銀漢の如く

2023-10-23 15:57:00

東 沙紀


「銀漢(ぎんかん)」。これは、私が今年設立した屋号だ。「いつの時代も輝き続ける星々のように地元の恵みの魅力を伝えたい」、そんな想いを天の川の意味を持つ銀漢に込めて命名した。銀漢は宋第一の詩人と言われた蘇軾の「中秋の月」に記されている。私の好きな本である『銀漢の賦』から拝借した。

振り返ると、私の人生のターニングポイントには様々な形で中国と縁がある。

私が初めて中国に触れ合ったのは高校2年の秋のことである。当時、海外への興味や憧れから『鹿児島県青少年海外ふれあい事業』という国際交流の活動に参加した。

これは、シンガポールと香港の青少年と交流活動を行うもので、お互いの国を訪問し、国際的感覚やふるさとを愛する心の醸成を図ることを目的とした事業だ。

生まれて初めての海外は、これまで日本で生活してきたものとは全く異なる風景や人種、歴史、文化で、どれもこれも全てが刺激的だった。あの時の胸の高鳴りは今でも忘れられない。現地の人々はとても親切で、わからないことは何でも教えてくれた。

海外の友人たちが鹿児島の観光地を訪れた時のことである。鹿児島の街には西郷隆盛の像やイラスト、名前で溢れているが、当時の私は西郷隆盛が一体何を成し遂げた人なのかほとんど理解していなかった。そのため西郷隆盛はどんな人なのか訊ねられても何も答えることができなかった。それ以外の簡単な質問も「I don’t know」としか返事ができない自分が悔しくてならなかった。

この経験から海外に憧れを持つ前に、まず自国のことを知らなければならない、と強く感じた。

それから今日まで勉強や仕事、ボランティア活動などを通じて日本や自分の住む街について知識を深めてきた。その中で、日本人として生まれてきたことに誇りを持つようになった。

1年前のことである。新型コロナウイルス感染症によって生活スタイルが様変わりし、家で過ごす時間が増え新しい趣味を探していた。その時に偶然にも父の知り合いの中国人が中国語を教えてくれることになった。

中国に興味を持つようになり、語学だけではなく中国のドラマ鑑賞やSNSで中国人と交流をするようになった。中国と触れ合う中で、日本と中国の違いやお互いの良いところに気付くことができた。例えば、日本の歴史ドラマのほとんどは大河ドラマを除くと江戸時代以降である。一方で中国は何千年も前の歴史ドラマが数多くあることに大変驚いた。文化の発達や多くの文献が残されている証である。逆に中国の歴史を知ることによって、日本はずっと同じ国であり続けていることの難しさと偉大さを感じることができた。

日本と中国は友好国か、と問われると正直わからない。しかし、学び、経験する中で大切にしなければならない心構えに気づくことができた。その一つとして、私たちは先人たちの絶え間ない努力のおかげで、今があることに日々感謝しなければならないということだ。一方でこれまでたくさんの辛い出来事があった。それらは、国や人によって見え方は変わってくるものである。様々な立場があることを理解した上で、これからどのように平和へと導いていくかを考えることが大切ではないかと思う。そのためには、インターネットやテレビなどの一部の情報に左右されるのではなく、様々な経験を通じて情報の取捨選択をしていく必要があるということだ。

今後、より一層日本や中国の知識や交流を深め、ふるさとを愛し感謝する心、そして目の前に溢れている何気ない幸せを感じてもらえるような活動を行いたい。それが、平和への第一歩であり、銀漢の使命だと思うからだ。

 

 

 

 

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