7月7日を知る

2022-10-25 14:56:00

勝亦 航太


朝の通学中、帰り道、街中のショッピングセンターにおいても意識を向け周りの会話に耳を傾けると中国語が話されていることがある。

僕は中国語を学校で学んでいるからだろうか、より意識的に気にしてしまう。彼ら彼女らは何を喋っているのか、どんな語彙を使うのか、そんな事を考えながら耳を傾けるのだ。

 このように身の回りでも多く使われるようになった中国語は現在英語に次ぐ世界共通言語になったといえるだろう。その中国語を学ぶことは今後大人になった時にも大いに役立つだろう。これは何も中国語に限った話ではないが言語を学び、扱えるようになることは活動範囲が増えるなど良い影響が非常に多い。仕事をしたとして、多くの国の人とその国の言語でコミュニケーションを取れる心強さは計り知れない。しかし、時に言語を学ぶことは自分にとっての常識を覆すチャンスになり、様々な文明、国、立場から物事を見られるようになる。これこそ言語を学ぶ事で得られる一番の意味だと、僕は思う。

 忘れもしない、それは去年の77日の事だった。日本で77日といえば織姫と彦星の運命的な日、七夕であろう。僕はその日本の文化をインターネットアプリを通して中国にいる人々に向けて発信をした。「日本の事をもっと知って欲しい!」そんな一心であった。しかし、帰ってきた反応は思いもよらぬものであった。「勿忘国耻(国恥を忘れることなかれ)」や、「七七事 日本侵略念日(77日の事件! 日本が侵略した日だ)」といった言葉がコメント欄には溢れたのだ。何も知らなかった僕はひどく困惑した。なぜこんなにも彼らは怒りに満ち溢れているのだろうか。頭にたくさんの「?(はてな)マーク」を抱え、すぐにスマートフォンを手に取り調べた。そうしてようやく理解したのだ。7月7日は盧溝橋事件の日付であると。盧溝橋事件というもの自体はもちろん知っていたし、それが日中戦争を引き起こしたものであるから中国で恨まれていることをなんとなくではあるが、想像していた。しかし、77日という日を祝う文化を覆すほど一部の人から恨まれているとは思いもよらなかった。

 更にその日、ある人が中国で使用されている教科書の写真を送ってくれたのだが、その写真には、僕が中学生の時に教科書のたった一文で学んだだけの盧溝橋事件について、見開き一ページにわたり詳しく記載があった。文化が違えばここまで教科書に違いが生まれるのかと驚いたものである。

 考えてみれば中国における77日への印象は当然のものなのだ。戦火に見舞われた日を後の世代に伝えることは、日本で86日や89を原爆投下日として語り継がれていることと、何ら変わりはない。しかし、中国語を学んでいなければ恐らく知ることがなかっただろう。この77日を。

 この体験は僕に言語学習の意味を再確認させてくれた。言語という、文化を成す根底を学ぶことはその文化に自らの身を投じるということである。つまり、その文化の言語を使用すれば本当の意味で相手の立場や考えを理解することができるのだ。

 きっとお互いの理解が深まれば争いだって減っていくだろう。僕が中国で教えられている歴史を理解したことで、中国の方とより仲良くなれたように。言語を学ぶことで世界すら変えられるのだ。僕は今後も沢山の言語を学び、多くの人々の文化を理解して、世界中の人と仲良くなれる人になりたいと思っている。


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