一杯の豆浆
白井 福華
「要一杯豆浆,加糖的」母がそう言い、私の手に豆浆が渡る。そうして豆浆を飲みながら小学校へ向かう朝の光景が今でも鮮明によみがえってくる。私は日本と中国という二つのルーツを持ち、小学校四年生からの二年間を中国の西安市で過ごした。新学期の九月から現地の小学校に通うことになったのだが、夏休みの終わりが近づくにつれ不安が膨らみ、毎日日本に帰りたいと思っていた。
迎えた登校初日、私は教室の中に入るのが怖かった。そんな中先生が教室の扉を開け、私はクラス全体を初めて目にしたのだが、私の不安をかき消すかのようにクラスの全員が、日本から来た転校生である私を笑顔で温かく迎え入れてくれた。休み時間には周りの友達が私に中国語を教えてくれたり、「一緒に遊ぼう」と声をかけてくれたり、皆の優しさに救われ、「谢谢」と心の中で繰り返すばかりであった。
学校にも慣れてきたある日、登校して教室に着くとクラスの皆が不服そうに怒った表情で私のもとに集まってきた。どうやら私が日本人だと言う理由で悪口を言った他クラスの子がいたようで、クラス総動員で私をその子がいる他クラスに引き連れ、私に代わって猛抗議をしてくれた。その後、悪口を言った子も申し訳なさそうな表情を浮かべて謝り、無事に事が解決したのである。私は当初、「悪口を言われても仕方がない」とか「抗議したところで何も変わらない」というふうに考えて、他クラスに乗りこんで騒ぎを大きくしたくないと思っていた。だが心強いクラスメートたちのおかげで、本人と面と向かって話すことで問題を簡単に解決することができるのだと知ることができ、直接会って確かめ、対話をしないと良い兆しが見えるはずがないということに気がつけた。
中国で先生に「日本人は中国をどう思っているの?」と聞かれたことがあり、私は「みんな中国が好きだと思う」と答えた。しかしこの答えは私の中国に対する答えであり、実際は中国に対するイメージが悪い人もいると思っていたが、そんなこと口にしたくないと思った。私は中国も日本も好きで、思い入れがたくさんあるけれど、私と同じ境遇でない限りこんな考えを持つ人は少ないと思う。その後に「国どうしが仲良くしていくことをみんな望んでいると思う」とつけ加えたのだが、これは私の心からの願いであり、日本人も大半の人がそう思っているのではないかと思う。
日本に戻ってきてから中学生になった頃、社会の授業で日本と中国の話題になり、一瞬自分の中で空気が張りつめた。しかし意外にも先生や同級生の皆が口をそろえて「日本と中国が仲良くなってほしい」という類のことを言っていたのでとても嬉しかったことを覚えている。
小さいころからずっと、自分がハーフであることが知られたら変な目で見られるのではないかという心配があった。それでも高校生になるとアイデンティティへの考え方が変わって、日本と中国の二つのルーツを持つことに自信を持てるようになり、その頃初めて自分から友達にハーフであることを躊躇せずに言えるようになった。はじめは驚いていた友達も「羨ましい」や「かっこいい」という反応をしてくれたので誇らしい気分になった。
私と同じように自分のルーツを隠す人が減り、堂々と言えるようになるためにも、「相互理解」が重要になってくると思う。知らないものを好きになるのは難しいし、興味のないものはまず知ろうとしない。だから、私は自分の周りにいる人たちが中国に少しでも関心を持って、知って、好きになってくれるように中国の良さを伝えていきたいと思うし、友達を誘って中国に行き、実際の中国を感じてもらいたいと思う。中国にいた頃、一人の先生から「あなたにできることがきっとあると思う」と言われたことがずっと心に残っている。中国で過ごした時のことを私に思い出させてくれる温かい豆浆のように、中国の「温かさ」を日本まで届けたい。