対話が変える一人の認識

2023-10-23 16:50:00

増田 佳純


先日大学の授業中に見た一本の動画に衝撃を受けた。1972年日中国交正常化の後に行われた、当時日本研究や日本語教師の卵であった人へのインタビュー動画である。その頃、中国で日本研究の重要性が認知され、国の政策の一環として日本研究や日本語教師の養成が進められていた。それに日本も賛同する形で、日本から多数の著名な学者を派遣したそうだ。彼らから語られる内容は、日本人の先生にお世話になったことや、日本から本当に著名な学者を派遣してくれたことへの感謝などであった。日中間でこのように良好な関係を築けた時代があったんだ。これが私の率直な意見である。なぜなら、その当時まだ生まれていない私にとって、当時を生きた人の語りを実際の音声で聞いたのは、初めてだからだ。一方で現在、日中関係はかなり冷え切っていると感じる。関係を改善することは不可能なのだろうか。

ここで、中国人の友達の話をしたい。私は幸いなことに、日本にいながら多くの中国人と関わることができている。ある日ニュースを見ていると、中国で日本製品の不買運動が起こっていることを知った。また日本のSNSを見ると、中国人を差別するようなコメントが相次いでいた。その時、同じ年の中国人の友達と話していて、思わず口に出してしまった。「日中関係ってなんでこんなに悪いんだろう。良くならないのかな」。友達は、「難しいだろうね」と答えた。さらに、歴史問題が大きく関係しているだろうと言う。日本は過去に侵した過ちを、認めていない、謝っていないと。

私は少し疑問に思った。私は高校・大学時代、数々の負の歴史に正面から向き合ってきた。負の歴史とは、南京大虐殺、「満州事変」(九・一八事変)などを含む日本が過去に侵した過ちである。それは確かに、代表的な一部の事件に過ぎないかもしれないが、特に問題視されている事件から考えることが必要だろう。中国人留学生がいるクラスでも、みんなで熱い議論を重ねてきた。私が授業を通して感じることは、このような歴史において、客観的事実を把握するのは難しいということだ。一つの歴史にさまざまな見解が存在する。そこで、互いの主張を知り、その立場になって考えることが大切だと感じる。自国のニュースだけ見ていても、その国のメディア捜査に飲み込まれているだけかもしれない

そのため私は、日中間の出来事については、必ず中国の主張も確認するようにしている。また時には、別の国が私たちをどう捉えているかを映画やニュースを通して知る。日本ではこう聞いた、こう習ったでは通じない。日中間に起こった歴史には、日本とは異なる中国の考えもあるはずだという認識を持つべきである。二つの考えを知り、理解しようと思えて初めて、自分の意見が確立される。「日本にも私のような人がいると知って、嬉しい」。これは、友達が私に放った言葉である。私は話しあえてよかったと感じた。私の力で、大勢を引きつけることはできない。でも今そこにいる、たった1人の考えに影響を与えられる可能性は十分にあるだろう。

私は今回、友達との会話を通して、若い世代による話し合いの重要さを痛感した。若い世代こそが、今後の時代を改善できると信じている。より多くの人が日中関係に関心を持ち、真摯に向き合っていくことが大切だろう。日本と中国、国の場所は今後も変わらず、選ぶこともできない。いつまでも海を挟んだ隣国である。良好な関係の構築は言うまでもなく必要不可欠だ。良好な日中関係の再来を求め、若い世代の交流に期待をしたい。むしろ、自らが発信源になれるよう、努力したい。そう感じさせられた時間だった。


 

 

 

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