ぬいぐるみとお煎餅の思い出

2023-10-23 16:41:00

高橋 真希


私が人生で初めて中国人と関わったのは6歳の時である。冬休みに家族で北海道に行った。大晦日に泊まったホテルでは、新年のカウントダウンの前にビンゴ大会をやっていた。私は景品としてお煎餅の詰め合わせを貰い、ビンゴになった母が景品を貰いに行く姿を一人で眺めていると、突然ホテルスタッフの方が話しかけてきた。ホテルスタッフの後ろには中国人の女性がいたが、一見日本人と姿が変わらないため、私は彼女を同じ日本人だと勘違いしていた。中国人の彼女が話す中国語をホテルスタッフの方が訳して私に教えてくれたが、日本人だと思っていた女性が突然全く知らない言語で話しているのを見て、私は泣き出してしまった。当時の私には彼女が宇宙人のように見えたのだろう。女性の怒鳴っているような大きな声は私に怒っているのだと思い、ひどく怖かったのを覚えている。戻ってきた母になだめられながらホテルスタッフの方の話を聞くと、中国人の女性は景品でぬいぐるみを貰ったが大きすぎて飛行機で持って帰れないので、そのお煎餅と交換して欲しいとのことだった。お煎餅よりもぬいぐるみのほうが魅力的だった私は黙って頷くと、中国人の彼女は安心したように微笑んで、片言の日本語で「ありがとう」と言ってくれた。初めて外国人と接したことが無性に嬉しかった私は、この出来事を親や友達によく自慢したものだった。私が小学一年生の頃は英語の学習どころかALTの先生もいなかったため、思わぬ中国人との出会いは当時の私にとってまるで未知との遭遇であった。

この事は10年以上経った今でも忘れられない思い出である。あれから私は中学、高校を経て様々な価値観や常識を学んだ。一方で、日本人による中国人に対しての印象は良いものばかりではないこともニュースで知った。しかし、幼い頃の私に話しかけてくれたあの中国人の女性は、メディアが頻繁に取り上げているような「中国人迷惑観光客」では決してなかった。私は、日本人の大多数が思っているような中国人ばかりではないことを知ってほしいと思った。当時私が怯えていた中国人特有の大きな声は発音による影響だったというのは最近知ったことだ。その事実を知るだけでも中国人は威圧的だというイメージはなくなるかもしれない。

大学生になった私は今、第二外国語として中国語を学んでいる。幼かった当時の私は、中国に限らず目の色も話す言葉も違う外国人をどこか怖がっているふしがあった。それは、目に見えない言語の壁があったからだ。日本人の私と中国人の彼女の間にはそんな壁があったにも関わらず、彼女は私に感謝を伝えようと私の日本語に合わせて「ありがとう」と言ってくれたことが今となっては無性に嬉しい。今度は私が彼女の中国語に合わせる番だ。彼女に再び会うことは叶わないが、もし日本で困っている中国人がいたら中国語で話を聞いて助けたい。数年後に自分が流暢に中国語を話している姿は全く想像できないが、私が少しでも中国語を話せるようになって、日本と中国を繋ぐ架け橋になれたらいいなと思う。前より大人になって、中国語や中国の文化に触れるようになった今なら、北海道で出会った中国人のあの女性に「谢谢。再!」と言えるだろうか。


 

 

 

 

 

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