「人間、失格」

2023-02-10 15:12:00

高聡昊 北京外国語大学

たちの社会の中に、真実はどれだけあるのでしょうか? 

「してその翌日も同じ事を繰返して、昨日に異らぬ慣例に従えばよい。即ち荒っぽい大きな歓楽を避けてさえいれば、自然また大きな悲哀もやって来ないのだ。」 

この哲学的な文をきっかけとして、私は『人間失格』という本を読み始めました。そして私は世の中にはこのように苦しがっている人がいることに驚き、人として生きている主人公が人間世界を怖がっていることに戸惑っています。この低欲望社会において、『人間失格』はだんだん知られるようになりました。 

主人公大庭葉蔵は幼い頃から、人とのコミュニケーションがずっと怖がっています。彼から見れば、愚かで恥知らずな者こそ、真の幸せを手に入れます。そうして彼が考え出したのは、道化でした。他人を喜ばせるために生きてきた葉蔵はずっとバカを演じていて、だんだん本当の自分を失いました。 

初めて『人間失格』を読み終わった時、うわずって真実の感情がこもらず,いたずらに感傷的である文章だと思いました。主人公の積極的なイメージは一切ありません。全ての不幸は主人公の自業自得に過ぎません。主人公は社会を怖がって、人間を恐れています。ずっと愛憎の渦巻に迷っていて、結局自分を失い、死を選びました。彼にとって死亡こそが解脱と安堵であるかもしれません。 

『人間失格』を振り返ってみれば、最も出てきた言葉は「生まれてすみません」です。主人公の苦しみは癒されることができないのです。同じ苦しい経験を持っている人には分かるでしょう。卑小の葉蔵は幸福を手に入れたいという勇気もなく、彼にとって快楽まで贅沢なものであります。だから、今まで幸せな生活が送ってきた私たちにとって、自分の価値観で不幸者を批判する資格はあるのでしょうか。 

その考えは太宰氏の中にもあり、本作を書き上げた二か月後に自らの命を絶っています。きっと執筆中に頭から死が離れなくなったのでしょうか。きっと彼も完全なる善の存在を目指すも、俗悪なものに抗いきれなかった社会の敗北者だったということなのでしょう。 

『人間失格』を読んで私が思ったは、人は自分の思っているように行動し、そういった性格になりやすいということです。「自分なんてだめだ、人間失格だ。」そう思い込んでしまった時点で、そこから先の可能性や得られるかもしれな明るい未来は一気に消えてなくなるのではないかと思いました。 

人間失格と決めつけることの怖さを、葉蔵の一生を通して学ぶことができたように思います。私は立ち直る力助けてくれる人の必要性をより一層重視しました。こういう気持ちを忘れないようにして、これからの学校生活やその先の未来も生きていきたいと考えています 

『人間失格』 太宰治

 

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