日本と中国の架け橋

2022-10-26 11:39:00
金月 綾

「上着、着ていきなさいね。」登校前、私の身を案じて中国人の母はそう言った。体操服の胸元には「中華」の2文字。日本人の父と中国人の母の間に生まれた私は、在日中国人学校に通っていた。当時、中国漁船と日本の巡視船の緊迫した状況や、日系店舗の窓ガラスを割る抗議デモの様子などがひっきりなしに報道され、日本人と中国人の間に不穏な雰囲気が漂っていた。

その数日前のことだった。駅で電車を待つ私に見知らぬ男が近づき、突然頭を叩かれた私がホームに転落しかけるという事件があった。「この中国人が!!日本から出ていけ!!」と叫んだ男の目は怒りの色に染まっていた。駅員さんと、通学路を巡回中だった先生に取り押さえられた男はそのまま警察に連行された。当時小学生だった私に幸い怪我はなかったが、この件はちょっとしたニュースになったのだ。この日以降、中国語を人前であまり話さないように、制服や体操服の「中華」のマークを隠すように、母は口酸っぱく言うようになった。

当時、清掃委員をしていた私は毎朝7時すぎに学校に行き、歩道を掃除することが日課になっていた。清掃委員の仕事は主に学校周りの歩道の掃除で、ゴミの日には近所のお年寄りの家に出向き、ゴミ捨てを手伝うこともあった。「中国人学校の子たちは大きな声で挨拶してくれるし、地域の清掃もしてくれて、本当にいい子が多いね。いつもありがとう。」そう言ってもらえたときはとても嬉しかった。こんな時だからこそ、中国人の悪いイメージを払拭しなければと、その頃の私はいつもより張り切って掃除をしていた。

帰宅前のホームルームの時間、先生はいつもより少し遅れて教室に入ってきた。強張った表情の先生は、重い口を開いた。「皆落ち着いて。怖がらずに聞いてください。さっき学校に『中国人学校の生徒を殺す』と殺害予告が届きました。保護者の方が迎えに来られる人は連絡してください。そうでない人は順番に集団下校をするので先生に教えてください。」生徒の中には怖くて泣き出したりパニックを起こしたりする人もいて、教室内は一時騒然となった。何とか生徒たちを落ち着かせた先生は、ホームルームの最後にこう言った。「皆これだけは分かってください。日本人みんなが悪い人ではありません。中国と中国人を憎んでいる人がいるのは確かですが、そうでない人もいます。あなたたちは日本と日本人に対して憎しみの気持ちを持ってはいけません。この学校は日本と中国の架け橋となる人を育てるためにできた学校です。あなたたちは日本と中国の架け橋なのです。そのことを忘れないでください。」この言葉は大人になった今も、私の胸に強く刻まれている。

そして、先生に連れられ学校の外に出ると驚くべき光景が広がっていた。いつも挨拶をしていたご近所の方々が、歩道に列を成していたのだった。毎週ゴミ捨てを手伝っていたおばあさんもその中に立っていた。驚く私に先生は「ご近所の皆さんが生徒の帰宅の見守りに協力すると申し出てくれたのですよ」と言った。「ありがとうございます」とお礼を言う私たちに近所の方々は「こんなことをする日本人がいるなんて、本当に恥ずかしい。ごめんなさいね。」「怖かったよね。絶対大丈夫だよ。私たちがあなたたちを守るからね」と優しく声を掛けてくれた。日本人によって傷つけられた幼い私の心は、日本人の温かさに救われたのだった。

中国と日本の間に生まれた私は、日本にいても中国にいても、辛い体験を避けられないことがある。日本人でもあり中国人でもある私は、日本人でもなく中国人でもないからだ。そんなときはいつも幼い頃のこの出来事を思い出す。日本と中国の架け橋、そこに私の居場所はあるのだと。

 

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