「らしさ」から学んだこと

2023-10-23 16:47:00

坂本 真子


現在、日本では多くの外国人や日本以外の国にルーツを持つ人が暮らしている。私の周りでもたくさんの国際交流や多文化交流が行われている。様々な国や異文化の交流が増えたことにより、その国や文化、価値観の違いに気づくようになった。その違いの認識は多文化共生のための大切な一歩である。

私は小、中、高校、大学において中国人やそのハーフ、中国からの留学生など中国にルーツを持つ多くの友人との交流があった。そのためか私は中国という国に対して自然と親近感を抱いていた。そんな中、高校時代に出会った中国にルーツを持つ友人とは特に仲が良く、彼女から学ぶことも非常に多かった。彼女は家では中国語で話し、学校では日本語で私たちと会話をして授業を受ける日々を送る。幼いころから日本に住んでいるため生活習慣は日本人と変わらないが、私は彼女と接する中で独特な価値観、言い換えれば「中国人らしさ」を感じることが何度かあった。

その「らしさ」とは「自分の意見をはっきり主張する」ということだ。自分が今何を思っているのか、何をどうしたいのかをはっきりと言葉にして相手に伝えることを大切にしているようだった。学園祭の準備中や課題研究のグループ内討議、さらには人間関係のトラブルなどにおいても、彼女は臆することなく正面から自分の意見を発していた。「自己主張が少なく周囲の雰囲気に合わせてできる限り調和を目指す」ことを良しとする日本人らしさ、心で思っていてもなかなかそれを口に出せない私にとって彼女の姿は驚きだった。言い切った発言によって友人間の考えにすれ違いが生じることもあり、そんな時に私は中国の民族性から中国人は「気が強い、自分の意見を曲げない」と短絡的に考えて、次第に中国人との関り方を否定的に捉えるようになっていた。 

しかし、彼女と長い時間を共に過ごしたり、また他の中国人の友達と関わったりする中で、私が感じた「らしさ」には誤解があった。あくまでも個人的な性格に起因することについて、様々な文化的民族的背景も知らないまま「その国の国民性」というレッテルを貼って決めつけてしまっていた私。根拠のない先入観によって誤解が生じることの危険性を痛感した。彼女の行動は決して攻撃的なわけでもわがままなわけでもなく、この積極的な交流によって相互の理解を正しく図ろうとしている姿勢の表れだったのだ。自分が正しいと思ったことを主張する、こちらもそれに対して誠実に偽りなく答える。ハラハラすることもあるが、そういったやり取りがお互いの信頼をより深めていく道筋であることを彼女との交流を通して実感した。私が抱いた価値観は「中国人らしさ」ではなく「彼女らしさ」そのものであった。同年代の若者のルーズな行動に対して「世の中に甘えすぎ」と厳しく言い切るのも、「SNSでの中傷は卑怯だ」とバッサリと断罪する潔さも、また感動的な場面で周りを気にせず涙する姿も、キラキラとした彼女ならではの「らしさ」だと理解している。

人が育つ環境は個人の特性を創り出す大きな要因ではあるが、人と人とが理解し合うことに国籍や民族性は大きな障害ではないのだと考えるようになった。中国人の友人を通して他者理解への気づきを得た私だが、今後さらにグローバル化が進み多国籍、多文化との関りが増えていくことが考えられる。そういった時には、彼女との交流を通して学んだことを忘れずに、そして「その国らしさ」を既存のフィルターを通して見たり、「その人らしさ」を一面的な国民性によるものとして捉えたりすることがないように多面的に真摯に向き合っていきたい。

加えて、このような交流の際に必須であるのが言語によるコミュニケーションである。私は現在大学で中国語を学んでいるが、そのスキルを高め、伝えたいことを自分の言葉で表現できるようになり、彼女と中国語で会話を楽しめるようになることが私の今の目標なのである。


 

 

 

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