日本の「国運を賭ける」戦略的な蛮行に、いまこそ警鐘を鳴らすべき

2026-02-11 14:44:00

中国国際問題研究院アジア太平洋研究所・特聘研究員 項昊宇=文

日本の高市早苗首相が台湾問題を巡って発した誤った言動がもたらした衝撃は、いまなお続いている。高市首相はこのほど、「(台湾有事の際に)日米が連携して自国民を退避させる必要がある」「米軍が攻撃を受けた場合、日本は座視することはできない」などの主張を公然と打ち出し、台湾問題を巡る自身の誤った発言を正当化し続けている。同時に、日本のいわゆる戦略エリート層の間でも議論が活発化している。安倍晋三元首相の特別顧問を務めた谷口智彦氏は、最近の論考において「日本はもはや戦略的迷走に耐えられない」と述べ、日本社会に「危機意識」を植え付けることで、防衛・安全保障政策の転換を加速させようとしている。

「内病外治」という誤った処方箋

日本の一部戦略エリートは、少子高齢化、国力の低下、対米依存の不確実性の高まりといった自国が直面する現実的困難について、はっきり認識しており、日本の戦略的余地が縮小しているとの危機感も的確に捉えている。しかし、問題意識が正しくとも、必ずしも正しい戦略判断に結び付くとは限らない。むしろ、日本の政界上層部やメディア、学界においては、日本が直面する脅威の所在や戦略の方向性に関して体系的な誤認が存在し、その結果として「内病外治」という誤った診断が導き出されている。すなわち、中国の両岸統一は日本の国運に直結する問題であり、そのためには戦後の平和体制を全面的に放棄し、自主防衛によって国家安全を守り、戦略的回旋余地を拡大すべきだ、という考え方である。しかし、このような「処方箋」は日本の安全保障上の困難を解消するどころか、かえって日本を再び危険な深淵へと押しやる可能性が高い。

日本の保守系エリートによる戦略認識の最大の誤謬は、「台湾有事」への強い執着にある。「台湾海峡危機」を日本の国運の盛衰を左右する決定的要因と見なし、中国の統一を阻止することが日本政界における一種の戦略的共通認識となり、それが軍備拡張を推し進める口実とされている。

この過程において、日本の「戦略エリート」は二つの根本的前提を意図的に無視、あるいは回避している。第一に、台湾問題は法理的にも性質上も中国の内政問題であるという事実である。これは中国側の一方的な政治的主張ではなく、第2次世界大戦後の国際秩序を構成する重要な要素であり、日本自身も1972年の「中日共同声明」において明確に認めた政治的・法的事実である。日本が中国の国家統一の過程を自国の「生存」に対する脅威と見なすことは、本質的に他国の内政への不当な干渉であり、正当性を欠くだけでなく、国家安全の概念そのものを著しく曖昧にするものである。

第二に、中国の統一が必然的に日本に対する戦略的脅威となるわけではない。日本の対中戦略思考の背後には、統一を成し遂げた中国が必ず日本を次の「征服」対象とする、という暗黙の前提が存在する。しかし、このような直線的な脅威推論は、歴史的経験に裏付けられておらず、中国が長期にわたり堅持してきた対外戦略の基本原則――制度を輸出しない、勢力圏の拡張を求めない、既存の国際秩序に挑戦しない――をも無視している。

より重要なのは、日本が自らを「中国の統一阻止」という戦略目標に結び付けることで、実際には存在しない外敵を自ら作り出しているという点である。これは日本の戦略的余地を拡大するどころか、日本を高リスクの対抗構造のわなに深く組み込む結果を招いている。

冷戦思考に支配された「戦略的自立」

否定できない事実として、中国の経済規模、軍事力、科学技術力、地域的影響力の拡大は、客観的に東アジアの力関係を変化させている。しかし、力関係の変化そのものが自動的に脅威を意味するわけではない。脅威が形成されるか否かは、戦略的意図、行動様式、そして相互作用の在り方によって決まる。問題は、日本の戦略エリートが依然として冷戦型のイデオロギー対立や地政学的対抗の枠組みから中国を理解する思考様式にとらわれており、中国の正常な発展を、日本の地位や空間を「圧迫」するものと捉え、それを日本の国家安全に対する「脅威」へと転化させている点にある。

このような認識の歪みは、少なくとも三つの要因に由来している。第一は、歴史経験に対する選択的な忘却である。第2次世界大戦後、日本が経済的飛躍を遂げることができたのは、国際体制の開放性と包容性、そして周辺諸国による善意ある受け入れがあってこそであった。しかし、中国の台頭に直面すると、日本は同じ論理の適用可能性を認めようとせず、中国の正当な発展を自国の安全と地位への脅威と短絡的に同一視し、明らかな二重基準を示している。

第二は、米国の覇権的地位への高度な依存である。谷口氏は一方で、米国の安全保障コミットメントの信頼性が低下しつつあることを認めながら、他方では日本の戦略的支点を依然として「対中抑止」を軸とする米国主導の同盟体制に置いている。この論理そのものが内在的な矛盾を孕んでいる。

第三は、日本における「戦略的自立」に対する誤解である。日本のエリートが口にする「戦略的自立」とは、多元的包容性や協調的協力に基づくものではなく、対抗的な体制を主導することで安全感を得ようとする発想にほかならない。この冷戦的思考の惰性と経路依存は、結果として日本の戦略的選択空間をさらに狭めている。

世界秩序はいま深刻な変化のただ中にあり、多極化の潮流は不可逆的であり、大国間における競争と協力の併存が常態となっている。にもかかわらず、日本の戦略エリートはこの大変局から覚醒へと向かうことなく、むしろ隣国を犠牲にする対抗的戦略によって不確実性に対処しようとしている点は、誠に遺憾である。

従って、日本が直面している問題は、決して「戦後体制の制約」ではなく、修正主義的な歴史観に基づく誤った戦略思考にある。谷口氏らは繰り返し、日本は「戦後の戦略枠組みがすでに時代遅れであることを認めるべきだ」と主張し、日本の安全と発展は戦後体制の突破を前提とすべきだと訴えている。この主張は、近現代史への理解に乏しく、「失われた30年」に迷う若い世代にとっては、一定の煽動性と誘惑性を持ち得る。しかし、彼らはなぜ日本が今日に至るまで「戦後体制」から脱却できていないのかについて、若い世代に説明していない。本来、彼ら自身がまず明確にすべきなのは、日本がいわゆる「普通の国家」になることを阻んでいるのは、中国をはじめとする国際社会でも、日本社会内部の組織慣性でもなく、日本の支配層とエリート層が自国の歴史的負債から逃避し、隣国の感情を軽視してきたことにある、という事実である。

「普通の国家」言説に覆い隠された国運を賭けた博打

高市政権の外交・安全保障路線の危険性は、まさに「普通の国家」という言説によって、制御を失いつつある軍事的野心を覆い隠している点にある。1990年代以降の政治的右傾化の過程において、日本の保守勢力は「同盟義務」を隠れ蓑とし、「法解釈」を手段として平和憲法の機能を弱体化させ、戦後体制を漸進的に突破してきた。「専守防衛」はすでに名ばかりの存在となっている。しかし、日本保守右派が描く「普通の国家」の青写真は、「一般的な国家」にとどまるものではなく、核兵器を保有する軍事大国を志向するものである。今日、高市政権下における日本の「再軍備」は、すでに危険な臨界点に達している。国力低下という「危機の時代」を前に、日本の右翼勢力は再び「国運を賭ける」戦略的蛮行に乗り出そうとしているかのようである。前回は100年前の「満蒙生命線」であり、今回は「台湾有事」である。

もちろん、時代は移り変わり、内外の要因はいずれも日本軍国主義の復活を許すものではない。しかし、日本の右翼の「暴走」に誰がブレーキをかけるのか。中日間の平和友好の大局と東アジア地域の長期的安定を守るため、中国には、日本による「国運を賭けた」戦略的冒険衝動を阻止する責任と義務がある。

日本の戦略空間の拡大は、戦後体制の制約を突破することによってではなく、歴史を正視し、隣国の核心的利益を尊重することを前提として、地域の信頼を再構築する中でこそ実現されるべきである。

人民中国インターネット版

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