米には神

2023-01-16 14:46:00

杜宇辰 対外経済貿易大学

「この飯、疎かには食わんぞ。」と言って、侍が命も落とし得る仕事を引き受けました。報酬はただの毎日の白い米の飯です。 

黒沢明監督が制作したこの映画『七人の侍』には、このようなプロットがあります。初めて見た時は、びっくりしました。農民たちは村を守り、食糧を保護するために、侍を雇用し盗賊と戦うというストーリーです。盗賊たちは人数が多いほか、装備も整っています。それに対し、侍はただ七人だけです。仕事が危ない割に、給料は飯だけで、映画のなかで「農民が持っているものはこれだけです」という説明が信じられませんでした。「米はありふれたものなので、たかが飯のために命懸けて村を守る侍たちは馬鹿ではないか」と思いました。 

その後ある日、大学の日本人の先生と一緒に食事をする機会がありました。食事がほとんど終わるころ、皿の隅にある一粒、二粒の米を先生が箸で挟んで食べていることに気づきました。おかしいと感じると、先生は「あ、日本では一粒の米には七人の神様が居るということわざがあるのよね。ご飯に対して尊敬しなきゃ。」と言いました。その時突然、日本人にとって米はとても神聖なものであると分かりました。農耕文明から成長してきた国として、米は古代から日本人の主要な食糧です。米が日本人を養ってきたとも言えます。しかしそんなに重要な米は楽に獲得できることではありません。農民の着実な苦労のほか、大体全てのことは天候によります。そのために、米は人の努力と運命の結合です。今普通に見える米は日本人の勤勉と運命と抗争の精神の代表的存在とも言えます。 

『七人の侍』のなかで、米は侍への報酬としてだけでなく、農民の闘争の精神と未来への希望でもあります。農民たちは貴重な米を侍に与え、他の全てを放棄して盗賊と戦い家を守り、そのことが見る人の感動を誘います。侍たちは、その素朴な勇気に打たれ、農民を助けることに決めたのでしょう。 

実は中国でも同じだと思います。子供の時、食べきれないご飯を捨てて、祖母に初めて叱られました。「食べ物を粗末にしてはいけない」と言われました。同じ農耕文明で、日本でも中国でも米を重視しています。それは土地からの食糧に養育された両国の人の共通な素朴な美徳だと思います。 

今、科学技術の発展によって、米は以前より珍しくなくなりました。大体の人は思う存分食べられます。しかし米を大事にしなければなりません。中国人も日本人も、昔からの勤勉と抗争の精神を忘れてはいけません。そうです。米には神が住んでいるのですから。 

映画『七人の侍』

 

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