時と国を異にすれど、境遇を同じうす

2023-02-10 15:08:00

胡可児 安徽師範大学

1906年、日本の文豪である夏目漱石は『草枕』という小説を書いた。この本はある都会青年画家が現実を逃げるために、田舎へ旅に出たことを描いた。私は初めてこの小説に出会ったのは、日本文学の授業でのことだった。当時の私は先生からこの小説の本筋を聞いて、「おもしろくなさそうね」と思いながら、嫌々に教科書をめくって読み始めたが、第一段落を読み済んだだけで、強く心を打たれた。第一段落にはこう書かれた。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」と。驚いたのは、百年前の言葉が依然として現代人の考えにズレもなく合っていることだった。 

夏目漱石は『草枕』を執筆していた時、日本社会は資本主義で喧騒していて、おまけに夏目漱石本人も夫婦関係、健康、経済などの様々な問題に苦しんでいたため、小説を書く意図について、漱石は「私の『草枕』は人生の苦を忘れて、慰めるという意味の小説である」と語った。確かに、本の中には鮮やかな自然描写と繊細な心理描写が多く、作者が現実生活による負の感情を吐き出しながら、美しい自然から精神を少しずつ回復しているように感じられる。その中で、漱石の志を最もよく表しているのは彼の引用した「採菊東籬下、悠然見南山」という陶淵明の詩だと思う。というのは、1500年前の昔、中国の詩人・陶淵明は本当に現実を解脱して寂静を得たからである。 

政治が腐敗していた東晋の末期に生まれた陶淵明は、生活のため数回官途についたが,に合わず,最後の彭沢(地名)県令をわずか 80日で辞めて故郷に帰り、中国歴史で初の「田園詩人」になった。その時の漱石はさぞ陶淵明を羨ましく思っていただろう。 

1500年以上の昔、陶淵明は汚い政治を嫌い、すべてを捨てて田園生活を送り、中国の「桃源郷」を作った。100年以上の前、夏目漱石は生活の重い負担に堪えず、本当の脱離が「一つの酔興だ」と知りながら『草枕』を書き上げ、最後には日本の「余裕派」の屋台骨になった。そして100年後の今、我々現代人はどのように人生と向き合うのか。 

明治時代と比べ、今の若者は競争がより激しく、ペースがより早い社会の中で、一日中学業と仕事に追われている。中国でも日本でも、毎年ストレスや過労などの原因でどれだけの自殺や事故死が発生しているだろうか。焦って眠れない夜が来るたびに、誰でも「なぜ人生はこうなってしまったのか」と自分に問いかけたことがあるだろう。 

私の場合、そのときになると、いつも淵明の詩を思い出されて、少し落ち着くことができる。それで私は淵明の思想を広げようと思う。みんなに現実を離れようと呼び掛けようとしているのではなく、ただ誰でも自分の心を癒してくれる「菊の園」と「南山」を見つけ、昼間の煩いで疲れ果てた後、すべてを忘却してぐっすり寝込めるような能力を身に付けるように願っているのだ。 

                                      夏目漱石『草枕』

 

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