敦煌

2022-10-25 16:45:00
徳永 潤
 

2021年7月、かつてシルクロードの重要拠点として栄えた歴史あるこの地に、いまは一人の日本人が立っている。彼が目指す鳴沙山が歪んで見えるのは暑さのせいだろうか。眼前に広がる白い砂漠は、空の一番高いところから照り付ける太陽をこれでもかと反射している。

「好,好死了(暑い、熱い、死ぬ)」

独り呟きながら額に張り付く前髪をかき上げて、首を伝う汗をタオルで拭った。気分を変えたくてぬるい水を口に含んでみるが、これもすぐに汗になるだろうと思った。北京で友人から貰った白いサンダルが、きらりと足元で光っている。ちんちんに熱せられた砂は簡単に足を放してくれないが、それでも一歩ずつ歩を進める。あの砂山を登った先に何かあると期待しているが、どうせ見えるのは少し遠くの、同じような砂漠だろうともわかっていた。

当時の私は大学を休学し、北京で働いていた。「将来の進路をゆっくり考えたい」という理由から、休学してまで一時的な就業を選んだ。与えられた期間は2年間。十分すぎる時間だと思っていた。しかし、光陰矢の如し。任期が残り2ヵ月となった時点で、全く答えが出ていなかった。焦り始めた私は、旅先に答えを求めた。敦煌を選んだのは、井上靖の『敦煌』を愛読していたのと、砂漠という非日常に惹かれたからだ。こうして私は「進むべき道」を探しに敦煌へやってきたのである。

あの砂山の頂上に、答えの書かれた紙が入った宝箱でも置いてあれば、活力も戻るのかな。歩く理由を必死に考えて、出て来た答えはむなしかった。ふと横を、ラクダを連れたおじさんが通り過ぎて行った。ラクダはゆっくりとした足取りで、颯爽と砂漠を闊歩している。かっこいいと思った。動物は苦手だったが、何事も経験と思い、100元を払って乗せてもらった。そして私は、ある発見をする。

「高い―――それに、涼しい」

ほんの数秒で地面が急に遠くなった。ラクダの高さ分空に近づいただけで、心地よい風も感じるようになった。全身から噴き出していた汗も少し冷え、熱気に支配されていた頭も冷静さを取り戻した。

「なんでこんなに気持ちいいのだろう?」

今度は日本語で呟いた。そして、地面にいたときよりも、世界が広がっているのに気づいた。足元の砂とにらめっこしていた私は、この地の本当の姿が実は見えていなかったようだ。砂漠は地平線の先まで続いている。空は雲一つない快晴だ。観光客はこんなにいたのか。すべてが発見だった。

そして、この地に来た理由を改めて考えてみた。私は「進むべき道」という答えを出すことに焦って、自分らしさを見失っていたのかもしれない。これまでを振り返っても、常に明確なゴールはなかった。ただひたすら、その時にベストと思える選択をしてここまで来たではないか。子供の頃に思い描いていた未来とはだいぶかけ離れたいまを生きているが、中国との出会いをきっかけに私は人生を取り戻せた気がする。砂漠に残る足跡のように、中国で出会った人、中国での経験、中国を通して考えた日中の未来、すべてが私の心に刻まれている。

「これからも、中国と共に歩いていきたい」

砂漠で一人、心からそう思った。

ついに、鳴沙山の頂上に着いた。最後は自分の力で登りたいと思って、途中でラクダを降りた。頂上に宝箱を見つけることはできなかったが、心の中にコンパスを手に入れた気分だった。焦る気持ちはもうない。

「自分らしく、人のために、一歩ずつ」

私のコンパスが指す方向に、自分の幸せだけでなく、日中友好もあると確信している。ラクダに乗っただけで、随分と大事な気づきを得ることができた。しかし、敦煌に来なければずっと気づけなかったかもしれない。砂漠に沈む夕陽を背に、赤い砂の斜面を勢いよく駆け下りた。サンダルの友人にも早く伝えたい。

「今までありがとう。僕は、もう大丈夫」

砂にもつれながらも、足取りは軽かった。北京までも飛んでいけそうな気分だった。

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