復旦大学 外文学院日本言語文学学科4年 潘暁琦
私は短歌を作り始めた。そう、あの五七五七七の三十一文字からなる詩だ。きっかけは『短歌をつくろう』という本だった。岩波ジュニア新書の小さな一冊を図書館から借りてきて、半日で一気に読み終えた。親しみやすい口調で、著者の栗木京子さんが私を短歌の世界へと導いてくれた。
〈「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日〉。もともとはこの一首で短歌に興味を持ったが、外国語で詩を作るなんてハードルが高すぎると感じ、自分で詠んでみようとは思わなかった。そんな私に、この本が「日常を詠んでみる」いい方法を教えてくれた。「独楽吟」という作歌法である。
「独楽吟」はもともと江戸時代の歌人橘曙覧の作品である。全部で五十二首から成っており、そのいずれも「たのしみは」で始まり「時」または「時々」「とき」で終わっている。一番気に入ったのは〈たのしみは空暖かにうち晴れし春秋の日に出でありく時〉という一首だ。
橘曙覧にあやかって「毎日一首ずつ、日記を付けるつもりで、『たのしみは』で始まる短歌を詠んでみてはどうかな」という著者の誘いで私の短歌づくりが始まった。
〈たのしみは地下鉄駅を出るとみな夕焼け空を撮っている時〉
〈たのしみはマスクをつけずキャンパスでまた親友とはしゃいでる時〉
〈たのしみは授業帰りに野良猫がくっついてきてニャーと鳴く時〉
知らぬ間に、五七五七七のリズムを体が覚えてきたようだ。〈一日は短いけれど学食で並ぶ五分はどうして長い〉。このように、何気ないつぶやきも駄作ながら、なんと三十一文字の形におさまるようになっていた。
手帳を開いてみると、五月二日にはこのような一首もあった。〈穴多きジャガイモを手に嘆きたりケラをここのつ潰すばあちゃん〉。連休中に里帰りしていた時のことである。おばあちゃんが畑仕事をしているのを見に行くと、憎らしげにシャベルで螻蛄を次々と押しつぶしていた。この一首から、あの時のおばあちゃんの顔がありありと目に浮かび、写真よりも鮮明に見えるのだ。
そう、一瞬の記憶をとどめてくれる、それが短歌の魅力なのだ。日常の感動を捕まえ、その時々を思い出す道しるべとなってくれるのだ。
「一生に二度とは帰って来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。ただ逃がしてやりたくない。それを現すには、形が小さくて、手間暇のいらない歌が一番便利なのだ」。栗木京子さんが紹介してくれた石川啄木のことばだ。「短歌」という小さくて便利なうつわに、わが愛すべきいのちの一秒一秒を丁寧にとどめておき、大事にしていきたい。