山川異域 風月同天

2022-10-26 10:40:00
山口 翔太郎

大学に入学するまで、私にとって中国は遠い存在だった。

私は両親共に日本人の家庭で生まれ、もちろん中国での生活経験もない。小学生の時、三国演義を読んだことがきっかけで中国の歴史に興味を持っていたものの、中国に対しては漠然としたイメージしか持っていなかった。例えば、当時、「中国」といわれてまず思いついたのは麻婆豆腐である。「中国人はみな辛い食べ物が得意」と長年勘違いしてきた私は、後に浙江省出身の友人が辛いものが苦手だと知った時は強い衝撃を受けた。

大学入学後、第二外国語として初めて中国語を学んだ。日本語にはない四声の存在やそり舌音に悩まされ、1年時の中国語の成績はギリギリ単位がもらえる「C」だった。しかし中国人のルームメイトや先生方の親身なサポートに加え、歴史的な逸話を背景とした成語に魅了されたことで私の中国語は徐々に上達していった。そして何よりも中国の歴史や食文化への憧れが私の学習モチベーションを保ってくれた。大学の専門が法律学であったことから、大学2年生の時、中国法に強い興味を持つようになった。しかし日本で中国法を学べる機会は少ないため留学を志すようになり、ついに憧れだった北京大学で法学を学ぶ機会をいただいた。2020年のことである。しかし当時はこれから未曾有のパンデミックが起こるとは、思いもしなかった。

2020年に突如として現れた新型コロナウイルス。それは地球に暮らす全ての人々に大きなショックを与え、困難をもたらした。そしてそれは私にとっても同様であった。

中国政府の奨学金をいただき北京大学で学ぶはずだった私の留学は、この未知のウイルスによって叶わぬものとなった。留学を目標に必死に中国語を勉強してきた私にとって、留学の中止が与えたショックは計り知れないものだった。

幸いにもオンラインでの開催が決まり、日本にいながら授業を受けることができたものの、現地での生活や対面授業への憧れは心の中に残り続けた。友人に会うたびに言われる「まだ日本にいたんだ」、この一言が胸に刺さった。そして一時は、中国語を学ぶ目的を見失いそうにもなった。

しかし他方で、コロナウイルスが私にとって希望を与えた側面もある。まず、この未知のウイルスに直面した武漢の人々が一致団結し闘う姿は、全世界の人々を勇気づけた。それと同時に、政治や地域の差異を超えて、世界中の国々がウイルスと戦う中国へ多大な援助を申し出た。それに対し、真っ先にコロナを乗り切った中国は、今度は援助する側として、マスクをはじめとした医療用物資や累計22億回分にものぼるワクチン等の積極的な支援を行い、武漢の旧恩に報いた。

山川異域 風月同天

日本のHSK事務局が湖北省へ送った支援物資に書かれていたこの言葉は、唐代の日中の仏教交流の逸話に由来するとされる。

鴻雁北 一衣帯水の 絆かな

2ヶ月後、今度は日本でコロナウイルスが拡大する中、浙江省のある企業がこの俳句を添えて支援物資を日本へ送った。

確かに世界中の多くの国々は、お互いに歴史や政治上の問題を抱え、時には互いを憎み合い、歪み合うことも少なくない。しかしこれらの言葉が示す通り、私たちはたとえ住む場所や国籍は違えど、同じ空の下に暮らす地球人だ。

コロナウイルスの流行からもうすぐ3年が経とうとしている。しかし今回、この未知のウイルスに対して各国が手を取り合い、互いに助けあったことは、国際平和実現への大きな一歩になると私は信じている。

なお、現在に至るまで、上述した中国への渡航は実現できなかった。しかし、諦めることなく中国語の学習は続け、8割を超えるスコアでHSK6級に合格することができた。

そして現在、私には日中間の架け橋となる法律家になるという新たな夢がある。その夢に向かって日々勉強に励み、いつの日か弁護士として、今回は実現できなかった中国への留学に再挑戦したいと思う。

 

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