中東鉄道から吹く進歩の風
2022-03-08 16:03:33
中東鉄道の旧跡に造られた公園は、現在、市民の憩いの場や観光地になっている
1903年、モスクワを始発とする鉄道が中国の東北地方に入ってきた。それはT字型で、ハルビンを中心に、南は大連市まで、東は綏芬河市までつながっていた。中国を侵略して極東を支配するために、帝政ロシアは中露両国から大量の労働者を募り、中東鉄道(東清鉄道)を築いた。ロシアの労働者の中には、レーニンに率いられた「ボリシェヴィキ」の人たちがいた。
彼らは中国の労働者にマルクス主義を宣伝し、進歩的な思想を広めた。中東鉄道の労働者たちは帝国主義や封建主義との闘いで紀律性のある組織をつくり上げ、ロシアに起きた十月革命を支援するためにストライキを何回も起こした。20年、レーニンはハルビンに大使を派遣し、現地の労働者階級に感謝の意を表した。また、李大釗や陳独秀など、十月革命の影響を受けた進歩的な知識人は、中東鉄道を使ってハルビンからモスクワへ研修に赴いた。
十月革命後、白軍が赤軍に敗れたことで、白系ロシア人の難民が大量に中国の東北地方に流入した。20世紀初頭のハルビンは国際的な商業都市となり、33カ国から16万人余りがここに集まり、19カ国が領事館を設置した。建築、音楽、料理など、さまざまな国の文化が、この都市にロマンチックな異国情緒を与えた。こうしてハルビンは、「東方のモスクワ」と呼ばれるようになった。