人生は花火

2023-02-10 15:20:00

然 四川外国語大学

「時は平成、京の町にうごめく毛玉は魑魅魍魎か、魔性の類か。 

いやいや、あれはただ阿呆の血をひく京狸だ。」 

狸界を束ねる父がなくなった後、下鴨家四兄弟が脈々と受け継がれてきた「阿呆の血」は騒ぎを起こさずにはいられない。『有頂天家族』は狸の家族愛の中に阿呆の話が混じりふさふさ毛玉たちの奇妙で愉快な物語だ。 

確か大学三年生の夏休みに読んだことがある。その頃祖母は私を家に招いた。祖母と一緒に畑仕事をした後、祖母が作った冷たい葡萄酒を飲みながら、『有頂天家族』を読んで阿呆の血を沸きたぎらせた毛玉たちと一緒に京の町を駆けめぐるという不思議な想像を広げていた。それで、その夏の最後、花火をたくさん買ってきて祖母と一緒に打ち上げた。美しい大輪の花のような花火が宵闇でいきなりバーンと開いた景色はとても綺麗だった。 

昨年の八月に、いつも強くて優しい祖母が急逝した。祖母が亡くなる一週間前も自分の小さな畑で忙しく働いていたそうだ。まだ青々とした畑を見て祖母がまだこの世にいて私と花火を打ち上げるような気がして、どうしても現実を受け止められなかった。この畑は祖母が祖父と結婚した時、雑草だらけの土を畑にしたそうだ。しかし、葬儀が終わってひと段落して、畑がまた雑草だらけになってしまった。今まで祖母の手入れが台無しになった。 

このことで命の儚さを痛感させられた私は、「どうせいつか死ぬなら、今までしてきたことは実は無意味なのか」と人生の意味を考えながら、鍬を探して草取りをしようとした時、倉庫で花火を見つけた。よく見たら、その夏に残された花火だった。すると、祖母と一緒に過ごした最後の夏、『有頂天家族』や葡萄酒、花火が目に浮かんだ。 

その時、「人生は花火」という言葉をも思い出した。その言葉は、父が亡くなった現実に、主人公の矢三郎が家族を慰めた台詞だ。人生は花火のように儚く消えていくが、その美しさは残影として記憶に残ると最初私はそう理解した。しかし、今になって考えれば、矢三郎は実は「確かに多くの場合では結果がより重要かもしれないが、人生という大きな課題の前では過程をより大切にすべき」と言いたがったのではないか。だから彼は人間的で生き生きとしているが、不安や焦りに囚われる私と違って勝手気ままに暮らしている。学校で学んだ芥川龍之介の「人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ」も同じことを教えてくれた。祖母もそれを知っているからこそ、毎日全力で生きているはずだ。 

これからの人生には、きっとくじけてしまいそうになることがたくさんあるだろう。しかし、祖母のように毎日を楽しんでしっかり生きていきたい。 

倉庫で残された花火は、母と一緒に全部打ち上げた。様々な花火が空高く舞い上がり大輪の花を咲かせて秋の澄み渡る夜空を美しく彩り、何度も歓声が上がりたがったが、なぜか涙が止まらなかった。 

『有頂天家族』

 

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