小新から学んだこと
山本 佳代
茹だるような暑さが続く今夏。「映画が見たい」という娘のリクエストがあり、涼を得るために映画館へ足を運んだ。これから公開される映画作品のポスターやフライヤーが館内を彩り、暗がりのロビーに漏れて響く上映中の作品の重低音を聞くと映画館に来たのだと感じる。新型コロナウイルス感染症の影響もありしばらく映画館を訪れていなかったが、変わらぬ景色に戻りつつある日常を感じた。
見た作品は「クレヨンしんちゃん」で、笑いあり涙ありの内容で、子供も大人も楽しむことができた。久しぶりの映画への想いを咀嚼する内に、幼き頃の記憶が蘇ってきた。私自身が子供の頃、両親に映画館に連れてきてもらい、クレヨンしんちゃんを見た事を今でも覚えていたのだ。
映画館の大きなスクリーンで活躍するしんちゃんの姿に心を踊らせ、映画終わりに劇場のグッズを買ってと駄々をこねた記憶。今、眼前で娘が同じ事を繰り返しており、20数年の歳月を越えて尚、人を惹きつけ続けるしんちゃんの不変的な魅力に改めて魅了されたように思う。
この魅力は国を超え、世界中で人気がある。中国では「蠟筆小新」として愛されており、私が中国に留学した際、中国語の勉強も兼ねてDVDを購入して繰り返し見たものだ。日常生活が会話のベースであり、内容もわかりやすいので、初級学習者でも中国語が聞き取りやすく、何よりしんちゃんの独特な口調を中国語で再現する様子を真似しながら楽しんだ。
この経験がどれほど人生やテストで生かされたかは正直わからない。しかし、間違えなく忘れられない体験として私の胸の中で生きている。改めてこの20数年の歳月に想いを馳せてみると、新しいものが生まれては消えて行ったことに気がつく。
私が留学していた2009年頃はDVDやVCDが主流で、中国国内の長距離バスでは映画やカラオケの映像がよく流されていたし、街中の至る所でDVDを販売しているショップを見かけた。しばらくして、中国を再訪すると行きつけのDVDショップは潰れていた。聞けば、インターネットが普及して、ネットで映像作品を見ることが主流になり、廃れたらしい。
さらにQRコード決済の発展により、街中から現金が消えたという日本のメディアが報じたニュースを見た時には驚いた。実際に中国の友達にその話をした所、「現金をこの1年間ほとんど見た事がない」と言う回答が返ってきて更に驚いたことを覚えている。
シェアサイクルやライドシェアリング等、日本の地方にいると馴染みのないサービスが隆盛しては衰退し、形を変えて定着したり、そもそも無くなったりしている。この変化の様相を風聞で知ってはいるが、実際に体験した事がなく、今の中国は私の知っている中国と大きく様変わりをしてしまったように思う。正直、「街中で普通にタクシーに乗れるのか?」と言う怖さも感じている。
一方でSNSやオンラインの発展は新たな交流の形を提言してくれている。先日もWeChatで中国にいる友人と連絡を取り、以前のメール・電話での交流に比べて格段に利便性が向上している。また、旦那はオンラインで日本にいながら中国人学生に日本語を教える仕事もしており、双方にとって選択肢や可能性が広がったと感じている。
この時、「小新(しんちゃん)」が長年愛され続ける理由は、新しい事に挑戦してきたからではないかと感じた。大きな変化は混乱や拒絶が生まれるが、小さく新しい挑戦を重ねてきた結果、いつの時代でも愛されて応援されてきたのだと思う。
世界が日常を取り戻す中、日中の交流も元どおり以上に戻らなければならない。そのために私も新たな小さな一歩を踏み出し続けようと思う。日中の子供達のために。