北京郊外の貧村を「村おこし」

2018-05-22 11:19:52

 

  北京市懐柔区渤海鎮北溝村は、万里の長城の下にあるごく普通の村だ。この小さな村は山の中にあって、名高い慕田峪長城に隣接している。現在この村に住んでいる住人は、かつてこの辺りに駐屯していた兵士の子孫である可能性が高い。300数人の人口をもつこの村は、322平方の面積のほとんどが山地で、これまではクリの栽培を唯一の収入源としており、従来からこの一帯でも貧村として知られていた。しかし、自ら村の党支部書記選挙に名乗りをあげ、村民たちを率いて豊かになろうとした人がいた。その人こそ王全さんである。

自ら名乗りを上げ、当選

  王全さん(54)の人生経験は非常に豊富だ。彼は生粋の北溝村人で、高校卒業後軍隊に入り、退役後に村に戻って、生産組の組長をしたり、瓦製造工場に勤めたりし、さらにミネラルウォーターや清涼飲料水の工場でセールスにも従事した。郷政府の役所で仕事をした経験もあれば、創業した経験もある。2003年の冬、外で商いをしていた王さんは村に里帰りした時、ぼろぼろの家々、汚れた道路を目にした。また出稼ぎに行った若者が、北溝出身だということを恥ずかしくて人に言えないと母に語った言葉を聞き、身につまされる思いがした。「この村が落ちぶれていくのを、手をこまねいて見ているわけにはいかない」と、家族の反対を顧みず、翌年の党支部書記(日本の村長に当たる役職)の選挙に立候補した。

  村の党支部書記になるには、まずは村の党支部委員会という3人体制の指導者グループに入選する必要がある。そのため、王さんは知り合いや親戚中を駆け回って票集めをし、ようやく過半数の支持を得て党支部委員会に入選した。当時、3人の委員は1人が元書記、1人が元委員で、王さんだけが新たな入選者だった。先輩の前でも、王さんは歯に衣着せず、「私は必ず書記になって、村をよくします。書記になれないなら、私は辞めます」と言った。二人の先輩はしばらく考えて、彼に任せてみることにした。

放った「三本の矢」

  着任して最初に直面した難題は、厳しい財務状況だった。村には貯金どころか、80万元もの債務しかなかった。そこで、王さんは鎮(村の上級機関)の指導者を招いて、この村を何とかしたいという気持ちを熱く述べた。しかし、鎮から得ることができたのは200のセメントだけだった。王さんは村の役人たちを率いて自力でセメントを運び、村内のすべての土の道を平らなセメント舗装道路にした。中国には、「豊かになるためには、まずは道路を造れ」という言葉があるが、これは王さんが村民たちを率いて豊かになるための第一歩だった。

  次に、村の環境づくりに取り組んだ。王さんは村をいくつかのブロックに分け、衛生担当の責任者を指名し、500元の月給で村民の中から清掃員を雇った。このあたりの村では、こうした制度はまだ珍しかった。また、村民の飼い犬は庭につなぎ、たきぎは自宅敷地内に置くように指示した。積みきれなかった分を敷地外に置く場合は、枝の切り口を道路に向け、枝先を家側に向けて置くようにと命じた。「たきぎの景観を作り出すため」と、王さんは言う。

「以前都市の人たちは、農村ではブタ、ウシ、ヒツジなどが飼育され、あちこちに家畜の糞が落ちていて、家の中でもハエと蚊が飛び回っているような印象を持っており、誰も訪れようとは思わず、農村の人間を軽蔑していました。私たち農民はこの問題を認識し、他人に侮られないように努力すべきなのです。それに、きれいな生活環境は他人に見せるためだけのものではなく、自分たちが楽しむものでもあります。」

  続けて王さんが放った「第三の矢」は、村民を対象にした伝統的文化教育である。毎日、村の放送と広場に設置された大スクリーンで『弟子規(清代に編纂された儒教教育の入門書)』に基づいて製作した啓蒙番組を放映し、さらに土曜日の夜に村の活動センターで、有名な学者による『論語』や『三字経(伝統的な初学者用の学習書)』の講義や、社交マナー講座のビデオを放映した。2時間以上見た人には、ご褒美として洗剤1袋またはタオル2枚を支給した。

  20元の洗剤のためにやってくる人もいるでしょうが、ずっと見ることで、知らず知らずのうちに感化され、影響を受けることでしょう。農民が親孝行を理解すれば、兄弟姉妹関係、そして近隣関係もうまくゆくようになるに違いありません」と、王さんは言う。

長城国際文化エコ村を建設

  2009年から、北溝村に定住する外国人や北京市民がどんどん増えてきた。かつては長城に最も近い慕田峪村で家を借りて住む人が多かったが、そこに住む人が増えると、人々はさらにほかの村に移住し始めた。そこで、北溝村が脚光を浴びたのである。人々がこの村を選ぶ理由は3つある。長城を眺めることができ、環境がきれいで、村民のマナーがよい。

  北溝村はこのチャンスに乗じ、「長城国際文化村」というコンセプトを打ち出し、付近の3つの村と協力して、外国人や北京市民たちがここに家を借りる便宜をはかり、農村観光業を発展させようとした。現在、米国、カナダ、オランダからの17世帯がこの村に定住している。避暑や休暇のためにやって来る北京市民も大勢いる。外国人の投資によって瓦の製造工場を改造した「瓦厰郷村ホテル」と、村のグループ投資で建設された「北旮旯郷情宿場」の経営状態は好調で、村民の一人当たりの年間所得も5000元以下から1万7000元以上に増えた。

  多くの村民は当初、外国人が村に定住する後押しをする理由が分からなかった。「村にはわずかな土地と資源しかなく、食べてゆくのがやっとで、さらに上を望んでも、ボトルネックに陥ってしまうのは目に見えていました。だから外から人を呼び、大企業を誘致して、観光業の発展を狙ったのです。もしこれがうまくゆけば、農民の年間収入は3、4万元となり、人々の幸福感も向上するでしょう」と、王さんは語る。(高原=文  馮進=写真)

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