戦火の中の友情 中独の絆を受け継ぐトーマス・ラーベさん
「中国の人々がラーベを記念するのは、彼が命に対して大きな愛を持ち、平和を追い求めたからだ」。ドイツ人のトーマス・ラーベさんは、習近平国家主席が祖父のジョン・ラーベをたたえた言葉を自著「ラーベと中国」の巻頭に記している。
1937年、日本軍が南京大虐殺を引き起こすと、シーメンスに勤務していたジョンは、他の外国人たちと共に「南京安全区」を設立し、20万人以上の中国人に避難場所を提供した。
トーマスさんは長年にわたりドイツと中国を往来し、その回数は20回近くに及ぶ。南京大虐殺紀念館やラーベ旧居、北京の国家博物館、大学などで祖父の足跡をたどり、家族が長年整理してきた貴重な歴史文書や資料を中国にもたらした。中国の人々の祖父に対する色あせることのない感謝の思いを肌で感じ、戦火の中で結ばれた中国とドイツの深い友情を絶やすことなく今に伝えている。
トーマスさんによると、祖父と中国の縁は1908年に始まり、その後、30年間にわたり北京や天津、南京で生活し、中国を第2の故郷と考えるようになった。
37年末に日本軍の暗雲が南京を覆おうとしていた時、ジョンは自宅や庭、自宅裏の学校を避難場所として開放。丸腰の中国人難民600人余りを庇護した。日本軍が蛮行に及ぼうとすると「中国人を殺すなら、まず私を殺せ」と叫び、身を挺して難民を守った。
暗闇の中でつづられた日記や書簡、難民の指紋が押された文書などは、ジョンが歴史に残した貴重な証言であり、南京大虐殺の真実を明らかにする揺るぎない証拠でもある。しかし、これらの貴重な記憶は、戦後数十年にわたり埋もれたままとなっていた。
トーマスさんは成人後、祖父の史料を整理する重大な責務を引き継ぎ、これらの資料を数年かけて中国語と英語の2カ国語で文献にまとめた。
96年、ジョンの子孫が「ラーベ日記」を公開。南京大虐殺を暴く最も重要かつ詳細な史料の一つとなった。
ジョンの善行は、中独両国の人々が時を超えて互いに歩み寄るきっかけにもなった。1938年にドイツへ帰国したジョンは、中国人を守ったことで「裏切り者」とみなされ、一時はゲシュタポに逮捕され、調査を受けた。その後、ベルリンの住宅は空襲で破壊され、一家の生活は困窮した。48年、南京の人々はこれを知ると、約2千ドル相当の金品を募って支援したほか、有志が食品や小包を送り続けた。
「祖父がベルリンで最も苦しい歳月を過ごしていた時に中国の人々が示してくれた恩情を、家族は代々忘れない」。トーマスさんは長年にわたり何度も中国を訪れ、目覚ましい変化を自らの目で見届けてきた。「家族と中国には100年の絆があり、自分も中国の一部だと感じている。中国の発展を心から喜んでいる」と笑顔で語った。
トーマスさんは祖父の人道主義の精神を受け継ぐ歩みを止めない。交流センターの設立、祖父の事績を伝えるドキュメンタリーや書籍の制作などを通じ、ドイツと中国を往来しながら祖父の精神を伝え続けている。
「祖父の精神の核心は、常に責任と善良さだった。世界全体を変えることは無理かもしれないが、身近な小さなことから始めることはできる。家族を大切にし、隣人を助け、身近な人々に一筋の光をともすことだ」と語った。(記者/夏子麟)
中国国際放送局日本語部より