手を取り合えば
金野 勇登
「お前がいたから学校いけたよ」「一緒のゼミでよかった」大学の卒業式の別れ際、彼と直接話した最後の言葉だ。鮮やかな赤髪で、一際大きな車に乗って、体も大きいんだ。アクセサリーもたくさんつけてて全身に入れ墨が入っていて…。
思い出せば出すほど荒々しい風貌だ。私の交友の中にこのような見た目の人間は彼だけ。最初は同い年なのに勝手に怖がって敬語で話していた。
3回生の4月に、ゼミで最初の集まりがあるということで教授の待つ教室に向かう。約束の時間よりも早く到着した私は期待を胸に膨らませてドアを開けた。その中には先述の見た目の彼がいた。とんでもなく厳つい中国人として学内にその名を轟かせていた彼だ。ほとんど話したこともなかったので、二人静かにそのほかの人が来るのを待っていると、教授が入ってきて「それでは第一回を始めましょう」といった。どうやら私の期待とは違ったようだ。ゼミとは勉強を目的としたキラキラの男女グループだという潜入観があった私は落胆した。学生として最後に与えられる青春は私とおじいちゃん教授、そしておっかない外国人の3人で始まった。
最初に自己紹介では教授が軽く経歴を交えて話した。そのあとに私、最後に彼だった。彼が話したときに以前との違いを感じた。以前とは1回生の授業のグループワークの時のことで、その時よりも格段に日本語がうまくなっている。それだけで前よりも親近感を覚えた。言語は習得する難易度は非常に高いが、手に入れたらコミュニケーションの強い味方だ。私の警戒心を見事に解いてしまった。初回のゼミを終えた後、彼とプライベートな話をしながら外の駐車場に向かった。その道中にある喫煙所を出たときにはすっかり打ち解けていた。それからはゼミの同級生ではなく友人として接するようになった。講義で隣に座ることも増えたし、お互いのおすすめのお店でご飯を食べに行くこともあった。
彼の一押しのインドカレー屋で昼食を食べているときに聞いてみた。日本でおいしいと思った中華料理屋はないのかと。そしたら「日本のは全然違うよ。美味しいけど中国のとは全然別物だ」と彼。機会があったら本物の味を食べさせてみたいとも言ってくれた。私は本場の味とはどんなものかと気になっていて、次の旅行の行先は必ず中国にしようと心に決めている。
そんな私と彼は4回生になると研究室で顔を合わせる機会が増えた。お互いに違うテーマで卒業論文を書いているが、教授の意向でお互いに協力して論文を完成させるということを目標に、彼の作業を手伝っていることも多かった。論文の発表会の間近ナーバスになっていた彼に、密かに練習していた中国語で「心配はない。私たちなら大丈夫だ」と言葉をかけた。彼を励ますためにいった言葉であるが、彼の「発音が結構綺麗だね」という返答につい私のほうが嬉しくなってしまった。
卒業を機に物理的な距離が離れてしまった今でも彼とは連絡を取り合っている。私は民間企業に就職したが、彼は自身と友人で貿易の会社を立ち上げて先日、彼の雑貨店の第一号が出店された。その店は私の実家から車で10分ほどの距離にあるので、次に帰省した時に行ってみようと思っている。彼は「仕事辞めたらうちでこき使ってやるから安心しな」と良く言っているが、今のところお世話になりそうもない。
最初は怖くて得体の知れぬ外国人だと思っていたが、今では彼の見た目にも国籍にも偏見はない。私は彼と共にした2年間から、実際に関わりを持つことの重要性を肌で感じることができた。実際に未知への恐怖や先入観は誰しも持ち合わせている感情だと思う。しかし、その隔たりを乗り越えた先にはかけがえのない経験や人が待っているかもしれない。
最後にこのコンクールで自分のことを是非とも書いてほしいと言ってくれた彼に心から。ありがとう。