幸せだと思えば

2023-01-16 15:13:00

劉婧萱 燕山大学

 この間、非常に面白いドラマを見た。「恋せぬふたり」というドラマだった。名前しか見ないと、どのような物語を述べたいのかよくわからないから、好奇心をもって見始めた。意外的に、そのドラマは私の「幸せ」に対する考え方を変えさせたとも言えるような重要な役割を果たした。 

 そのドラマは主に恋いという感情が理解できなく、恋愛とセックスもしたくない児玉咲子のことと同じ考え方をもっている高橋羽のこと、つまりアロマンディック・アセクシュアルと呼ばれた二人の物語だ。この二人は偶然に出会い、一緒に住むことを試み、恋愛の感情がなくても家族になれるために努力した。最後、高橋が自分の夢を実現するために田舎に移住し、一緒に住むことができなくなったが、その後も家族のように心からお互いを支えている。 

 そのドラマを見たあと、私はSNSでおよそ10人に「アセクシャルの人、あなたはどう思う」という質問をした。しかし、「理解できない」、「アセクシャルとはどいうこと」と答えた人が大多数だった。彼らの意見や疑問を少し聞いた結果、やはり納得できないところはセックスにある。セックスがなかったら、恋愛とは言えないと思う人が多いそうだ。また、なぜセックスが嫌だと思うのか、何か悪事に遭遇したのかと聞かれたこともある。 

 それは各人各様で、自分の好き嫌いがあるからと私は思う。例えば、わさびの味に対して、「味が嫌だ」と思う人もいるが、「美味しい」と思う人もいる。さらに、LGBTという性的少数者の性的志向は、なぜ大多数の人と違うのか。何か悪事に遭遇して変わったのではなく、生まれたからそのままだからのではないだろうか。 

 それゆえ、私は「知らない」、「理解できない」などの考えは非常に正常だと思う。ドラマの中で、最初に児玉の両親と元彼も全然理解できなかったが、児玉の努力と幸せの様子を見てから次第に変わってきた。また、私の質問に疑問を抱いた人たちも最後、「そうしたら幸せだと思えば、尊重する」と答えた。 

 しかし、多くの人は、恋愛をしないから結婚もできなく、一人でいる人生は寂しくないのかと思うかもしれない。その通り、恋愛ができない人は、寂しくならないのではない。逆に、寂しいと感じられるこそ、家族や友人との関係を大事にしている。しかも、児玉と高橋のように、恋愛関係がなくても家族になることもできる。幸せになる方法もそれぞれ違うのだ。そのようにお互いを支え、一緒に幸せになれば、何が悪いのだろうか。恋愛の目的もそもそも幸せになりたいのではないか。 

 日本の少子化が厳しくなっている現在、性的少数者の志向を尊重し、ドラマで表現られるのは非常にありがたいことだと思う。その点から見れば、中国はまだ長い道のりがある。しかし、誰にとっても一回だけの人生だから、自分の気持ちを第一にし、幸せだと思えば、そうしよう。   

ドラマの名前:恋せぬふたり 岸井ゆきの×高橋一生

 

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