少数民族が築いた王朝

2022-03-08 16:02:39

 

   

金上京会寧府の古い城壁の遺跡。当時の上京城は北宋の都の規模と都市計画をまねて建てられた  

『金史』によれば、「白山黒水」は女真族の発祥の地である。女真族とは古代中国の北部に住んでいた少数民族のことで、最初は漁業や狩猟、遊牧の生活をしていた。11世紀の初め、「完顔」という部族が台頭してきた。彼らは農業を発展させ、鉄の精錬を学ぶことで力をつけ、やがて1115年に独自の政権「金」を打ち立てた。現在、ハルビンの阿城区にある金上京会寧府遺跡は、金王朝最初の都だった場所だ。その後の38年間、上京城は都として4代の皇帝の交代を経験し、次第に当時の中国北方の政治・経済・文化的中心地となった。 

数百年後、女真族の子孫である満州族が、中国最後の封建王朝である清朝を建てた。当時、ハルビンを含む東北地方は「関東(山海関の東)」と呼ばれ、満州族の発祥の地とされていた。清の統治者は最初、満州族の民俗・文化を守るため、関東地域に封禁政策を実施した。その結果、人口が希薄になった関東地方の経済・文化の発展は一時的に立ち遅れた。1897年、封禁令が全面的に解除されるに伴い、多くの人がハルビンに移り住み、この都市に新たな生命力を吹き込んだ。 

19世紀、黄河の下流域が数年連続で災害に見舞われる中、清政府は封禁政策を依然として続けていた。山東省や河北省の多くの農民は、生計を立てるために荷車を押し、重荷を運んで、処罰される危険も顧みず、関東へ通じる苦難と涙の道を自分の足で切り開いた。その行動は「闖関東」と呼ばれている。彼らの目的地の一つはハルビンだった。2008年のテレビドラマ『闖関東』はその歴史を背景に、道中の苦労や困難を描き、多くの中国人に感動を与えた。 

帝政ロシアによる黒龍江の辺境への侵入に伴い、清政府は関東地方を振興させるために封禁令を解除し、移民を奨励し始めた。中原から多くの人々がハルビンに移住し、「老道外地区」で生活や労働に励み、工業と商業を大いに発展させた。彼らが持つ苦難を恐れずに勇往まい進する「闖関東」の精神は、徐々にハルビンの人々の血液にも流れ込んだ。現在、ハルビンの街には、昔「闖関東」の人々が創業した「百年の老舗」が残っている。移民がもたらした中原地域の文化は当地の文化と融合し、現代まで伝わる「方正切り紙」や「龍江影絵劇」などの優れた民間芸術の宝を生み出した。 

 

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