高崎 未央
私はこの夏、日本代表として日中学生会議に参加し、香港・東京での3週間の議論を通して中国側学生との相互理解を深めた。中国人の友人がいるわけでもなく、中国語もほとんどできない私が学生会議に挑戦したのは、メディアで見る中国と実際にずれがあるのではないかという仮説があったからだ。国際関係学の授業で日中共同世論を取り扱った際、中国世論では4割が日本に対し良い印象を持っているのに対し(それでも低いように感じるが)、日本では9割を超える人々が中国に対し良くない印象を抱いているという事実を知った。実際私の周りの大人も、中国に行ったことがないのにも関わらず、良い印象を抱いている人は少ない。表面的な政治や外交をメディアで知り、無意識的な刷り込みがこのような結果を招いているのだと思った。そこで、本当の中国を見てみたい、それを周囲に伝えたいということを学生会議の面接で語り、本土には行けなかったものの8月頭に香港へと飛んだ。
香港の人への率直な感想として、夜市や訪問先で友好的に接してくださる現地の方や、優秀で勉学に貪欲な現地の学生など、身構えていた自分が恥ずかしくなるくらい素敵な人が多かった。また、相手をもてなすという文化については日本に通ずるところとして感じた。むしろ初めて会う外国人に対するフレンドリーさは香港の方が日本よりも強いと思う。そんな印象を抱きながら、日本側・中国側計50名近い学生たちの共同生活が、香港中文大学の寮内においてスタートした。
今だから笑い話になるが、約30名の女子寮では、毎晩どこかで言い争いが生じていた。日付を回った頃に日本語と中国語(たまに英語)で罵倒し合う声が聞こえた日もあった。たまに私も参加した。発端は何ら複雑なことではなく、時間を守らなかった、周りへの配慮が足りなかった、言い方がキツかった(ことで罵倒するのもおかしな話だけれど)、そんなような、正直言ってくだらないことだった。だが、本当に小さいことを掘り下げて突き詰めて腹を割って話すことで、より相手への理解が深まったのは間違いない。私の行動班の中には、時間を守るのが不得意な中国人の学生がいたのだが、そのことを指摘した際、相手は日本語で事情を説明し、真摯に謝った。中国語ができない私に、「私は日本語でのコミュニケーションを学びたい」と気を遣ってくれ、専門的な言葉が飛び交う議論でも一切妥協せず取り組む、努力家で素直な人だ。集団での共同生活を行う上で、相手の良くない側面が見えることは当然だと思う。もっとはっきり物事を言ってほしい、と私自身にも指摘してくれた友人もいた。学生のおよそ20年間で培われたパーソナルな部分は、言ってもらえないとわからない部分が多い。異文化の中での交流なら尚更だ。日本人だから、中国人だから、国籍や出身は確かにその人を形作るコアな部分かもしれないが、だからと言ってそれを分類する材料にするのではなく、もっと内的な性格や信念と向き合うことの大切さを感じた。香港を経つ日、絶対また会おうと約束した中国人学生が何人もいる。本音を曝け出し対話をした結果だ。
国際的な外交の場で、国の代表が喧嘩するようなことはまずない。しかし、緊張状態が続いている日中関係で、もっと互いが論点に向き合って話す必要はあるのではないかとニュースを見て思う。また、コロナ以前、交流が活発だった頃の日中共同世論の相手国への印象は、今よりずっとましだったという。日中において、人間と人間として両国を知ることができる機会が増えれば、草の根レベルではあるが関係性として望まれるものが築いていけるのではないのか。香港から帰ってきた今、「あなたが楽しそうだったから、私も行きたい」という存在に自分がなれるよう、自分が見た中国を発信し続けていきたい。