日本アニメ・ドラマでの「走り」

2023-02-10 15:59:00

張彤彤 雲南大学滇池学院

私は高校時代に日本のドラマが好きになった。ドラマの主人公はいつも一言も言わずに突然走り始めた。最初は「ああ、熱血だなあ」と思っていたが、大学生になると「なぜいつも走り始めるのか」と疑問に思うようになった。インターネットで調べてみると、「日本ドラマの走り」という固有名詞もあるようだ。 

どの国の映画やドラマでも、人が走る場面は珍しくないが、日本の映画やドラマの中で特に際立っているのは確かだと思う。ドラマや映画だけでなく、日本のアニメの中でも突然走る場面がよく出てくる。そして面白いことにいつでもどこでも、どんな服装をしていても、彼らは速く走ることができるのだ。 

なぜ日本ドラマで人が走るのか。ある人に言わせれば日本のタクシーは高くて乗れないからだそうだ。この答えは面白いと思う。確かに日本はタクシー料金が高く、走ったほうが安い。でもドラマの中の主人公はタクシーが高いから走ることを選ぶのではないだろう。そうとは思えない。 

ドラマやアニメの中で人が走るのは走る人の思いや状況を表現するためだろう。確かにタクシーに乗れば目的地に着くが、気が狂ったように走るほうが焦る気持ちを表せる。またタクシーの中で座っているよりも、街の中を走るほうが背景を切り替えることで心情の変化を表現しやすいかもしれない。主人公は平たんな道を走ることは少ない。坂を上ったり階段を下りたり。走る道はいつも、かなり過酷だ。もちろん日本は山が多い国で、都市には坂があるのは自然だが、これも走りをドラマチックにするための工夫だろう。 

日本のドラマの主人公の心理を表現する撮影手法としては、自転車で坂を上る場面も多く使われる。俳優が自転車で坂を泊まりそうな速さで一生懸命に登るように努力しているのを見ると、なんだか主人公がお金持ちではなく、平凡で、普通の生活をしている人であることを感じることができる。また同時に困難に直面したときに、その平凡さに似合わない強さをもって困難に取り組むことも自然に想像できる。自転車で坂を上る場面から感じられるこの二つの連想のギャップにより私たちは自然に感動することができるのだ。 

日本の社会環境と教育背景は、ドラマの中の走ることに深い意味を持たせている。日本のアニメやドラマで主人公が走り出すと私たちは何かを感じることができる。他の国のドラマで主人公が突然走り出しても、日本のドラマのような複雑な意味を表現できないかもしれない。それでも、このような繊細な表現技法は日本の文化として形を変えて世界の国に影響を与えるに違いない。 

 

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