食わず嫌い

2023-10-23 15:30:00

小澤 俊介


私は大学に入学してから中国語を習い始めた。といっても、第二外国語ではない。第二外国語にはフランス語を選んだ。フランス語の発音は美しいと聞いていたからだ。一方、電車内で大きな声で電話するなど、マナーの悪い中国人観光客を見ていたこともあり、中国語に魅了されることはなかった。言語を習得するには、言うまでもなく多大な時間と労力が必要である。自分も彼らのようになりたいと憧れを持つことが外国語学習を継続し、最終的に母語話者に近い実力を身につけることにつながる。そうした理由から、フランス語を選択する旨を入学予定の大学に伝えた。この選択自体は後悔していない。しかし、その決断の理由は好ましいものではなかったと今では断言できる。

高校卒業後、友達に誘われて台北・九份を巡ったのだが、その際に現地の人々の発音がとても優美だということに大変驚いた。中国語に対して抱いていた「怒っているような」感じの印象を全く受けなかったからだ。調べてみると、中国語は地域によって発音が大きく異なる言語であるということを知った。台湾の発音は、中国大陸で標準的とされている発音とは大きく異なっているらしく、大陸出身者にとっては「可愛らしい」と感じられるそうだ。

よくよく考えてみれば、発音の美しさというのは主観的なもので、言語自体に醜美はない。言語の美しさは、その言語が話されている地域の文化・社会に対してどのような印象を抱いているかに大きな影響を受ける。一般的に美しいとされているフランス語であっても、フランスのことが好きではない人にとっては、特徴的な鼻から抜ける鼻母音やうがいをするように発声するのも、ただ耳障りなだけなのかもしれない。私が台湾華語の美しさに魅了されたのは、観光を満喫するために、台湾の文化・歴史を事前に学習したからだろう。

帰国後、私は台湾華語の学習を始めようとしたが、残念ながら大学には台湾華語の授業はなく、中国語の授業は大陸で話されている標準語の授業のみであった。しかし、大陸中国語と台湾華語の間に、文法・語彙において大きな差異はないこと、学習教材が充実していることなどから、大学では第三外国語として標準語を習うことにした。不本意ながら始めた大陸中国語学習であったものの、学習の一環として、中国語の映画やドラマを見たり、新聞を読んだりする中で、だんだんと中国に興味を持つようになった。しかし、中国語の勉強を始めてから2年以上経っても、文章を書くと間違いだらけで、日常会話もままならない状況であった。そこで、大学の掲示板に「中華圏に興味があるので中国語の勉強をしていますが、ライティングとスピーキングが苦手で苦戦しています。中国語の文章の添削や会話練習をしてくださる方がいらっしゃいましたら、お返事ください。」と投稿したところ、数名からの返信があった。

「良かったら手伝わせてください」

報酬もないのにわざわざ時間を割いて、会ったこともない日本人の中国語の勉強に手を貸してくれる人なんていないだろうと思っており、誰も投稿に反応してくれないだろうと予測していた。だからこそ、この出来事にはとても驚いたし、なんて優しい人が多いのだろうと感動した。その後、彼らと心を通じ合わせたいと言う思いから集中的に勉強した結果、今ではHSK5級に合格できるレベルまで実力が向上した。

驚くべきことに、標準語の発音に対する印象はこの2年で180度変化した。これは、中国人の人望の厚さを知る経験をしたり、交流を通して中国に詳しくなったりしたからだ。日本ではメディアの影響から中国に対してポジティブな印象を持っている人は多くないというのが現状である。しかし、実際に中国人と交流してみると、私たちは中国を誤解していることに気づくはずだ。中国を訳もなく嫌うのではなく、積極的に交流会に参加するなどして、中国を理解しようと試みることが重要である。



 

 

関連文章