「余命10年」見た後の感想

2023-02-07 16:30:42

楼宇昂 越秀外国語学院

定番の難病恋愛映画だと思っていたが、従来の恋愛映画の枠を越えて、愛すること、生きることの意味に真摯に迫っている。心に深く染み渡り、深い余韻に浸ることができる感動作品である。 

原作の小坂流加は原発性肺高血圧症という病気で38歳の若さで夭折した。医学の進歩した現在であっても、未だ治療法のない難病と闘う人が数多く存在するという事実に、悲しみを感じずにはいられない。 

本作の主人公は、高林茉莉。彼女は、余命10年の難病に侵されても懸命に生きていたが、恋愛はしないと心に決めていた。しかし、故郷の同窓会で真部和人に出会い徐々に惹かれ合っていく。そして、二人の運命は大きく変わっていく。懸命に生きようとするが、余命10年との葛藤で苦悩する茉莉を小松菜奈が物静かで達観した演技で巧演している。坂口健太郎は、生きることに絶望した和人を生気のない佇まいと虚ろな目の表情で表現している。茉莉は「まつり」と読み、この読み方が恋人(真部和人)の再起を後押しする重要な意味を持ってくる。 

退院した茉莉は、日中は普通に過ごしているが呼吸する力が弱く、就寝時は鼻から酸素を吸入している。彼女の部屋には痰の吸引機があり、自分で咳をして痰を吐き出す能力がないのか。吸引する時は自分自身で管を喉に入れて行えるのか、他人の介助が必要になるのか気になった。停電や自然災害が起きて避難所に行かねばならぬ時など、人知れぬ苦労があるだろう。 

死に瀕した主人公が人生を走馬灯のように回想する場面はよくあるが、本作のそれは「未来系の走馬灯」と言うべき新ジャンルである。その中に東京スカイツリーの展望台に上がる場面があるが、姉の桔梗が高所恐怖症のため一度も行く機会がなかったのだ。でも和人と一泊旅行ができるのだから、車椅子に乗ってでも一人で行けば良かったのにと思う。生きる姿勢が全く異なる二人の愛は、生きることの喜びになっていくが、茉莉は生きたいという生への執着が高まり厳しい現実との狭間で苦悩する。和人は、生きる喜びを知り生まれ変わっていく。本作は、苦悩を深める茉莉と再生していく和人を描くことで、人間の運命の非情さと不条理に迫っている。恋愛映画を越えた領域に達している。 

本作は、日本の四季の美しさ、変化を背景に描かれる。四季の美しさは刹那的だからこそその美しさが際立つ。四季の変化は時間の経過であり、着実に時間が過ぎ去っていることを告げている。そう考えると、四季の描写は、限られた時間のなかで懸命に愛を育んで生きた二人と重なり切ないが美しい。ラストはリアルで切ないが清々しい。誰の人生にも限りがあるからこそ、懸命に生きることが大切だと本作は教えているからである。 

日本映画「余命10年」

 

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