高原の冬を黄と赤に染めて
陰暦1月、四川省チベット族自治州の阿壩(アバ)県は、至福の時を迎える。寺院は黄赤との僧服で埋まり、澄み切った青空の下にはほらの音と読経の声が響きわたる。
高原に雪が積もると、それは聖なる白絹「ハタ」のようだ。大地までが盛装し、ムンラム大祭に集う人々の喜びはさらに高まる。
四川省阿壩県には、あわせて四十三の寺院がある。毎年陰暦一月三日から十七日にかけて、そのすべての寺院で盛大なムンラム大祭が催される。なかでもガンデン寺、ガマ寺、ランイ寺などで開かれる法会が一番華やかだ。
ムンラム大祭は、チベット仏教ゲルー派創始者ツォンカパ(一三五七~一四一九)に由来する。
ツォンカパは、現在の青海省の生まれ、十五歳で、師の命令に従ってチベットへ向かい、経典を学んだ。一四〇二年には、『菩提道次第広論』を記し、弟子の段階から成仏に至るまで、僧の徳行の在り方を説き、これまでの教義を概括して、改革を行った。そして一四〇七年ラサの大昭寺で大法会を催し、一年の平安を祈った。一万人の僧が参加したほか、数万人もの民衆が参拝したという。のち、ゲルー派の人々は、毎年陰暦一月にムンラム大祭を行うようになった。
法会は陰暦一月三日の夜に始まり、十七日まで続く。そのうち、十三日には「晒仏」、十四日には「法舞」、十五日には「酥油花灯会」が行われる。この三日は法会の最高潮だ。僧にとっては修業の成果を発揮する時であり、土地の人々にとっては、喜捨によってその財力を示し、功徳を積む機会となる。
ツォンカパ像を拝む
陰暦の一月十三日、阿壩県城(県の中心町)の西北にあるゲルー派のガンドン寺では、祭りの日のために華やかな衣服をまとい、金銀宝石など溢れるほどの飾りを付けた数万の信者たちを迎える。ラッパが響き、僧たちの念仏の声が高原に流れると、風さえも静まりかえる。焼香の煙が高くのぼり、「晒仏」の出現を待ち望む信者たちの上空で、五彩の雲のようにふわりと広がる。
鉄棒を持った僧たちに守られるなか、ツォンカパの巨大な織物が、御堂前の広場で、ゆっくりと広げられる。錦や緞子で織りあげられた像は、高原の太陽を受け、まさに後光がさしているようにみえる。僧たちと信者は、像に向かってゆっくりと進む。一年間待ち望んできた瞬間が今訪れたのだ。人々は「ハタ」を捧げ、一人一人、額を像にこすりつける。
魔物退治の「法舞」
翌日の陰暦一日十四日には、広場で「法舞」が行われる。
「法舞」は、俗称では「跳神」と呼ばれる、伝統の舞踊だ。陰暦一月、七月、九月にそれぞれ行われるが、その様式には違いがある。ムンラム大祭で行われる「法舞」では、舞踏に参加するのは、三十人あまり。主役は、法王と王妃、そのほかに面をかぶった、ヤクと鹿の役がいる。また手に刀、戟(げき)、鈴、こん棒などを持った武士たちの姿もみえる。各自が異なる色彩の法衣を着た猛々しい姿は、この世の一切を征服できるかのようだ。鹿と魔物の動作は活発で、ある時にはその場を駆け回り、ある時には戦を始め、見物の人々や、子供のラマ僧たちのにぎやかな笑いをさそう。
楽隊の音楽が高まるにつれて、法舞の主役が、「おふだ」を切り裂く。これは、魔物退治の象徴としての行為だ。法舞の終幕、数人の僧侶が舞台に上がる。いよいよ退治された魔物が、煮えたぎる油の鍋にほうりこまれる段だ。その後、主役に導かれ、僧たちと踊り手の人々は、「ドゥマ」(ハダカムギを炒ったものをバターで練った魔物に捧げる食物)を寺の外で燃やす。激しい炎が空中に燃え上がると、すべての魔物、災厄が消え、来る一年の平安が保たれる。
花灯に酔いしれて
十五日、夜がふけると、人々は大集会堂(だいしゅうえどう)へ向かい、酥油花灯会が始まる。
毎年ムンラム大祭の三、四カ月前から、僧たちは心をこめて、「酥油花」を作り始める。酥油はバターのこと。これを撹拌し、固め、染めあげる。手のかかる製作過程は、すべて宗教的な敬虔さのなかで進む。僧たちは度々手を氷につけ冷やし、「酥油花」がくずれるのを防ぐ。このように手間をかけて、花びらが美しく折り重なった「酥油花」が生まれる。僧たちは「酥油花」を大集会堂の外におく。高さ十数メートルの台には、同じく酥油で作ったツォンカパの像、山川の景色や、鳥、花などの彫像が置かれる。仏教故事を主題にしたもので、「酥油花」に照らされ美しく浮かびあがり、眺める人々の心には、自然に畏敬の念が沸きあがる。
深夜になるにつれ、法会の山場も過ぎ、人々の姿は次第に少なくなる。
大祭は何百年もの間伝統を守り続け、高原の姿も昔のままだ。ただし、人々の祈りの言葉は、現代に息づき、太陽の光のように阿壩高原を照らしている。