「朋」「友」との別れと一衣帯水

2022-10-26 10:29:00
陣内 未来

中国語の「朋友」は友人を意味する単語である。日本語だと「ほうゆう」と読み、やはり友人を意味するが、少し固めの単語と認識されているだろう。ところで、「朋」と「友」という漢字自体も、やはり友人を意味している。しかし、ここには若干のニュアンスの違いもあり、「朋」は師匠を同じくする人を意味し、「友」は志を同じくする人を指すのだという。

私が住む地域は地理的に中国に近い福岡ということもあり、多くの中国人留学生がいる。私が通う大学の同じ研究室に所属する「朋」もいれば、研究室や大学は違うが、同じような志を持つ「友」も多い。その為、多くの中国人を知っているが、その中でも大事な「朋友」が2人いる。1人は同じ研究室に所属していた「朋」で、大学での学びや研究を通じて互いに色々なことを学んだ。中国語を教えてもらったことも思い出深く、私が持っている中国語の辞書には載っていないような、ネットスラングや同世代の間で流行っている言葉を教えてもらったことが思い出深い。こういった点は中国人の友人がいなければ知る機会がない為、非常に刺激的だった。もう一人は私が大学の短期留学プログラムで南京に行った時に交流した「友」だ。しばらく会うことは無かったが、その後、彼が来日したことで3年ぶりに福岡で再会した。今では時々野球やサッカーを観戦したり、一緒にご飯を食べに行ったりする仲となった。一緒に遊ぶ中で中国のスポーツ文化や食文化を教えてもらうことも多く、その度に中国への新たな興味が湧いてくる。

そんな2人の朋友はもう社会人だ。2人とも日本語が上手く、それ故に今は日本で就職しているが、しばらくすれば中国に帰ろうとも考えているらしい。私は大学院修士課程の院生で、今後博士課程に進むつもりでもあり、まだまだ社会人も遠ければ福岡にあと数年はいるだろう。進む道や住む場所が異なっていくことは寂しさを伴うことだが、国が違うとなるとその気持ちもさらに強まるものである。

ところで、最近とあるニュースを目にした。コロナウイルス感染症の流行に際して、日本が中国に送ったマスクに「一衣帯水」という言葉が添えてあったという。元々は狭い川や海を隔てて近接しているさまを表すのだが、そこから転じて、日中両国の距離の近さや文化的な近さを表し、友好の意味として使われたのだという。そのニュースを見た時、「思えば確かに、両国は一筋の海しか挟んでいないではないか」と改めてその近さを再認識した。実際この数年で2人の「朋」と「友」が出来たのは、福岡という地域が中国大陸に近く、それだけ両国の人的交流が盛んな地域の一つであることも大きいだろう。「国が異なる」と聞くとどうしても、かなり隔たるイメージが先行してしまう。しかし、中国に関して言えば、両国の間には海が一筋流れているだけで、地理的な距離も近く、文化的にも行きやすい国だ。両国間を飛ぶ飛行機の便数も多い。

以前は朋友が中国から日本に留学や就職の為に訪れ、私と日本で会っていた。2人の朋友との別れに際して、日中間の「一衣帯水」を改めて認識した今、次は私が中国に会いに行ってみよう、最近はそう考えるようになった。もちろん、SNSでやり取りをすることもできる。コロナ禍を経てビデオ通話を通してゲームや飲み会も出来るようになった。しかし実際に中国の現地で、更には中国語を介してコミュニケーションをとることができれば、日本で出会う彼らとはまた違った彼らに出会えるかもしれない。そのような日に思いを馳せながら、彼らに教えてもらった中国語や文化をメモしたノートを学び直している。

 

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