思い出は本物か偽物か

2023-02-07 16:35:02

卿 長安大学

「石黒の小説は、その巨大な感情の力で、私たちが世界とつながっている幻覚の下に隠された深淵を発掘した。」これは、ノーベル文学賞受賞時の挨拶だ。読者には、漠然とした印象、淡い感じが残り、本全体も完結したストーリーではなく、無数の空白を残すことで読者自身の想像を掻き立て、その深い意味を体得させようとしている。 

英国に移住した未亡人によって、故郷の長崎や故人への思いを中心に物語全体が展開されている。舞台は戦後の長崎。著者は戦争の恐ろしさを意図的に薄め、戦争に苦しめられた母娘が望んだ安定と新たな生活、戦乱がもたらした影と心の闇から抜け出せない様子を重点的に描いている。 

思い出は、この作品の最も重要なテーマだ。主人公悦子の思い出は、矛盾と空白に満ちており、私は批判的な目で2回読むことで、歪んだ物語を自分なりに読み解いていった。例えば、物語の始まりの部分である娘景子の自殺である。なぜ自殺したのかは説明されておらず、自分の話を友人の話に置き換えることで、彼女自身の罪悪感を減らすよう導いている。 

石黒一雄は「思い出が好きなのは、思い出は私たちが自分の生活を見つめるフィルターだからです。思い出が曖昧で、自分を騙す機会を与えてくれました。作家として、実際に何が起こっているかではなく、何が起こっているのかを教えてくれることに関心があります。」と語っている。彼が関心を持っているのは、外の現実の世界ではなく、人間の複雑な心の世界なのだ。歪んだ思い出を通じて反応する微妙な感情の変化は、人々がこの世界をよりよく覗くのに役立つのだ。 

物語の最後では、悦子と友人佐知子は同一人物で、娘景子は友人の娘万里子であることを示唆している。はじめからそうだと疑っていたが、確かな足跡は残していなかった。だが、物語の最後になると、 

「あの日、景子は喜んでいた。私たちはケーブルカーに乗った」 

ともらし、悦子自身が丹念に設計した嘘を一言で突き破っている。 

思い出は、過去のつらい経験を変え、それによって自分を満足させる生活を構築することができる。本の中で描かれているように、戦争の傷は悦子に過去の人生を架空のものにし、思い出の中では優しく良い母親を創り出していたのだ。 

石黒一雄はこのような描写により、自分を欺くこと、後ろめたいことを表現し、人の心の複雑さと人の生活に対する思いを伝えようとしていた。従って、石黒一雄の淡々とした穏やかに見える文面にも、実は深い意味が込められているということがこの作品から分かった。 

『遠い山なみの光』

 

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