わたしという火に油を加えよ
加藤 隼
それは突然だった。新型コロナで在宅時間が伸びるなか、なにげなく見た動画に心を奪われてしまったのだ。携帯に映し出されていたのは、歌い、踊る七人組のK-Popアイドルグループだった。それからわたしの毎日は大きく変わった。会社に向かう電車の中で単語帳を開き、家に帰ると語学書を読みながら彼らの曲を聞いた。夢は一つ。彼らが話す言葉を、通訳を介さずに聞き取ること。毎日、勉強を続けるうちに、少しずつ彼らの言葉が理解できるようになった。耳が開かれるような体験だった。
ところが、勇んで進むわたしの足にブレーキをかけるような事態が出来した。七人組のメンバーのうち、二人が中国出身だったのだ。コンサートのさい、韓国語であれば、たとえわたしが聞き逃しても、通訳者がいるので理解できる。しかし二人が母国のファン(粉丝)に向けて発する中国語は、どういうわけか通訳されないのだった。メンバー全員が好きである箱推しのわたしは発奮した。そして決意した。だれも訳さないのなら、彼らの言葉をわたしが聞き取ってみせようと。待ち合わせの時間に来ない人がいれば、迎えに行くタイプなのである。
中国語学習において、なによりも重要なのは発音だと知り、週に一回、学習塾に通うことにした。なんという奇跡か。担当してくれた山東省出身の先生は同い年で、韓国のアイドルやドラマに詳しかったのだ。アイドルを愛する魂は国境を越えることを知り、わたしという火に油が加えられた。まさに「加油」である。そしてふたたび毎日が大きく変わった。家にいる間、予習・復習を兼ねて、母音から子音まで口に出して言ってみる。次に「妈」「麻」「马」「骂」と四声を。今度はそり舌音のshiとのxiとを言い比べてみる。マスクなしでは外を歩けなったその頃、手探りの発音練習は、中国語の響きの美しさをわたしに教えると同時に、鬱屈としていた気持ちを不思議と明るくしてくれた。
授業中、教科書は文法を教えたが、中国で暮らす同世代の人々の感覚を教えてくれたのは、先生との雑談だった。たとえば「爱豆」という単語からは、やはりアイドルには愛は欠かせないのだと納得し、肩幅の広い筋肉質な男性を指す若者言葉「双开门」を知ったときには、思わずくすりと笑ってしまった。この言葉を考えた遠くのだれかと、ハイタッチしたいような気分だ。教科書には載っていないユニークな言葉たちが、今を生きる中国の人々の体温をわたしに伝えてくれた。いったい中国で若者はどのように生きているのだろうか。そんな興味がしだいに湧いてきて、中国のSNSをチェックしたり、『中国新世代』(スモール出版)などの関連書籍を読んだりしてみた。ヒップホップを聞いたり、アイドルのオーディション番組を観たり、Vlogを撮ったり、洋服にこだわったりする……。わたしとなんら変わらない生き方がそこにはあった。
勉強を始めて約1年、わたしにとって「机」は、もう食べ物を置く長方形の家具だけを指さず、「东西」も方向のことだとはまったく考えない。歩きながら「走」という字が頭に浮かべば、そのズレがなんとも楽しいのである。ふだんだらりと過ごしてきた日本語の世界に、寄り添うように中国語の世界はあった。言葉という地図を手にした今、まだ心もとない足取りだけれども、二つの世界を行き来できる。
同じようで異なる隣人の世界に、わたしはアイドルという入り口から飛び込んだけれど、こうした入り口はきっと無数にあるはずだ。しかしなにも恐れることはない。どこからどのように入っても、中国に息づく文化や人々が、温かく迎えてくれるはずだから。今の目標は、中国のアイドルやドラマについて気軽に語れる中国人の友達/朋友を作ること。人を送り出すときに用いられる中国語に「慢慢走」がある。これからも自分なりのペースで、ゆっくり、着実に目標に向かって歩き続けるつもりだ。