年末には果樹園の面積は二十五万ムー、果物の生産量は二十一万三千トンに達した。
現在、恭城県では「一つの池に四つの小」が合言葉になっている。つまり各戸がメタンガス生成用溜め池一つを持ち、これを利用した家畜や家禽の小養殖場、小果樹園、小養魚池、小ビルディングを作ろうというのだ。
北渓村に着いた。山間地帯が半分というヤオ族の村で、九百六十七戸、四千二百人が、四千ムーの水田と四千六百ムーのトウモロコシ、サツマイモ、ラッカセイなどの畑と四千五百八十ムー余りの果樹園を管理している。
この村の劉玉民さんの家を訪ねる。三棟の家屋が山に沿って「凹」字形に建っている。西側の低い平屋は昔からの古い家、真ん中は六〇年代に建てた二階建てだが、この二棟は穀物と果物の倉庫に使われている。二年前に建てた東の棟が、今風の設計でタイル張りの三階建て。「四つの小」の一つ、小ビルディングのモデルがここにあった。
庭や果樹園を案内しながら、主人の劉さんは言った。「あのビルを建てられたのも、メタンガスと果樹園のおかげですよ」
(本誌·丘桓興)
特集②
ハイテク活かして集約農業 北京市四季青郷の場合
昨年、日本に住む私の母が初めて北京に遊びに来た時のことだ。「北京の食料事情を見てみたい」というので、「近くのスーパーマーケットに案内した。生鮮食品コーナーにはミニトマトや丸々としたナスなど、様々な野菜が溢れるように並んでいた。目をまん丸くしながらそれらを見ていた彼女は、赤いピーマンを手に取り「私が通っているスーパーにもこんな野菜はないわよ。日本であんたの食べ物の心配をしてたのが馬鹿みたい」と言って笑った。
私自身も北京で生活を始めたばかりのころ、野菜や肉類の豊富さに驚き、売場の責任者をつかまえて質問したことがある。彼はそれらの食品のほとんどが北京近郊の農場から出荷されており、一年を通じて供給が可能だということを紹介してくれた。
大都市北京の周辺で、一体どんな農業経営が展開されているのだろう? その時以来、いつかこの目で確かめてみたいという思いが私の胸の中にあった。
若い頭脳が農業を変える
北京の市街地から車で西に三十分ほど走ると、高層のビルが消え、ポプラ並木の外に畑が広がり始める。ここが北京の人なら誰でも知っている「四季青」だ。
四季青は、冬の酷寒期に皇帝に新鮮な野菜を供給してきたことで昔から有名な場所だ。オンドルの上に土をひいたり、南向きの斜面に北風を防ぐ柵を設け、その下に穴を掘るなど、様々な工夫を凝らして野菜を育てたのだという。新中国成立以後も、北京近郊で生産量の最も多い農村地帯として名を馳せてきた。
この四季青で昨年二月、先進の農業技術の実用化と普及を目指して開業したのが北京錦繍大地農業股份有限公司だ。約百二十ヘクタールの敷地に、百を超える温室、計二十ヘクタールの果樹園、七ヘクタールの鮮花栽培園などが連なる。農場内に点在する近代的な建物には、事務室や先端技術の研究·実験施設などが入っている。
同公司の資本金は一·八億元で、北京市内の農業·金融分野の企業と政府系研究機関など九団体が共同出資した。今年の年末までに総投資額は約五億元に達する見込みだ。国や市は直接経営に関与していないものの、同公司の李加聯·総経理秘書は「政府も私たちの取り組みを重視しており、税や資金貸与の面などで優遇してくれています」という。
三百人余りの職員が働いており、そのうち約半数が農学関連の学問を専攻した大卒者。修士や博士も十人以上いるという。職員の平均年齢は「三十歳以下」(李秘書)という数字から、この会社の「若さ」を感じ取ることができるだろう。
新しい農業技術の研究開発は、こうした若い研究者や技術者たちの手により進められている。例えば、野菜と花卉(かき)の栽培を担当する「種植部」。遺伝子操作による寒さに強い種子の開発のほか、クローン技術による優良種子の複製にも着手しているという。
土壌を使わない水栽培も興味深い。二千平方メートルの温室全体が浅いプールになっており、水面いっぱいに各種の野菜の苗が浮いている。水の中には魚が泳いでいて、その排泄物が水に溶けて苗の栄養になる。「この農法を使えば、土壌の質に左右されることがありません」と、李秘書。これにコンピューターによる徹底した温度·湿度の管理を組み合わせることで、一ムー(六·六七アール)あたりの生産量は一般農法の三十倍から五十倍になるという。
同公司が生産する野菜·花卉は、毎日約五トン。その大半が北京市内のホテルやレストランに出荷されている。八月初旬には計一·四ヘクタールの温室が完成する予定で、それにより生産量はほぼ倍増するという。
もう一つ、先端の技術を活用している部門として「養殖部」がある。体外受精などの発生工学技術を活かし、肉用の牛と羊の生産効率を上げるための研究を続けている。
研究拠点となっている胚胎センターには、欧米各国から輸入した優良種牛がつながれている。中でも目を引くのはカナダ産の四歳の牛。体重千六十二キロもあり、その巨体は近くで見るとまるで壁のようだ。中国産の肉牛は大きいもので体重五百キロというから、単純計算で言えばこの牛からは約二頭分の肉が取れるということになる。
ところで、中国で最も一般的な肉と言えば豚肉だが、ここでは豚の姿が見えない。気になって李秘書に尋ねてみると、「これから需要の増加が見込めるのは、牛肉と羊肉なんです」という。同公司によると、欧米や日本などでは近年、高級な牛肉の需要が急速に伸びている。また、中国国内でも洋食の普及や栄養価に対する消費者の理解が深まるにつれ、高級な牛肉や羊肉の需要が伸びており、供給が追いついていない状態だというのだ。こんなところにも、中国の庶民生活の変化が現れてきている。
同公司は現在のところ種牛、種羊の生産に力点を置いているが、将来的にはここで大規模な肉用の牛と羊の生産·加工を展開。国内外の市場に出荷していく計画だ。
農業改革の旗頭に
同公司は開業以来、「農業の産業化、現代化」というテーマを掲げている。昨年二月の開業から一年間の売上高は約一·五億元を記録。職員一人あたり、平均で約五十万元の売上げを生み出した計算になる。一方、一九九七年の北京の農民の平均年収は約四千三百元(全国平均は約三千元)。単純な比較はできないとは言え、先端技術の導入と集約的な生産方式の効果の大きさは明らかだろう。
中国の農業全体の底上げには、こうした技術や生産方法の普及が欠かせない。そこで同公司は「技術訓練サービスセンター」という部門を窓口にして、外部の農業関連機構や一般の農業従事者との交流を続けている。要望に応じて自社で開発した種子や苗、肉牛の精子などを販売。技術者が直接相手の農場に赴いて、技術指導する場合もあるという。
また、国外の企業や機構との交流も続けている。今後は特に無農薬栽培の分野に力を入れていく方針で、日本企業との技術提携に向けて準備を進めているところだ。
話を聞いていると、何ごとも順調に展開しているように見える同公司だが、悩みがないわけではない。李秘書は「今後はより高度な技術の開発·運用が必要ですが、修士以上の優秀な人材が足りない」と漏らす。中国の農業大学や大学院の研究水準は先進国と比べても決して劣っていないものの、人材の国外流失が深刻だというのだ。「私たちが、彼らを引きつける魅力を身につけなければいけません」と、彼はきっぱりとした口調でいった。
中国は成年人口のうち、約半数が農業に従事しているといわれる。しかし、従来の農業の現場は、最新の技術を学んだ人材を受け入れる条件を整えていなかったのかも知れない。農業の産業化、現代化で、そうした人材と生産現場の関係を変えられるのか。これもなかなか興味深い問題だと思う。
農業のイメージ一新
このほかに同公司の取り組みとして特徴的なのは、農場を一般の人々に開放していることだ。農場のほかに、ダチョウや白鳥、ウサギなどがいるミニ動物園もある。
入場料は一人二十元で、開業以来、これまでに延べ三万人以上が訪れた。その大半は、農業とは関係のない普通の市民だという。李秘書は「予想を超える反応でした。高層ビルが並び自動車が溢れる市街地を抜け出して、緑を満喫したいという人が増えているようです」と言う。
同公司の研究施設や事務楼、そして職員の食堂など、主な建物はすべて白壁に赤いトタン屋根の瀟洒な近代建築に統一している。私の見る限り農場内にゴミは一つも落ちておらず、気になる臭いもなかった。
農作業の過酷さを形容する中国の言葉に、「臉朝黄土背朝天」というのがある。「終日腰を曲げて大地と向き合い、背には太陽が照りつける」といったニュアンスだ。日本では何年か前に3K(きつい、汚い、危険)という言葉が流行ったが、中国の人の農業に対する印象もこの「3K」に近いものがある。
李秘書は「今、農業は大きく変わりつつある。一般の人の農業への理解を深め、イメージを変えていくのも私たちの仕事だと思っています」と言う。確かに、中国農業の変化は、店頭に並ぶ食品の増加や多様化を見ても明らかだ。しかし、生産の現場で起きている変化は、大半の消費者の想像を超えていると言えるだろう。
中国の農業のあり方は、日本に住む人々の食卓にも直接的な影響を与える。その意味で、同公司の取り組みは私たち日本人の生活と浅からぬ関わりを持つはずだ。彼らの事業がどのように発展し、ほかの生産者たちにどのような刺激を与えていくのか。今後の展開が楽しみだ。
(本誌·林望)
特集3
盧良恕·中国農学会名誉会長に聞く
とき:1999年6月18日 ところ:中国農業科学院内·盧良恕氏宅 聞き手·丘桓興
―本日はよろしくお願いいたします。昔から中国では「民は食を以って天と為す」、食こそが最も大切なのだ、と言い、人と会ってあいさつするときも「お食事は済みましたか」と言ったものです。中国では十分食べられるか食べられないかが、ずっと大問題だったわけですね。
「二十年」を「六年」で
盧良恕名誉会長 むりもありませんね、それは。ちょっと数字をお見せしましょう。新中国が成立した一九四九年以前は、全国の穀物生産量は約一億トンに過ぎず、「半年は穀物だが、あとの半年は糠と野菜だけ」と言われた。五八年には倍の二億トンになったんですが、文革のような政治運動があったため、七八年が三億トン、つまり二十年かかってやっと一億トンしか増えなかった。改革開放の時代が来て農家の生産請負制が実施されたため、農民の意欲が復活し、八四年は四億トンになった。二十年かかった一億トンの増産を、六年で達成したわけです。
―農産物はすべてが足りないという時代が長く続きました。都会では穀物、食用油、肉など、みんな配給制で、それでも不足がち。ところが今は、もう量の問題は解決され、栄養のバランスなどが重視されています。
盧 中国は、人口が多い割に可耕地が少ないですから、飢えの問題を国民的レベルで解決するというのは決して容易ではない。中国は世界の七%の土地でもって世界の人口の二二%を養っている。この問題は八四年秋に初めて私が提起したんですが、世界的な関心を呼びましてね、後に私は日本やアメリカで「中国の食糧自給の道」という講演をしました。
科学技術で大きな進歩
―農業生産が増加したのは、生産請負制のほかに、科学的進歩も重要な一因だったのでは?
盧 そうです。「科学技術は最高の生産力である」という鄧小平の言葉は、農業についても言えます。たとえば有名なイネの専門家である袁隆平さんが育成した交雑水稲です。延べ三十億ムー(一ムーは約六·六七アール)以上の稲田で栽培して一ムーあたり平均五十キロ増産となった。全体では一億五千トンですよ。江蘇省の若手技術者も、粘り気が弱くて収穫量の多い籼米(せんまい)(ウルチの一種)と粘り気が強くて収穫量の少ない粳稲(こうとう)を交雑させて好結果を出している。交雑油菜(アブラナ科の野菜)、交雑綿花、交雑コムギなんてのも期待十分です。
―気球や人工衛星も利用して、五十一の作物の三百品種について宇宙育種の実験を続けた結果、一個六百グラムもある宇宙ピーマンとか、モチゴメの遅場米が一ムーあたり五百キロ近くとれたと聞いています。それからいま先生がおっしゃった袁隆平さんは、十九種の交雑水稲を衛星に乗せて実験されるそうですね。
盧 宇宙育種は顕著な効果を上げていますが、現時点では理論的にもう少し課題が残っている。それよりもマルチ農法がすごい。中国の北方は乾燥地帯で、水に恵まれない。そこでこの技術が二十年くらい前からまず野菜に適用するようになり、トウモロコシ、コムギでも使うようになった。九四年に数百ムーで試験したコムギが一ムーあたり百キロ増産となったので、九五年は五万ムーに、九八年にはついに八百五十万ムーにまで増やした。中国北方の十いくつかの省と自治区ではすでに約一億ムーで実行していますが、全面的にこれを普及させれば、もっとすごいことになる。
―つい一昔前まで、北方では秋の終わりに大量のハクサイを貯蔵し、それにいくらかのジャガイモやダイコンを加えてじっと春を待つという、まことに味気ない冬を越していたわけですが、今は一年を通じて新鮮な四季の野菜がいくらでも食べられます。これはやはりビニールハウスのおかげですね?
盧 野菜の温室栽培の技術は、七〇年代後期に日本から導入したものですが、今では全国でやっている。あの「世界の屋根」と言われるチベットのラサでさえも、です。総じて言えば、この二十年で農業は科学面で大きな成果を上げ、受賞件数は二万件を超えた。応用範囲を広げ、巨大な経済効果を上げた。ほんの一例ですが、近年中国では穀物の作付面積を一億五千万ムー減らしたにもかかわらず、総生産量は四億トンから現在は四億九千万トンに増えた。タマゴと肉類の生産量は世界一で、一人平均消費量はそれぞれ四九·五キロ、一六キロ、八〇年に比べて四倍と七倍に増えている。
―農業科学はまだまだ発展しますね。
盧 先進国に比べてわれわれは、まだ基本的には伝統農業の粗放経営から脱してはいない。先進国では科学技術の貢献率は七〇ないし八五%にも上っていますが、中国では四二%に過ぎず、一刻も早く追いつかなくてはならない。各方面に課題が山積しています、たとえばバイオ、光合成、チッソ固定、病虫害とか水害に強い抵抗力のメカニズム、雑種強勢の利用、さらには土壌の肥沃度を高めること、水資源の効果的利用、栽培や養殖技術のレベルアップ、農産物加工の改良、貯蔵、伝統農業の現代化のスピードアップ……
伝統農業に農民の知恵
―伝統農業にはもう何も見るべきものがないんでしょうか。
盧 そんなことはありません。陜西省の渭北地区では、ムギの刈り入れのあと畑を犂(す)きかえし、雨の多いこの時期にしばらく雨水を土にしみこませ、ムギわらや近ごろではマルチフィルムで畑を覆って水分の蒸発を少なくし、それからトウモロコシなどを植え付け、秋に収穫する。これで一ムーあたり三百キロの収穫があり、さらに来年春のために水分を保ち続ける。いわば土そのものを貯水庫にしているわけで、人工の大ダムや森林の保水力と比べてもそん色がない。
―数千年の知恵ですね。
盧 またこういう事実もある。中国の農民は、昔からウシやブタ、ニワトリ、アヒルなどを飼ってきたわけですが、これで耕作に必要な畜力を確保し、収入を増やし、畑に肥料を提供してきた。農民は、厩肥を与え、青草を刈って緑肥を作り、麦わらを畑に返すなど、いろんな工夫をしている。こういった有機肥料が土壌の肥沃度を大いに高めているわけですね。
―それで思い出したんですが、地方によっては、手間を省くため地面で麦わらを焼くものですから、煙や灰が広がって環境を汚染している、ひどいときは飛行機の離着陸にも影響することがあると聞いています。で、国も麦わらを焼くことを禁止し、刈り入れにはコンバインを使い、麦わらは裁断して畑に返すよう指導していますね。
盧 とにかく人間は多いのに土地が少ないですからね、伝統農業の間作や混作は耕地を十分に利用しているわけです。間作というのは、一つの畑に二種類あるいはそれ以上の作物を植えるやり方。混作は、いま植えている作物の収穫前に次の作物を畝に植えるやり方。茎の高いものと低いもの、好天を好むものと雨天を好むもの、根が深いものと浅いものなどをうまく組み合わせ、生長期や肥料も変え、入念な耕作によって収穫を増やそうというのです。
―土地の活用といえば、広東省の珠江デルタでおもしろいことをやっていますね。池で魚を養殖し、池のほとりにクワや果樹を植え、その周囲で稲作をやっているんですが、クワの葉をカイコが食べ、カイコの糞を魚が食べ、池の泥を田んぼに入れて肥料にする。クワが茂る、カイコが育つ、魚が肥る、良い泥が出来るからクワがさらに茂る、稲がさらに良く育つ。まことに良く出来たサイクルで、みんな「生態農業」とか「立体農業」と言っています。
盧 この種の伝統農業は、水陸の資源や農作物の助け合い関係を巧妙に利用しているんです。だが家庭規模ではそれぞれの自然条件に応じた経営が可能ですが、それ以上に発展した農業とはならない。
産業化はまだ発展途上
―確かに、家庭単位の小規模生産は大市場には適合できませんね。市場の変化はなかなか予測が困難ですから、出荷して買いたたかれることもある。
盧 現代の農業は、産業化の方向に向かっています。農産物は市場で商品とならねばならないだけでなく、付加価値を高めて農民の収入を増やさなくてはならない。外国では、一元の農産物を加工して四元の商品に変えているんです。
―現在各地で農民が共同経営組織を作って、産業化された経営をめざすようになりました。
盧 「農業の産業化」というのは、山東省の諸城市で言い出した言葉です。九二年に諸城で石材掘りをやっていた数人の農民が荒山開発専業合作社を作り、共同生産·共同販売方式をうまく採り入れて、好成績を収めた。で、ほかの農民も、生花や食用キノコの栽培とか木材の加工とかの専門の合作社を始めたんですね。市政府も、これは農業の生産と加工と販売を有機的に結合させ、農村の市場経済を発展させるものであると考え、「農業の産業化」と名づけて大いに奨励するようになったわけです。
―多くの企業が農村の産業に注目し、個々の農家や合作社といろんな契約を結ぶようになりました。たとえば瀋陽の藍田グループは、湖北省·洪湖地区の三十カ村に投資し、野菜、飼料、水産物の生産基地を作りました。その面積は一万三千ヘクタールもあり、公司は生産だけでなく販売やその他の業務もやっている。そうして九七年の売上が五億八千万元、納税額は一億七千八百万元にもなったそうです。
盧 河南省でも、二つの肉加工業者がパイオニアとなって、一年に数百万頭のブタをつぶし、売上高は三、四十億元にも上っている。農家は後顧の憂いなくブタを飼うことができるわけです。この、企業プラス農家プラス基地という仕組みは、資金、営業、情報などで他をリードしているので、いち早く規模の拡大に成功し、市場を占領しています。
―一口に組織と言ってもいろんな形態がある。公司プラス農家、公司プラス合作経営組織プラス農家、専門市場プラス農家、さらには研究所·大学プラス農家など。しかし生産、加工、販売を一体化した経営という点では共通しているんですね。
盧 四川省などには、株式会社方式を採った農村専業技術協会がありますよ。少数の株を買って自発的に加入した農民が、協会の指示によって栽培、養殖、加工、運送などを分担し、協会は農家に代わって販売し、技術や情報を提供する。協会の主体は農民なので、協会は農家のために奉仕することをモットーとし、危険負担も利益享受も共同で、農民がもらう株主配当も相当な額に上っています。たとえば四川省隆昌県の家禽技術協会です。一万八千戸の家禽飼養専業農家が入会していて、食用家禽の年産量は三百五十万匹に上る。さらに孵化(ふか)·育雛(いくすう)やヒナの販売も請け負い、生産から加工、運送、販売、技術、情報までを一体化した現代的家禽産業で、九八年の売上は一億八千万元、利潤が二千二百万元で、農家に大いに喜ばれた。こういう協会が現在全国で十三万あり、会員数五百八十万人、関係農家は千百六十四万戸でこれは全農家の五%を占める。先進技術を応用し市場に適応するこの種の経済技術合作組織が、無数の小生産単位を千変万化する大市場に連結させ、農業の商品化、専業化、現代化に向けて発展させているんです。
中日交流の回顧と展望
―そういう協会の話をうかがっていますと、日本の農業協同組合を連想するんですが……
盧 日本の農協とは違うんです。私は、日中農民交流協会の八百板正会長に招かれて行ったのも含めて、今までに六回日本に行ったので、日本の農協を視察する機会が何度もあり、大変参考になりました。日本の農協は、組織がしっかりしているし、仕事の内容や責任がきちんと定まっている。第一に、何を栽培するか、どんなふうに暮らすか、どういう風な教育を受けるべきか、といったことまで含めて、農家に情報を提供し、総合的に指導している。第二に、農家のために種子、農機具、肥料などを購入している。第三、農産物の販売に協力している。第四、金融機関でもある。第五、農家の相互援助活動を支援している。これらは中国でも採りいれたらよいと思う。
―両国の農業交流にはどんなものがありますか?
盧 一衣帯水の間柄ですからね、二千年の長きにわたって互いに学びあい発展を促進しあってきました。早い話がマルチ農法だし、秋田県の田中稔先生が中国東北の寒冷地区で水稲栽培に成功した例もある。四川省では、日本の柑橘(かんきつ)栽培を、河南省では富士リンゴを、また野菜、果物類、花卉(かき)などの優良品種も導入しています。
―いま出回っているスイカ「京欣一号」、皮が薄くて水分が多くて甘いので好評ですが、これも日本からのものと聞いています。
盧 とにかく人的交流が頻繁です。たとえば、中国農学会と日中農民交流協会が互いに留学生を交換し、中国の若い技術者が日本の農家に住み込んで農作業に従事しながら技術を学び、そうして持ち帰った日本の技術が大きな役割を果たしています。その人数がもう千三百人を超えました。江蘇省鎮江市の農業科学研究所に勤務する若い技師がイチゴの栽培、鮮度保持、加工などの技術を持ち帰って、りっぱな成果をあげています。
―日本からも学習に来ているんですか。
盧 ええ。私たちは何度も日本の農業代表団を受け入れました。彼らが主に視察しているのは水稲の品種です。陳永康さんが開発した収穫量の高い水稲栽培技術が、とくに強い印象を与えましたね。また伝統的な輪作、間作、混作の方法や有機肥料の使用法などにも関心を寄せています。
―今後の交流について、どんな風に考えていらっしゃいますか?
盧 いろんな面で合作を進めたい。品種では、日本の水稲、果物、和牛などが大変よい。先進的な農業施設、温室設計、オートメ化、水産物養殖なども学びたい。
―マクロ面ではいかがですか?
盧 西方諸国と違って、中日両国は人が多く土地が狭く、ともに精耕細作(丁寧に耕し注意深く植え付ける)の東洋的農耕文化を持っているので、互いに学びあう点が多い。たとえば、両国とも山が多い。しかし日本の山は六七%が森林に覆われているのに、中国はわずか一四%です。われわれは日本の緑化技術や管理方法を学ぶ必要がある。日本は経済大国で、食糧を輸入する一方、野菜、果物、花卉、漁業、牧畜業を発展させ、産物の種類を増やし農家の収入を増加させた。われわれは、食糧は自給している。また市場の需給調整メカニズムによって食糧の売れない品種を淘汰し、優良米や加工専用コムギ、上質トウモロコシなどを発展させ、綿花の作付面積を減らして野菜、果物、穀物消費の少ない家畜·家禽などを生産している。さらに非耕作地、山間地帯、海洋でもそれぞれに適した食品を作らねばならない。農産物の流通チャンネルを活気づけ、農業副産品の加工、貯蔵、鮮度保持、運送、販売などを発展させ、農業の産業化や経営水準を高め、生産量、品質、効率に優れ、消耗度の少ない持続可能な現代的集約農業を築き上げること。そういうことが今後必要でしょうね。
―オヤ、頂いた時間がもうとっくに過ぎています。本当にありがとうございました。