笑顔

2022-10-25 16:43:00

原野 海華


交差点で一刻を争うように走る無数の車の轟音とそれに負けんぞとばかりに聞こえる人々の笑い声、話し声、そして周りには果物、焼き鳥、肉まん、さんざし飴と、食欲をそそぐ道端の店が街をさらに色鮮やかにする。ここは中国の天津という都市。私が三歳から小学校一年生まで四年間お世話になった場所だ。

当時の幼い私は、親の仕事の関係で中国に行った。まだ言葉さえまともに話せないのに、中国語なんてなおさらさっぱりわからないままの状態だった。そんな中、いきなり現地の幼稚園に通うことになった。何を、話せばいいのか、そもそも話せない中国語でと心配しながら初めての中国幼稚園デビューへ。しかし、幼稚園の門に入ってその瞬間から、言葉の壁と言うものが存在しないことにわかった。先生たちが入口に毎朝笑顔で迎えてくれて、私のためにゆっくりと話してくれて、発音や単語の意味を身振り手振りで何度も繰り返して一生懸命に教えてくれていた。音楽発表会、チームダンス、演劇の主演までやらせてくれた。

いよいよ小学校に上がり、まだまだ辿々しい中国語のままなのに、幼稚園にいた経験から妙にきっとうまくコミュニケーションが取れると自信がつき、天津のローカル小学校に入学した。勉強に困っていた時に、クラスメイトたちが、熱心にテストの答えまで教えてくれて、昼休み中に一人にさせることがなく、声かけくれて一緒に遊んでくれた。

彼らの優しい目線と笑顔から、まだ子供の私にはわかったのは、私のことを決して日本人だからではなく、一人の人間、同年代の子供として困っていた私を助けてくれた。思い出すだけでもふっと笑顔になる事ばかりだった。

こうして過去の甘い思い出を懐しむと、スマホのスクリーンに「活着?最近怎??」とわざと嫌味を言う風に「生きておるか」と元気かどうかを心配してくれる親友のメッセージが届いた。

彼女はイギリス留学先に出会った一コ歳下の中国人女の子サブリナ。サブリナの素の明るいところ、ユーモアな話し方、自分の意見をはっきり言えるところに引かれ、私たちは入学してから三日も経たない内に大の仲良しになった。サブリナは家族を大事にし、毎週末必ずお父さんお母さんとビデオチャットし、妹さんのことも良く話してくれていた。サブリナは人情深く、いつも私の愚痴を聞いてくれて、慣れない寮生活にストレスが溜まり、落ち込んでいた時に励ましてくれた。昔いじめてにあったことを話したら、タイムマシーンに乗ってあの時に戻り、駆けつけて助けてくれると一度築いた友情は一生ものだ!と言ってくれた。でもサブリナとも時々意見合わず、ケンカしていた。彼女と大声出して激しく中国語、英語混じりで言い争いになり、挙句お互い頭を叩き合い、最後に疲れ果て同じベッドで寝落ち。次の日になればまたいつものように、おはよう!と元気いっぱいで挨拶してくれた。

中国人の彼女の「ため込まない、引きずらない」感情豊かだけどさっぱりした性格はとても印象的だった。

思い返してみると、今まで私はたくさんのお世話になった中国人に助けられ、また笑顔にさせられた。中国、日本、イギリスにいた時に出会った中国人の方々は、十人十色ならぬ14億人14億色、それぞれが個性と魅力にあふれた中国の人たちだった。でも、みんなの優しさ、愛情の深さ、親切にしてくれる姿、その全てが私の心の支えとなっている。近年オリンピック開催と伴い、公共交通機関や、レストランや、観光地などの観光客向けの場所に中国語説明を良く目に入る。また中国語検定や医療通訳士などといった中国語学力を身につけたい方も日本国内に年々増え、中国人の来日を受け入れる姿勢が目に見えるぐらい発展している。しかし、日本の高校では、同級生に中国に対する印象を聞いてみたが、教科書から得た人口、面積など文字通りの情報、またテレビからの意見偏るニュース、そして親から聞いた話などがほとんどだった。

日本と中国はアジアの隣国であるのに、お互いについて、また世界からもっと知る、知ってほしいと改めて強く思った。日本、中国、また欧米では当然と思うことは、一歩外へ出ると全く常識でなくなる。より中国、また海外からの方を受け入れるのに、相手の国のマナーを理解し、もっとお互い尊敬することが重要かと思う。

今、10代の私にできること。

中国で感じた人々の温もり、中国で頂いた美味しかった家庭料理、中国の賑やかな野菜市場、全て全ての楽しかった経験、この本当のリアルな中国をより多くの周りの日本人に発信できたらと思っている。

今、10代の私の夢。

いつか日本が中国人、外国人にとって安心して暮らせる国、距離感がない国、自然体で居られる国になるように。相手を思いやる気持ちは、言葉の壁を越えられると信じている。

今度は、10代の私がお世話になった中国の人々を笑顔にする番だ!

 

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