『蘭亭序』との出逢い

2022-10-26 10:34:00
小國 凜

現代の漢字の基礎を築いた王羲之。彼の残した『蘭亭序』との出逢いは、3年前、私の書道との向き合い方を大きく変えた。遡る事12年、小学校に入学してすぐ、私は習い事として近所の書道教室に通い始めた。周りがバレエやピアノ、水泳、そろばんなどの習い事に通う中で、自分は週に1度、1時間のお習字のみ。筆の持ち方、縦線や横線の練習から始まり、1人で字を書くのもままならなかったが、気づけば年に一度行われる展覧会に向けて自力で多文字の作品を完成させるまでに上達していた。小学校低学年の頃は、半切に大きく4文字を書き、誰もが書き初めとして経験したことのある様な作品を書く。しかし、成長するにつれて、紙の大きさは同じまま、文字数が増えていく。苦戦しながらも、毎年作品作りをしていく中で、求められる技術レベルが上昇した中学3年の頃、自分の中で理想通りに書けないことが増え、作品作りに忌避感を抱く様になっていた。そんな年に課題として与えられた作品が、今回テーマとした「蘭亭序」であった。蘭亭序の中でも冒頭の約30文字を抜粋したものだったが、たった30文字をひとつの作品としてまとめるのに、5ヶ月を要した。決して満足の行く結果に終えられた訳ではなく、勿論今見ればまだ幼稚な字だと感じるが、それでも、当時の自分にとっては非常に刺激を受けた挑戦だった。「蘭亭序」という作品から自分が何を受け取ったのか、未だ明確には分からない。しかし、現代の書の基本となった作品に向かい合うにあたり、自分の中で習字が書道に変わった様な気がした。習い事のお習字から、芸術の書道に一歩歩みを進めたと感じたのだ。ただ手本を真似するだけではなく、一画一画の線の角度、太さ、入れの角度、力の抜き加減など、細部にまで注意を払い、まっさらな半切に一字一字丁寧に書いていく。説明するのは簡単だが、実際にやってみると上手くはいかず、同じ文字と数ヶ月間ひたすら睨めっこ。いくら注意を払って丁寧に忠実に書いているつもりでも上手く書けず辞めたくなった時も、いくら練習しても自分の字に変化が見られず悩んだ時もあったが、その労苦があったからこそ、最後には努力と熱意の集結した1枚の作品が仕上がった。そしてこの一連の過程こそが自分自身を大きく成長させる転機になったと感じる。繰り返しになるが、この転機を作った原因こそが「蘭亭序」だったのである。勿論大学生になった今でも、師範という次の目標に向かって精進し続けている。そして先月、新たな挑戦として、蘭亭序全文の作品作りを目標に、新たに練習を始めた。中学生の頃に書いた字体とはまた変わり、大人の字、言わば線に綺麗さ、抑揚がある締まった字へと変化している。1からの挑戦に気が遠くなる部分も多くあるが、昔から成長した自分の実力と向き合い、更なる成長を遂げるためにも、根気強く臨みたい。前述からお分かり頂ける通り、書道は私にとって1つのアイデンティティ、且つバイタリティの一部である。そしてその書道の起源は中国に遡る。ここから私は中国語、そして中国に興味を持ち、大学で中国語を第二外国語として専攻し、日々多くの学びを得ている。よって、私にとって中国は多くの実りを与えてくれた国と言えるのではないか、これが私が思考の上辿り着いた答えである。

 

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