『私』を生きる

2023-10-23 16:26:00

福田 有佳


日本生まれ日本育ち、日本国籍。だが私は、自分にこのPanda杯の応募資格があるかどうかわからなかった。それは私が中国の血を引くからである。

2016年、まだ小学生だった私は帰化手続きを行い、『法律的』に日本人になった。しかし私はそれで『日本人』になったのだろうか。いや、何を持って日本人とするのだろうか。私は何人で有り、何人で有りたかったのか。在日外国人やハーフと呼ばれる人々には珍しくない話だが、彼らは自らルーツを語る事をしない。日本人に囲まれた日本という平穏な地の中で、自身が他国の血を引く事を打ち明けるその瞬間にうまれる歪な緊迫感、そして持て余すような周囲の表情を、私達は知っているのだ。それは機微なもので有りながらも、同時に確然としていて、無意識のうちに私達を蝕んで行く。無論私も例外ではなく、中国に対して好意的な印象を持たない日本人が少なからず居ることを幼いながらも悟った私は、つい最近まで自分のルーツをなるべく明かす事のないように生きてきたのである。

2019年、時は新型コロナウイルス感染症。幾度となる緊急事態宣言と国家的ロックダウンにより、私は半ば強制的に中国との交流を絶たれた。唯一現地と交流を持つ機会であった渡中すらも困難になり、2023年の今に至るまで、私は言わばとても『日本人』的に日々を過ごしてきたのだ。しかしその状況下でも些細な事が私と中国との縁を保ち続けてくれたのである。ここで例を1つ挙げよう。多言語話者の方は自身が心の中で数を数える時の言語が何か、考えてみて頂きたい。どんなに他言語が堪能であったとしても、今脳裏に浮かんだのはきっとあなたの起点となる言語に違いない。潜在意識下で使用される言語こそがあなたの原点となる因子を示していて、私の場合、それは中国であり、中国語であった。この時、私は中国が私の基盤を構成している事を刹那に、しかし鮮烈に再認識したのだ。それは2022年夏、新型コロナウイルス感染症真っ只中の事であった。この気付きは私にとって大きな勇気、そして誇りとなった。14億もの人が自らと同じ言語を話し、同じ先祖を持ち、同じ歴史を共に辿ってきた。それはなんと心強い事か。その瞬間、私は14億の新たな仲間を迎え入れ、同時に彼らに歓迎された気分だったのである。

アイデンティティとは何か。日本で生まれ育ちながらも、中国の血を引く私は帰するところ何者なのだろうか。実に16年間、私は自身のアイデンティティについて考え続ける日々を過ごした。そして二つの祖国を持つという事は、思春期の私に自我同一性の拡散をもたらした。しかしその一方で、それは『私』という存在をより確固たるものにするヒントをも与えてくれたのである。私の中に据える軸には必ず中国という存在が居て、日本という存在が居る。中国人という肩書きに、日本人という肩書きが加わったとも言えるのかもしれない。

胸中にある煩悶を明確な答えという形で昇華するにはまだ時間がかかるのだろう。或いはこの命尽きる限りそれは見つからないのかもしれない。だが、私のこのアイデンティティを探す長旅の道中で、自身の中にある中国を誇らしく思い、大切にして行きたい。そして私はこれからも中国と共に、『私』を生きるのである。

 

 

 

 

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