特殊家庭の児童を支え シルバーボランティア

2018-05-22 11:23:00

  

  午後4時半、北京市石景山区老山コミュニティー居民委員会の傍らにある小屋に、おじいちゃんに連れられて、小学校4年生の張暁菲ちゃんが邵さんに勉強を見てもらいにやって来た。彼女が来た時、小屋の中には小学校高学年のおにいちゃん、おねえちゃんが2人いた。彼らの近くにいる2人のおばあちゃんは、1人が算数の宿題をチェックしていて、1人が作文の手直しをしていた。そして、邵さんは自分の電子辞書を取り出して、暁菲ちゃんと英語の単語を暗記するための準備をしていた。

 これは、老山地区にある赤いろうそくグループの活動室のいつもの光景である。赤いろうそくは地元の9人の定年退職者たちをメンバーとしたボランティアグループで、自分の空き時間を利用して、特殊家庭の子どもの勉強を手伝い、彼らの子ども時代に欠けがちとなる気遣いや温もりを補おうとするものである。

一緒にいることが大切

  邵誉培さんは赤いろうそくグループの創始者の1人で、かつては北京首都鉄鋼グループで働いていた。仕事をしていた時にはとても忙しかったので、定年退職後、彼女は何もすることがないのに耐えられず、コミュニティーや社会のために何か有意義なことをやりたいと考えた。地元の一部の子どもたちが家の中にかまってくれる人がおらず、毎日外をふらついて、不良青年とつるんで遊んでいることを彼女はとても心配していた。そのため、2001年、彼女と同じく定年退職した彭さんら3人と共に、老山地区の特殊家庭、勉強に困難を抱える15歳以下の子どもを助ける赤いろうそくグループを結成した。彼女たちの「特殊家庭」に対する定義とは、貧困、片親、身体障害、祖父母による養育、あるいは出稼ぎ労働者の家庭などのことである。こうした家庭の保護者は子どもの世話を焼く余裕がなく、自分自身の教養も高くないので、子どもの勉強を見ることができない。

 張暁菲ちゃんは邵さんが手助けを担当している子どもの1人で、彼女のお父さんは出稼ぎに出ており、お母さんは清掃員をしていて、ふだんはおじいちゃんが彼女の面倒を見ている。おじいちゃんは彼女に弱く、叱ることができず、欲しがるものは何でも買い与え、甘やかしてしまっているため、暁菲ちゃんはやんちゃでわがままな性格に育ってしまった。邵さんは英語の本を持ち、彼女が単語を暗誦するのを聞いていたが、彼女は二つも暗誦し終わらないうちにあたりをきょろきょろ見渡し始め、ちょっと休めないかと甘え出した。ダメとの返事を受けると、かんしゃくを起こし、邵さんが英語の本にしわをつけたとか、彼女が単語を暗誦するのを邪魔したとか文句を言い始めた。

 邵さんは怒りはするものの、思わず笑い出してしまう。普通の家庭教師だったら、とっくに匙を投げていただろう。しかし、邵さんたちと子どもとの関係は異なる。勉強を見てくれる先生というよりか、自分のおばあちゃんのようなのだ。邵さんはこのように言う。

 「私は前にロシア語は習ったけど、英語はあまりできないので、発音してくれる電子辞書で彼女に発音を聞かせて覚えさせるしかないのです。私はプロの先生ではないから、勉強させることしかできません。私たちからすれば、勉強させることよりも大切なことは、小さな頃から一緒に居てあげて、正しい道を歩み、過ちを起こさないよう見守ることなのです。」

 同じく赤いろうそくのメンバーである魏さんも、この言葉に賛成している。彼女が手助けしている魏旭炎くんは出稼ぎ労働者家庭の子どもで、以前は学校が終わるとお父さんの内装リフォーム店で宿題をやっていたので、商談に訪れた人も不便に感じていた。そのために魏さんが彼を自分の家あるいは赤いろうそくの活動室に連れて行って勉強させている。

 「私たちは家族みたいなもので、寒い日の放課後に、お腹をすかせているだろうと食べ物を持っていってあげれば、彼もとても喜びます。私は自分にも孫がいますが、彼らも旭炎くんと一緒に遊び、仲良くなっています。家にあるもう使わない服や家具を彼らにあげますし、彼らの実家も食品などをしばしば送ってくれます」と、魏さんは言う。

シルバーパワーを発揮

偶然か必然かは分からないが、赤いろうそくグループのメンバーは当初の4人から今や9人になったものの、全員がおばあちゃんである。彼女たちは家では夫の世話を焼き、孫の面倒を見ており、自分自身の体調もすぐれない人もいて、このボランティアを今に至るまで続けているのは、生易しいことではない。たとえば謝さんは、退職前は大学の先生で、今では2種類のガンを抱えながら、熱心に子どもを指導している。彼女は始めたいきさつを、次のように語ってくれた。

 「最初の頃は小学生を教えるなんて、あまり乗り気ではありませんでした。私にはちょっと役不足に感じたのです。でも子どもの家に行くと、体の不自由なお父さんが地面を這って歩きながら、私を座らせ、お茶をいれてくれ、子どもを助けてくれることについてお礼を言うのです。こうした人たちを助けないなら、誰を助けるのだろうと思い、その時から、私は目立つ華やかなことでなく、地味な人助けをやろうと決めたのです。」

 2001年から、赤いろうそくグループのメンバーたちは、定期的に付近の居民委員会や小学校へ行って状況を取材し、助けが必要な子どもの情報を集めた。その後、一軒一軒家を訪問して、子どもたちの相手になり、彼らの義務教育が終わるまでずっと勉強を見てあげた。現在までに彼女らが手助けした子どもはすでに80名余りに及ぶ。ふだん、彼女たちは子どもたちの復習を手伝い、おしゃべりの相手になり、彼らを博物館見学に連れて行き、文具や生活用品が買えない子どもには、身銭を切って買ってあげている。しばらくすると、子どもたちの成績や学校での態度が明らかに良くなった。そのため、ますます多くの家庭の保護者が赤いろうそくにやってきて、手伝いを頼むようになっている。多くの社会組織も赤いろうそくグループにさまざまな援助を提供してくれるようになった。例えば、老山コミュニティーは彼らに活動室を提供してくれ、内陸部や香港地区の基金会が学習用品や活動経費の寄付をしてくれるようになった。また、北方工業大学の十数名の大学生ボランティアが、学習指導に参加してくれた。邵さんはかつて、赤いろうそくグループの仲間たちが健康長寿であり、さらに多くの子どもを助けることができること、そして、自分も仲間たちも年をとったので、新しい人が赤いろうそくグループに加わってくれることの二つだけが望みだと語った。どうやら、彼女の2番目の望みは実現しつつあるようだ。(高原=文  馮進=写真)

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