籠球

2022-10-26 10:33:00

筒井 智大


僕が二十歳の時、中国で過ごした中で記憶に深く残っている光景がある。

色あせたボード、突き出た円形のリング、黒ずんだボール、そして広がる青空。

大学のバスケットボールコートは屋外にあったが、バスケットゴールは経年劣化でネットが剥がれ落ち、円形のリングがひしゃげた形で宙に浮いているだけのものだった。それでも、あの頃の僕にとって大切な場所だった。

始めてプレーしたのは熱気の籠った夏の日。

昼下がり、大学校内にある屋外コートでは大勢の中国人学生がバスケットをしていた。皆、特に示し合わせた訳でもなく、そこに行くと決まってゲームが行われており、老若男女問わず(といっても女性が参加するのは稀だが)誰もが参加できた。校内といっても自由に解放されており、明らかに学生に見えない初老の男や、筋肉隆々の労働者といった男たちも参加していた。

最初は遠巻きに見ていただけだった僕も、手招きされる形で参加して、ボールを回転させチームを決める方法、得点のカウント、ハーフコートでのルールなどを学んでいった。

ゲームの合間には当時一元で買えた水「夫山泉」を飲み、時に売り子の男から冷えたコーラを買い、再びコートに戻った。夏は上裸になりながら、秋の日には肌寒さを感じながら、冬にはダウンジャケットを脱ぎ捨てながら、そこでは、皆バスケットボール()に興じていた。『打』 を通じて僕は何を得ていたのか、それは中国に対する手触りであり、肉体的接触を通じた知見だった。

僕はバスケットボールを通じて相手の観察と肉体的接触を経験していた。それは、普段の教室や日常では得ることのできない体験であり、より深く身体に刻まれていった。相手の動きを観察し、瞳をのぞき込み、足の動き一つに注視する。五感を使い、その世界を観察していたのだ。また、バスケットボールをする中で、時に激しく接触する際、僕は『中国人』という存在を物理的にも最も近くで感じていた。ぶつかる身体、ボールに伝わる意志、強いパス、弱いパス、ゴール下でボールを掴み合う際の相手の力、息遣いや汗を肌で感じることで、僕は急速に現地での生活に馴染んでいったのだと思う。時に擦り傷や捻挫を経験したが、数日経てばすぐまたバスケットボールコートに向かう自分がいた。身体をぶつけ、奪い合い、ボールを投げる。その単純な行為を繰り返す中に、言葉を交わすだけでは入りきれない境地の何かがあり、それこそが僕が渇望していた交流だったのかもしれない。華麗にディフェンスを交わし、シュートを決めた時、「好球」の言葉を貰うことで、その世界の一員として認められたような気がしていた。

そしてゲームの中で中国固有の文化や価値観の欠片を自国と比較しつつ知ることができた。日本で見られるような気を遣うパスや遠慮は無く、チャンスがあれば自分で突破してシュートを撃つ。パスはあまりしない、外れてもあっけらかんとして、からりと謝ってすぐに次のプレーに移る。上手い者がいれば素直に称賛し、ミスが多い者にはボールは回ってこない。そして参加したい者がいれば大らかに受け入れ、皆で楽しんだ後はすぐに解散する。ネットが無かろうが、裸足の者がいようが、皆細かいことは気にしない。そこで過ごす時間の中で、僕は中国という国の文化の片鱗を嗅ぎ取っていた。それらは、その後中国と接する時間を過ごす中で知った知識と比較しても大きく外れてはいない。

書物、ビジネス、ネットを通じて得る中国に関する知見は、その後の人生において、こうした手触りのある体験が土台となり、僕の記憶に織り込まれていくこととなる。特に、五感を使った記憶は、色褪せずいつまでも残り続けている。

細かい記憶の数々は脳の記憶を司る部位から消えたとして、身体的な記憶については僕自身の血肉となり、今も肉体のどこかを静かに流れ続けているのだろう。ボールの弾む音、笑い声、あの熱気が懐かしい。

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