上海の冷蔵庫に想いを馳せて

2022-10-26 11:23:00
武田 庸平

大学生のうちにもう一度中国へ行きたい。そんな切実な願いとは裏腹に新型コロナウイルスの蔓延により、数年間かけて準備した中国留学は叶わない夢となった。1つの大きな目標を失ってしまった私は中国語を学ぶモチベーションすら消失しかけていた。そんなときある思い出が走馬灯のように蘇ってきた。

中国語を学び始めて1年が経とうとしていた大学1年生の春休み、私は上海の同済大学にて2週間の語学・文化研修に参加した。文字通り、期待と不安が錯綜するなか、上海へ飛び立った。たくさん中国語のシャワーを浴びて、中国文化にどっぷり浸かろうと意気込んでいた。最初の10日間は、思いがけないほど順調だった。上海の名所旧跡だけでなく、杭州の西湖や蘇州の有名な庭園など教科書で学んだばかりの上有天堂,下有「上に天国あり、下に蘇州・杭州あり」という諺を口ずさみながら足が棒になるくらい歩き倒した。さらに、現地の大学生の流暢な日本語に感服しながら私もたどたどしい中国語を用いて互いに親睦を深めるなど、愚直にも現状に満足してしている自分がいた。

しかし、その自信は一瞬で粉砕された。帰国を4日後に控えたある日、冷たいはずの冷蔵庫が温かいことに気づいた。「これはマズイ」と思い、直ちに迎賓館のフロントへ向かった。その道中、スタッフとおぼしきおじさんとおばさんが清掃をしながら怒鳴り合っているのを見かけた。好奇心からその光景を見入ってしまい、2人に気づかれた。何かを叫びながらすごい剣幕でこちらへ歩いてきたので、私は恐怖で少しおののいてしまった。冷蔵庫を直してほしい旨を伝えようとあたふたしていると、それを察したおばさんがおじさんに状況を説明してくれているみたいだったが、当時の私の中国語能力では彼らが何を話しているのかは分からない。彼らが話しているのは普通語ではなく、上海語なのではないかと思ったほどだ。私はその場から一刻も早く逃げ出したいという気持ちと中国語で自分の意思を伝えたいという思いの狭間を大きく揺れ動きしばらく葛藤していた。おじさんも相変わらず大声で怒鳴っているので、私は怖くなって機械翻訳を頼りに算了,没问题「もう大丈夫です」と苦し紛れに言った。少し逡巡した後、冷蔵庫が使えないのはやはり不便だと思い直し、とっさに个,没有冰箱……”「あの、冷蔵庫がないと……」と言い始めると彼らは私のことばを遮り再び口論をはじめた。そして、突然おじさんがその場を離れ小型の冷蔵庫を抱えて戻ってきた。私がすぐに感謝の気持ちを伝えると、没事「どういたしまして」と言ってくれた。その“méisì”を聞いたとたん、おじさんが話しているのは南方の特色がにじみ出た普通語だと気づいた。

どれほど時間が経ったのだろうか。ほんの数分の出来事だったがとても長く感じた。何とか問題を解決できたという達成感とともに、自身の中国語では意思疎通すらまともにできないという無力感にさいなまれた。中国語を学んで4年目を迎えた今となっては、彼らが口論をしていたのではなく単におしゃべりをしていただけだと容易に想像できるが、当時の私の眼には不愛想な上海のおじさんと声の大きなおばさんに映っていた。何はともあれ助けてくれた心優しい2人のことは忘れない。

すでにはるか前の記憶となってしまった。感染拡大により、両国の自由な往来が途絶えて久しい。お互いに同じ空間で顔を合わせて交流することが困難な今日において、臨場感あふれる上記の体験は私にとっては宝物だ。個人の顔の見えない集合体に対して私たちはより盲目的にネガティブな解釈をしてしまうが、一人ひとりの人間性や個性にこそ意味があり、そんな彼らと向き合うことが大切なのではないかと強く思う。冷たい冷蔵庫が私の胸を熱くした。これこそが私の中国語を学ぶ原点でありモチベーションである。

 

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