足るを知る者は富む

2023-02-10 15:14:00

李炎春 広東外語外貿大学

『方丈記』の中に、日本最初のミニマリストと呼ばれる鴨長明の生活が描かれている。火災、地震、飢饉などの数々の災害を経験した鴨長明は、あくせく働いたり心を悩ませたりせず、山中で隠居生活をすることに決めた。わずか四畳半の家の中には、寝泊りするのに十分なスペースと、仏道に関する物と、趣味に関する物があるだけ。しかし、「そのような生き方は楽しいの?」と私は最初に思っていた。 

そんなある日、父はおばあちゃんを農村から家に連れてきて、生まれたばかりの妹の世話を見てもらった。家にはテレビやエアコン、掃除機などの設備がそろっているから、気楽にくつろぐことができるはずだ。外に出てもすぐバスや地下鉄が来るし、買い物も便利で暮らしやすいとも両親は思っていた。ところが、毎日家でテレビを見ているおばあちゃんはいつも寂しそうに見えた。旅行にもいかず、新しい服を買ってあげたら「もったいない!」とガミガミ怒られた。 

そんな日々は旧正月休み、おばあちゃんが実家に帰った時まで続いた。実家に帰ったおばあちゃんは前より十倍元気そうに、毎日田んぼで働いていた。農事が終わったら近所のおばあちゃんの家に行って、庭でお椀をもって一緒に食事しながら談笑していた。そして夜は家で刺繍に没頭していた。そんなバタバタしているおばあちゃんの姿は楽しそうに見えた。 

どこにも行ける、欲しいものは何でも手に入れられる都市では、一見豊かに暮らすことができるようだが、そういう欲望がないおばあちゃんにとっては何の意味もないだろう。田舎で毎日野菜を植えたり、刺繍をしたり、近所の人と話し合ったりすることは既に十分で、交通や物流が不便だとしても、別に生活に支障が出ていない。 

老子は曰く「足るを知る者は富む」。しかし今の社会では、おばあちゃんのような「足るを知る」人は多くないと思う。ブランドを着ている同級生を見たら自分もブランドが欲しい、周りの人が自分より高い給料をもらうと嫉妬してしまう。おそらく多くの人は私と同じように、持っているものより、持っていないものを気にするだろう。だから私たちは焦りがちで、いつも苦痛の中で生きている。それは幸せとはいえるのだろうか。 

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」万物流転の世の中では、今持っているものだとしても、いつかなくなるかもしれない。地震、津波、さらに疫病、毎日無数の財産と生命が災害によって失われているこの世界では、生きていること自体はもう素晴らしいことである。当たり前の日々を感謝しながら、他人を羨まず、見栄えを張らず生きていくべきのではないか。 

『方丈記』

 

関連文章