私の真っ赤な口紅

2022-10-25 15:05:00

羽瀬 彩乃


「中国から留学生が来ます」

ゼミの先生のその言葉に、私の胸は高鳴った。「大学では沢山の留学生と交流したい」と意気込んで入学したものの、大学2年目の春以降、新型コロナウイルスの感染拡大によって、私の願いは呆気なく打ち砕かれていたからだ。自宅でのリモート授業が続き、留学生はおろか、同級生とも対面で会うことができない毎日。そんな日々が約2年間続いた。留学生がゼミに来ると知ったのは、私が4年生になり、やっと対面授業に参加できるようになったタイミングのことであった。

中国からの留学生徐さんと私が仲良くなるのに、時間はかからなかった。大学からの帰り道、一緒にバスに乗って話すうちに、多くの共通点が見つかって話が盛り上がったのだ。犬を飼っていること、自然や動物が大好きなこと、今後の大学での目標――。「メイクに興味がある」というのも共通点の1つだった。

ただ私は、メイクに興味はあるものの、詳しいことはよく分からなかった。大学1年生の頃は目の前の大学生活や勉強に必死で、メイクにまで気が回らなかった。「2年生からは、少しずつメイクを楽しめたら」と淡い期待を抱いていたものの、コロナで自粛を強いられたことで、コスメを買いに行くことも、実際にお店で試してみることも難しくなった。外出が制限され、人と会う機会が激減してしまったことも加わって、私はいつの間にか、メイクに対する好奇心を失っていた。

私は、そうした自分の状況を徐さんに伝えた。すると徐さんは、おすすめのコスメや中国で人気のメイク動画をスマートフォンで見せてくれた。私は中国の華やかなメイク文化にワクワクした。中でも心躍ったのは、美しい口紅の数々だ。「赤色」と一口に言っても、オレンジがかった夕焼けのような赤色から、散る前の紅葉を思わせる渋い赤色まで、まさに千差万別だ。

「口紅の色が僅かに違うだけで、メイク全体の印象が随分変わって見えるね」

驚く私の様子を見て、徐さんは「少し早めの羽瀬ちゃんへの誕生日プレゼントとして、一緒に口紅を買いに行こう」と提案してくれた。

口紅を買いに行く日、私たちはコロナの感染対策を十分に講じたうえで待ち合わせた。徐さんは、私をデパートの化粧品売り場に連れて行ってくれた。それまで横を通り過ぎることはあっても、立ち止まってじっくりと商品を見たことはなかった。私にとって初めてのコスメカウンター。数えきれないほどのアイシャドウやファンデーションといった化粧品が並んでいる。上品な香水が立ち込める、キラキラとした華やかな空間に、私は圧倒されていた。

徐さんが勧めてくれた化粧品ブランドのコスメカウンターに到着すると、私はその口紅の種類の豊富さに目が回りそうになった。

「どの口紅が良いかなんて、私に分かるのかな」

些か不安を感じていたその時、私はハッとした。徐さんは事前に、どの口紅が私に似合いそうか調べてきてくれていたのだ。

口紅のテスターが、次々と私の手の甲に並んでいく。

163番と288番の口紅はありますか」「羽瀬ちゃんには、どれが一番似合うかな」

そう話す徐さんの隣で、私は胸がいっぱいになった。それは、初めてコスメカウンターに来たときめきに因るものでも、自分に似合う口紅を見つけたいという高揚感に因るものでもない。徐さんが私のために、あらかじめ情報を集めて、店員さんと相談しながら一生懸命に考えてくれている姿に因るものだった。私は悩んだ末に、徐さんと店員さんが勧めてくれた、真っ赤な口紅を選んだ。

誰かを大切に想う気持ちに国境はない。徐さんとの出会いを通じて、私が学んだことである。徐さんの留学生活は、まだ始まったばかりだ。これから一緒に日本での思い出を沢山作りたいと思っている。そしてコロナが終息したら、いつか徐さんの故郷である中国に行ってみたい。徐さんがプレゼントしてくれた真っ赤な口紅をつけて、人を大切に想う気持ちを抱きながら――。

 

 

 

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