『鉄道員』における生と死

2023-02-10 15:18:00

亜美 首都師範大学

遠い天国へ旅立った数々の命に、もし、もう一度会えたら、それはどんなに幸せだろうか。鉄道員を読み終えると私は感動に浸りながらそのような幻想を思い描いていた 

鉄道員として生きてきた主人公、幌舞駅の駅長佐藤乙松はかつての一人娘雪子を病気で失い、また定年退職の年に一生を捧げた幌舞駅も廃止となった。雪の正月、人形を取りに現れた少女は、実は亡くなった娘の亡霊であり、彼の孤独な魂を優しく慰めた物語の最後、佐藤乙松の命も儚い雪のように消えていった。 

生と死の境界線に立たされる時にだけ見えるもの、わかることがある。雪子、静枝……彼女たちの死は乙松の仕事に対する責任感を強調し、また乙松が職務から解放される時に感じた喪失感と虚しさの原因となっている。全ての人生を捧げた職場はやがて彼の世界から消えると、彼の心の中もふっと、もう二度と会えない家族への恋しさが密かに蘇った。そこで、幽霊雪子が帰ってきた。しかし、文学作品の世界は自由自在だが、現実に戻れば、私たちに残されたのは簡単に変えられない厳しい世界である。 

新型コロナウイルスの影響で、多くの人は命を奪われ、大切な人をなくしてしまった。命はいつも美しくて脆弱で、世の中の生き物すべてはいつか死を迎えるが、死を目にするたびに私は心を痛める。悲惨な現実を目にしながら、私もようやく、今までの平穏な日々はどれだけ幸せで大切だと知り、目の前の人をもっと大切にしたいと思うようになった 

ある意味では、小説を読むこと自体が現実から逃げて架空の美を求める旅である。架空の世界だからこそ、現実的な変数は気にせず、幻の美しさだけを楽しめる。しかし、不完全な美と悲劇はいつもハッピーエンドよりも人の心をとらえ、死は生と異なった方法で人の心を掴める。雪子の奇跡的な再帰はやがて梦のように消えるという結末は予想できるが、彼女が与えてくれた救いと温もりは死の悲しさを薄め、乙松に、また読者に无限の後味を残した。文学作品で幽霊を書くことは、奇跡の幻と文字を借りて、読者に命の温かさと切なさを伝えたからと私は思う。文学作品の中では、幽霊はいつも何らかの象徴として、死に更に深い美学境地を与えている。雪子の存在は、ごく小さな、一般人のまわりでも現れるかもしれない奇跡を表している。雪子は果たして幽霊なのか、それとも妄想なのかという疑問に明確な解答が見えなくても、彼女にはそれ以上の存在意義があるため、多くの読者を魅了している。 

奇跡はただの幻だけではない。必ずしも現実には起こらないというわけではない。物語の最も大事な役目は、読者現実向かわせて反省し、変える力を持たせることである。この世を離れた人は二度と帰ってこない、残された者に乙松のような役目と守るべきものがあるため、頑張って生きていかなければならない。決して絶望せず、諦めず、奇跡を願う心を忘れずに。 

鉄道員 浅田次郎

 

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