向き合って初めて見えたもの

2023-10-23 16:15:00

久世 佳月


今から4年前、2019年の夏。私は家族と共に、中国へと旅行に出掛けた。行き先は上海のディズニーランドだった。
 正直なところ、当時の私は中国に対してあまり良いイメージを持っていなかった。ニュースを見ればいつも目に入る日中関係の拗れに、人伝に、あるいはSNSで見聞きする中国人のマナーの悪さ。
 しかし、所変われば品変わるとも言うものだ。文化が違うのだから仕方ないのだと、そう思い込むようにしていた。
 そんなバイアスがかかっていたこともあってか、旅行初日は気疲れしてしまった。

まず到着して驚いたのは、ホテル外の生垣でトイレをしている子どもがいたことだ。そこは特に身を隠すような障害物も何もない場所で、自然の中というわけでもない。予想外すぎて、大目玉を食らった気分になった。
 その後パークに向かう途中、道端のベンチに寝転がる男性を何人も見かけた。初めは単に昼寝しているだけなのだろうと思ったが、それにしてはあまりにも数が多い。パークに入園してからも同じような人々を見かけて、頭にはてなを浮かべながらも素通りした。

だが、本当に驚くべきはここからだった。パークに入園した後はアトラクションに乗ろうと家族みんなで待機列に並んだのだが、日本のパークと同じ感覚で並んでしまった。これがいけなかった。
 というのも、列への割り込みがすごいのだ。前の人と少しでも隙間を空けていようものならどんどん割り込まれる。それでは永遠にアトラクションに乗ることができないので、前の人との隙間を詰めて必死に阻止していた。こうして丸一日、中国の人々に揉まれて抱いた感想は、「すごく自由な国民性だな」だった。
 外でトイレをするのも、道端のベンチで熟睡するのも、列に割り込むのも、ある意味では自由なのだ。ルールに縛られないと言った方が良いのだろうか。個々人の協調を求められ規律を大切にする傾向の強い日本とは、まるで違う世界だった。割り込みなんて特に、時間効率的な観点で見ればすごく良いもののように思えた。

慣れない場所と文化に疲れこそしたものの、初めに抱いていたはずの嫌悪感は消え去っていた。
 そして翌日も同様に、家族と共にパークへ足を運んだ。前方にいた男性に突然話しかけられたのは、アトラクションの列に並んでいる最中のことだった。話しかけられたといっても、彼が喋っていたのは中国語で、私には何を言っているのかはさっぱり理解できなかった。多少は中国語の心得がある父が応対していたが、どうやらその話の内容は天気がどうとかどこから来たのとか、その程度の世間話だったらしい。言葉は分からなかったけれど、それでも気の優しそうなその男性が笑いかけてくれたことを、今でも覚えている。
 その日の夜、不思議な光景に直面した。水に濡れるらしいアトラクションの列に並んでいる時だった。乗り場が近づくにつれ、前方が何やら騒がしくなっていた。何かと思って覗き込んでみれば、アトラクションを乗り終えた人たちが、これから乗る人たちに使い回しらしいレインコートを次々に手渡していた。
 誰が始めたのかは分からないし、周りに同調していただけなのかもしれない。けれど私は、そこに確かな優しさを感じ取った。自分もコートを受け取り、先人らと同様に、乗り場へ向かう人にそれを手渡した。谢谢と聞こえた気がして、無性に嬉しかった。こうして中国の人々と向き合ったとき、そこにあった関係は「中国人と日本人」ではなく、間違いなく「人と人」だった。
 各々の国家が持つ国民性を善と取るか悪と取るかは、結局は個人の解釈に拠るものだと思う。違う文化をすんなりと受け入れられることもまた、難しいのだろうと思う。けれどどうか、悪と決めつけてしまう前に考えてほしい。そこにあるのは、人種も国も取っ払った、人と人という、同じ人間という生き物であること。そんなことに気づかされた旅行だった。

 

 


 

 

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