きれいな町はわが誇り四季を感じて清掃作業

2018-05-22 12:35:03

 

高原=文  馮進=写真

 

早朝7時半、北京市内の道はまだラッシュアワーのように、溢れんばかりの車で占拠されることもなく、歩行者も少ないため、とても静かだ。北京西城区環境衛生局の清掃職員の馬蘭さんは、いつもと同じように、すでに路面清掃車に乗り込んでいる。清掃作業の一日が始まるのだ。きれいな道を見慣れた我々は、それが馬さんや彼女の同僚らが、汚れや疲れを気にかけず毎日一生懸命に仕事をしている成果だということに気づかない。馬さんの周囲の人たちは、彼女の仕事についてはあえて触れることがないため、彼女の仕事に対する情熱や誇りを知らない。

季節ごとの「落し物」 

馬蘭さんが所属する清掃車隊の事務所は、北京西城区月壇南橋の下にある。数部屋の簡単な間取りで、隊員が休憩したり、食事を取ったり、会議をしたりする場所となっている。外には大小さまざまな路面清掃車が十数台停まっており、もともと狭いその空間をより狭くしている。両側にある歩道から歩いてこの事務所まで来ようとすると、3車線の自動車道路を渡らなければならないが、車の流れを止める信号が無いため、本当に危ない。西城区環境衛生局の清掃車隊の事務所は基本的に全てが道路の立体交差橋の下にあり、ほとんどの場合が車での出入りとなる。周りの車に十分に気を配りさえすれば安全だ、と馬さんは言う。唯一彼女が不便に感じているのは、ここは狭いために、清掃車を数台しか置くことができないことだ。そのため、彼女は毎日6㌔離れた駐車場まで車を取りに行き、そこから自分の持ち場の清掃に向かう。 

馬さんが現在運転しているのは、散水と路面清掃の機能が一体化した路面清掃車である。彼女は毎日、西長安街から府右街まで、5㌔の道の清掃を担当している。水をタンクに入れる時間も含めると、清掃地域を一回りするのに2時間かかる。毎日同じ道を3、4回運転するものの、味気ないとか単調だとかは思わない。四季に伴う変化があり、異なる季節には、道路にもまた、異なる状況がある。これは、彼女自身の心と体で感じることだ。 

「例えば、春にまず落ちるのがポプラの花です。その時期には、ポプラの木が最も多い三里河路を重点的に清掃します。その次に落ちるのはエンジュの花で、長安街と府右街を多めに回ります。秋の落葉時は、木の種類によって落葉の時期が異なります。ヤナギの葉は最も遅く落ちるので、ヤナギの木が多い道は注意しなければなりません。普段は3、4日に1度の割合で車の泥や汚れを掃除します。でも、落ち葉の季節になると毎日1回は掃除しなければなりません。これは私たちが留意しておかねばならないことです」 

馬さんは続けて「冬になると、地面が凍りやすくなり、私たちが水をまく必要はなくなります。そのため、この時期は比較的のんびりしています。でも、天気予報で明日は雪かもしれないとなったら、私たちは融雪剤や雪かきの準備をしなければなりません。5時間雪が降り続けたら、10時間仕事をしなければなりません」と語った。

職業病まで発病 

馬さんは専門学校で財務・会計を勉強した。卒業、つまり18、9歳の頃には、朝から晩までのデスクワークは嫌だと思い、さまざまなアルバイトをした。デパートの店員も、ファストフードの店員もしたことがある。25歳になった時、両親から安定した仕事に就くことを望まれ、環境衛生局の運転手に応募し、この仕事に就いた。 

彼女は、初めはこの仕事がそんなに良いとは思わなかった。2009年、彼女は新中国成立60周年祝賀大衆パレード後の清掃作業に加わった。「あの時、他の車は全て通行制限され、われわれ5台の路面清掃車が一直線に並んで、広い長安街を清掃しました。道にはリボンやらテープやらペットボトルやらが一面に散乱していましたが、私たちはいつもと同じようなごみのない清潔な道にしました。その時、とても達成感を感じ、この仕事がとても好きになりました。私たちのこの仕事は汚く、また疲れます。でも、他の人には体験できない楽しさがあります。どのような仕事でも、辛い面は必ずあります。ただ、他の人には分からないだけなのです」

 馬さんがこの仕事を始めてから、すでに10年が経つ。大変な仕事だとはいえ、彼女はとても満足している。「今ではちょっと職業病まで発病しています。自分の車で遊びに出かけても、ごみを見ると押しつぶして回収したくなるんです。自分の車でも、ごみを吸い上げることができるかのように錯覚してしまいます」と彼女は笑って話してくれた。「社員旅行で青島へ遊びに行った時には、思わず道路をチェックして、心の中でこっそりと万歳を叫びました。だって、私たちの方がきれいに掃除していたのですから」

清掃機械も進化 

馬さんは生まれも育ちも北京で、彼女の父親もまた、清掃員だった。彼女は清掃員となってから今の夫と出会った。彼の両親もまた清掃員であり、「清掃員一家」だと言える。馬さんの家で、彼女の母親が彼女の父親がかつてもらった賞状を見せてくれ、それらを紹介する言葉の端々には誇らしさがにじみ出ていた。 

馬さんの父親は1979年に入局した環境衛生局第1期の路面清掃車隊員だった。当時、清掃員の仕事は基本的に全て手作業で、路面清掃車はとても少なかった。たまに父親が清掃車で帰って来ると、当時、周りの家は車を持っていなかったため、彼女はとても誇らしく思ったと回顧する。 

時が経ち、現在ではすでに、大型路面清掃車が都市における路面清掃の主流となっている。路面清掃車では清掃できない場所のみ、手作業で整理・清掃が行われている。馬さんは「私が仕事をしていたこの10年に、すでに3回も路面清掃車が換わりました。現在の路面清掃車には、クーラーやバックモニターがあり、とても快適です。また手作業の仕事も少なくなりました。以前、雪の日には、1人が運転し、後ろに2、3人乗せ、手で融雪剤を撒いたものです。しかし、今では全て路面清掃車が撒いてくれるので、運転手1人で仕事をこなすことができます」 

都市の道路や住宅地ごとに、都市を美しく保つために馬さんのような勤勉な清掃員がいる。馬さんの所属する清掃車隊だけでも100人余りの清掃員がいて、その中には運転手も修理要員もいる。西城区には二つの路面清掃車のチームがあり、さらに夜勤チームもあって、24時間体制で巡回し、清潔さを保っている。西城区環境衛生局には路面清掃車の運転手以外にも、公衆トイレ清掃員、胡同(路地)清掃員など、手作業の清掃員がいる。彼らは今日も人知れず、都市を美しく保つために黙々と仕事をこなしている。

 

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