友誼地久天長(友情は長い)

2022-10-26 10:25:00

山下 真奈


 閉店間際にお店にいる度に、2017年の秋、中国での一週間を思い出す。なぜかというと、私たちが日本で閉店間際によく聞く曲である「蛍の光」は、中国語で「友誼地久天長」で、中国において友情の歌であり、中国の友人たちが私たちに贈ってくれたからである。私は、高校一年生の秋に、「青少年の翼事業」で、中国に一週間滞在した。その事業は、鹿児島市が、友好都市である「長沙市」との交流のために、鹿児島市の高校生を派遣し、現地の青少年との交流を図り、中国文化に対する知識を深めるためのものである。この訪中は、私にとって初めての海外渡航であった。正直、恥ずかしながら、当時の私は、中国という国に惹かれたのではなく、海外に行くことができるという部分に魅力を感じたために、参加を決意した。なので、中国に対しての知識は全くと言っていいほど皆無であった。私が中国に行くという話をするたびに、心配されることが多かった。これは、当時日本人の多くが、中国という国に対してあまりよい印象を抱いていなかったことが顕著に見受けられる。しかし、実際に足を運んだ私は、中国の魅力に圧倒された。まず、上海浦東空港に到着し、鹿児島の小規模な空港から乗ってきた私たちを圧倒したのは、とても広い敷地である。何もかもが広大で、とても感動したのを今でも覚えている。次に、中国のオンライン活用のスピード感にもとても驚いた。当時の日本はまだキャッシュレス決済はあまり一般的ではなかったが、すでに中国では多くの店に決済用のQRコードがあり、私のホストマザーも利用していた。そして、なによりも中国の友人たちの寛大さである。正直、あまり日本人が歓迎されることはないのではないかと、少し不安に思っていた。しかし、その一週間出会った中国の方々は皆優しく歓迎してくださり、中国のおもてなし文化は素晴らしかった。食事の席でよそってくださったり、上海でのバスガイドさんは、食事をあまり食べていなかった私に気付き、差し入れをくださったりした。このように、中国の良いところを数えきれないほど知り、中国が大好きになって帰国した。それからは、中国の出来事に敏感になり、中国文化を積極的に調べたりした。そんな私も大学生になり、第二外国語は中国語を履修、中国関連の授業はできるだけ履修した。その中で、第二次世界大戦についての授業で、日本と中国の、決して忘れてはならないであろう出来事を深く知った。もちろん、ある程度何があったか大まかな項目としては知っていたが、大学のより深く追及する講義の中で、日本人兵が中国という地で何を行ってきたかを事細かに学んだ。七夕が中国人にとって日本嫌悪を掻き立てる日だということも衝撃であった。中国が大好きな私にとって、このような歴史を知らずして中国に行き、中国の方々と交流してしまったということに対して、とても後悔の念を抱いた。もちろん過去の出来事である以上、その当時の悲しい事実を変えることはできないし、その当時を知る高齢の方々が、互いに嫌悪感を抱くのは自然なことであると思う。私たち若者は、まずはその事実を両国の観点から客観的に知り、その事実を忘れないよう継承しつつ、相互理解を深め、新しいより良い関係を築いていくべきであると思った。今年で日中国交正常化50周年を迎える。まだまだ政治的なしこりはあるものの、SNSを通じて出会うきっかけが増え、個人間の交流のカタチというものはより良いものになっているように感じる。中国・日本にマイナスイメージを抱いている人々も、その国の身近な友人ができることで、その国に対する興味関心は高くなるであろうし、知れば知るほどイメージは変わると思う。これから私たちが構築していく新しい時代では、過去の出来事も踏まえたうえで、国籍関係なく友好を深めていけるようなものにしたい。

 

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