映画『サバイバル家族』

2023-02-10 15:49:00

王佳琪 大連民族大学

休みの間に日本の映画『サバイバル家族』を見ました。この映画は私たちの生活に密着していますから感銘が深くて、自分の気持ちを書きたくなりました。この映画は四人の家族の物語で、家族のメンバーは親子四人です。異変に遭う前に、お父さんは会社員として、お金を稼いで家族を養う責任を負っています。父親は毎日出勤と退勤を繰り返しています。家に帰ったら家族の世話をしながら、生活を楽しんでいます。仕事に対しては、彼はいつも全力を尽くして責任を果たします。しかし、彼は家族に対しては忍耐力に欠けています。お母さんは専業主婦で、毎日の生活は洗濯や料理のほかに部屋の掃除、いわば家政婦の役割を担っています。娘と息子は思春期の学生で、娘は毎日スマホをいじったり、化粧をしたりして、勉強にはまったくやる気がありません。息子は毎日ヘッドフォンをつけて閉じこもり、外の世界に無関心でいます。田舎暮らしの祖父は定期的に故郷から魚やお土産を送ってくれますが、家族はそれを受け取るたびに無関心で、感謝するどころか嫌悪と嫌悪を感じて、老人の気持ちを思いやることがありません。 

ある日、停電で電気に関するものは全部止まってしまいました。都市の人々の生活は混乱に陥ってしまいました。電気がなくて電気製品が使えませんから、人々は基本的な生活さえ維持できません。この家族は自転車で町を離れて電気のあるところで生活することにしました。この長い移動の過程の中で、彼らは飢え、苦難、暴風雨や野良犬と戦うために、徐々に家族間のギャップと不満が除かれて、家族はますます調和できるようになって、最後に緊密に団結します。この道中で、彼らは絶望と苦痛を経験しますが、しかしまた家族愛と親子関係を取り戻して、家族の感情も完全に変化しました。ついに鹿児島に着き、電気もなくすべてを自分で賄う自給自足の二年間を祖父と過ごし、親心の大切さを体験しました。 

現代の私たちの生活は、ほとんどが近代的な道具に依存していて、原初のライフスタイルを忘れてしまっているので、文明の利器をすべてを失うと、一歩も動けなくなってしまいます。高度成長の現代では、さまざまな資源を利用して便利に生きていくことができますが、それに過度に依存するのではなく、災害が起きたときにうまく生き抜くための基本的な生存力が必要です。 

電気やガスや水道を当たり前と思うのではなく、時にはスマホやテレビから離れれば、自然の美しさを感じ、家族や身近な人々との交流を取り戻し、生きる技術の大切さや生きる難しさを知ることができるのです。それは現代社会に欠けているものであり、私たちも考えるべきものだと思います。 

映画『サバイバル家族』

 

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